シャファト家と在りし日の想い出・10
ユリアンは結構な距離を歩いて帰ることにした。
いつもなら馬車で20分というところだ。
何故突然そんなことを思い立ったかというと、まあさっきのムキムキに感化されたというか、自分が日ごろ不健康な生活をしていて運動不足だということについて反省するところがあったからだった。
いつも通り過ぎるだけの街は、自分目線で見るだけで違って見えた。
そもそもこんなに日が高い内に歩くなど、いつ以来かわからない。
本当はこうして独り歩きするのはよろしくはないのだけれど、誘拐とかされるようなでかい屋敷に住んでいるわけでもないので、まぁいいか、と舗装された街路を巡った。
…歩いている途中、幾人かの警らに会って、頭を下げた。
ここはイェルクの担当地区ではないからいないけれど、同じように巡回での仕事をしている息子を想像した。
わりと様になっているのではと思う。
実を言うと、警らになることを、最初は反対した。
ユリアンも初めから物分かりの良い親だったわけではない。
警らになる、と言い出したのはイェルクがカミルくらいの時のことだ。
馬鹿を言うんじゃない、と何度も諭したし、柄にもなく怒鳴ったりもした。
エドゥアルトが述べたような貴族としての境域についても私見を述べた。
職権乱用して貴族位の就労に関する禁則事項を法の中に見出せないかめちゃくちゃ探した。
しかし調べれば調べるほど息子を留めるものは何もなくて、仕舞いには家を出るとまで言ったイェルクに、号泣したルドヴィカが追い縋って…という、シャファト家の歴史に残る大事件の一幕があった。
今こうなってみると、息子の願いを守ってやりたい、と思う。
元々、それほど物をねだらない子だった。
幼いころになにかおもちゃを買ってやろうと店へ連れて行っても、その場では興味深く触っていても大抵『いらない』と言った。
家の中ではおとなしく絵本を読んでいたり、落書きをしたり。
外に出れば拾った木の枝でよくわからない踊り付きのひとり遊びをしていた。
妹が生まれてからは、やっと首が座ったくらいから間違いだらけの絵本読み聞かせをしていた。
お座りができるようになったころには、読めない部分を勝手に修飾し話を膨らませまくったとんちんかんな物語を聴かせてやっていた。
同じ絵本でも毎回ストーリーが違うので、ルドヴィカもあまり物を欲しがらない子に育った。
一冊で足りるから。
家を出ていく、と言われたあの日、少しだけ感動をした。
この子にも、我を通してまで欲しいものができたのだ、と。
表向きはイェルクに譲歩して、という形だったが、実はあの時にはもうユリアンの気持ちは決まっていたのだ。
この願いを叶えてやること。
初めて口にした息子の我が儘を、全力で支援すること。
親としてのユリアンの我が儘でもあった。
あまり路を逸れては迷うので、ユリアンは一番大きな街路沿いに歩いた。
露店が出ているので物珍しくて覗く。
棒に何かを巻き付けた食べ物が売っていたので買った。
買い食いとか何年ぶりだ、なんかよく分かんないけどうまい。
食べながらひとつひとつの店を覗いてみる。
…あのリボン、ルイーゼにいいんじゃないかな。
店主に訊ねたら色違いもあるから、と3種類渡された。
言われた値段に上乗せした紙幣を渡して釣りは断った。
…というようなことをしていると「お館様」と静かな声がかかった。
振り向くと御者のツェーザルだった。
「うん?どうしたの奇遇だね、ツェーザルも買い物?」
「…いえ、リーナスさんに言われてお迎えに上がりました」
「え、ここにいるとか言ってないけど」
「『たぶん今頃4番街の露店あたりで鴨られてるか買い食いしているからお連れして』とのことでした」
「ううん?」
本当にリーナスとは一度こう、膝詰めで、こう、いろいろ話さなきゃなぁ?!
「先触れがあったそうです。
先代様が明日こちらにいらっしゃいます」
危うくなんかよく分かんない食べ物を落とすところだった。




