シャファト家と在りし日の想い出・3
…朝からなんか家人たちがいろいろ構ってくる。
廊下を歩いてたらダニエラが小さいころに教えてくれた手の水鉄砲でぴゃっと水をかけてきて逃げた。
あれバレたらぜったい侍女長のザビーネに怒られる。
アデーレがクッションカバーを手製するから生地を選んでくれと数種類の布を持ってきた。
「これをタロウにお願い」と言って渋めの生地でリクエストした。
で、今は、母屋の裏でこっそり飼ってた猫の親子をツェーザルが見せてくれている。
…なんだろう今日は。
「…かわいい」
ちょうど最近子猫が生まれたばかりで、いろんな模様の小さな体がひしめき合っている。
おっかなびっくりツェーザルから白黒ぶちの子を受け取って、メリッサを置いた膝の上で抱っこした。
「名前はつけたの?」
「いえ」とツェーザルは言った。
「よかったら、お嬢様がつけてください」
「…それは責任重大だわ」
大真面目にルドヴィカは言った。
「…このこはお兄様に似ているから、イェルクでいいのではないかしら」
「…さすがに主家の方のお名前では呼べません」
「まぁそう?ぜんぜん構わないのに」
いろいろ首を捻って考えたが思いつかない。
これはじっくり考える必要がありそうだ。
ルドヴィカを呼ぶラーラの声が聴こえた。
内緒でツェーザルと母屋裏まできたのだ。
「頑張って考えるわ、時間をちょうだい」
子猫をツェーザルに返し言うと、「はい」と彼は言った。
「また明日見にきてもいい?」
訊ねると、微かに笑って「はい」とツェーザルは呟いた。
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「エルヴィン様がおみえです」
ルドヴィカが玄関先まで戻るとラーラが言った。
「あら?今日は往診の日だったかしら?」
「最近お忙しいお嬢様のご様子が心配でいらしたとのことです」
「まぁ、申し訳ないわ」
応接室に行くと、エルヴィン医師がザシャと深刻そうな顔をしていた。
「お待たせいたしました、先生。
…なにかございましたの?」
「…いや、ちょっと、お互いこれからどーしよーかねー、とか、そういう話」
「…若い君には無用の心配だから気にしなくていい」
大人は大変である。
「眠れていないということはない?」
「はい、先生、お陰様でぐっすりですわ」
「それならよかった。
必要であればよく眠れる薬を処方しようと思っていた。
忙しくしているのがいいのかな」
「お薬ですか?今いただいているものの他に?」
「ああ。
去年の今頃も、よく眠れないことがあっただろう。
君のお母様の日が近い」
ルドヴィカはちょっと微笑んだ。
「…憶えていてくださったのですね?」
「もちろん。
わたしの大切な患者のことだからね」
ラーラが茶を差し替えた。
「わたしはお会いすることはなかったけれど、素晴らしい方だったと聴いているよ」
大好きなお母様。
オティーリエお母様。
たぶんルドヴィカの生活はこの日を中心に回っている。
今年ももう来週だった。
お母様が亡くなった日。
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ユーリアはアロイスの使者から急ぎで届けられた手紙を開封し、内容を読んで人生最大級に目を見開いた。
「お返事をいただくように言われています」
使者の催促の言葉に、「しょ、しょうしょうおまちください…」と文机に向かった。
ひとこと書くのに手が震えた。
深呼吸してから気合を入れ、インク壺にペンをつっこんだ。
めちゃくちゃ強い筆圧で、「宜しくお願い致します。」と書いた。




