居眠り姫と腹心の家人たち
夕食中他愛のない話をした。
イェルクの席が空いてしまったから、寂しくてわがままを言ってザシャを座らせた。
イェルクが夜勤でいない時も、ザシャがそこに座ってくれる。
ひとりで食べる晩御飯はいやなの。
広くてさみしくて、泣いてしまいそうになるの。
もう誰も座ることのないお母様の席が、みんなをばらばらにしてしまったように感じて、
ひとりでご飯を食べるのはいやなの。
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自分の部屋の扉をほんの少しだけ開けて、ルドヴィカは真っ直ぐな廊下の先を見た。
たぶん父は気付いていたけれど、でもどうしても気になって、軽食を持って兄の部屋の扉をノックする父の横顔を見ていた。
声は何も聴こえなかったけれど、父の唇が時々少しだけ動くのを見た。
少しして、少しだけ、扉が開いた。
こちらからは何も見えないけど、優しい瞳の父が、少しの微笑みを残して中に消えた。
ルドヴィカはため息を吐いて、扉を閉めた。
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けどやっぱり気になって兄の扉の前をうろうろした。
もう30分も経つの。
きっともういろいろお話したと思うの。
だからわたくしも中に入れて欲しいの。
そのままうろうろしていたら、たぶんルドヴィカと同じように気になって、明かりの落とされた暗い廊下をザシャがやってきて苦笑した。
声を出さずにあちらへ行こうと首を向けて、ザシャは静かに玄関へと向かった。
ザシャは従者の一人なので、母屋の横にある従者の宿舎に住んでいる。
ラーラは部屋付き侍女なので母屋の3階だ。
寝たふりをしたのでラーラは今日はすぐに下がった。
近隣からの通いの従僕もいるが、シャファト家は他の貴族位の家よりもずっと屋敷も従僕の数も規模が小さいらしい。
そう知ったのはまだ母がいたころ、近隣の同年代のご令嬢をお招きして茶会を開いた時だった。
ルドヴィカはこの家が好きだ。
小さいなど感じたことはないし、従僕は皆家族といえるくらいの人たちで、ずっと長く勤めてくれている人たちばかりだ。
でも世間からは見劣りするらしい。
10にも満たないご令嬢たちの、こちらを見下した、哀れみのこもった眼差しや言葉の端々を、ルドヴィカは未だに忘れられない。
「居眠り姫」にならなくとも、きっと自分はこうして爪弾きにされて社交場には寄り付きもしなかっただろう。
なので、最初から未練もなかった。
でも時々思うことがある。
ザシャは、ラーラは…みんなはここでいいのかしら、と。
星の綺麗な夜だった。
「心配すんなよ、お嬢様」
玄関を出た時、ザシャが言った。
「ザシャも心配できたくせに」
「違いねぇ」と彼は笑った。
母屋の前から正門へと続く短い道の途中、東屋がある。
数年前にルドヴィカのために作られたものだ。
庭を歩いていた時に眠気がきたら、そこに退避するために。
ふたりはそこに赴いて、並んで座った。
夏の終わりの夜半の風は思ったよりは涼しくて、エイリークを抱いたルドヴィカは少しだけその手に力を込めた。
「なにがあったのかしら」
呟いた言葉はザシャへの問いかけでもあったし、自分へのものでもあった。
「わっかんねぇ。
まぁいろいろあるわな、あの歳の時期は」
よくわからないけれど、ザシャがそう言うならそうなのだろう。
「ねぇザシャ」
思い立ってルドヴィカは訊いた。
「わたくしに仕えることにならなかったら、今頃どうしていたの?」
「…なんだいそれ藪から棒に」
「なんか、気になって」
ザシャはじっとルドヴィカを見つめたあと、夜空を見上げて言った。
「…わかんねぇなぁ。
お嬢様付になってない、自分が想像できない」
首を捻っていろいろ考え、ザシャは言葉を続けた。
「もしかしたら家業継いだかもしれんし、田舎でイェルクみたいに警らになったかもしれん。
どっちみち、そうなってないからわからん」
「ねぇ、その方がよかった?」
申し訳ない気持ちと、なにかいいようのないぐずぐずとした気持ちがごちゃまぜになって、思わずルドヴィカはそう言った。
ザシャは驚いたように目を張って、ルドヴィカを見つめた。
「なんだよそれ、俺はお嬢様の従者だろ」
「でも、そうならなかったかもしれないのよ?」
「でもそうならなかっただろ」
「でもわたくしに仕えなくてもよかったかもしれないの」
「なにを不安に思ってんだ?お嬢様?」
真っ直ぐに目を見て言われた言葉に、ルドヴィカは零れる言葉のままに答えた。
「わからないわ。
でもたぶんずっとそう考えていたの。
きっと、今初めて言葉にできただけで、ずっとどこかでそう思っていたの。
みんな、ここでよかったの?って」
息を継いで続ける。
「ラーラもザシャも、リーナスも、アデーレもダニエラもツェーザルも、みんな!みんな!
ここでよかったの?みんな、ここじゃないところの方が良かったんじゃないの?ねえ、その方が。
その方が幸せじゃなかった?」
一息で言うと、静寂が落ちた。
かさり、と音がして、そちらを見る間もなく、ルドヴィカは柔らかいブランケットに包まれた。
「夜風は体に障ります」
そう言った低い声は、家令のリーナスだった。
「リーナス…」
「…私からお答えすることをお許しください、お嬢様」
「――お嬢様がお生まれになられた朝を憶えています。
とても冷える朝でした。
低い雲が空を覆っていて、でもそれを通して届く朝日は美しかった」
言いながらリーナスはルドヴィカの前に跪いた。
「次代様がお生まれになられた日のことも。
まだお館様は官位が低くて、今の様に無理を通してお帰りになられることもできない頃でした。
それでも私がお迎えに上がって、一緒に早馬で帰りました。
予定日より二週も早かったので」
リーナスの目は、お父様の目に似ているわ、とルドヴィカは思った。
色は違えども。
「お嬢様、私たちは、希んでここにあるのです。
不満や不安はありません。
お館様、次代様、お嬢様、すべてにお仕えするためにここに在ります。
私たちの主を、私たち自身が選びました。
シャファト家にお仕えすることが私たちの矜持です。
他に行くなど考えられません」
問いかけたい言葉はたくさんあったのだけれどもどれも形にできなくて、ルドヴィカはただ泣きたいような気持ちで「本当?」と訊ねた。
「本当です」
「本当!」
ザシャがリーナスに続いた。
「いやー、さすがっすねー、リーナスさん。
俺じゃそんなすっきり綺麗な言葉にまとめらんないわー。
年の功?」
「一言余計ですね、ザシャ。
厩の清掃はこれからずっと貴方ひとりでやるように調整しておきますね」
「うわそれガチで勘弁、すんません、申し訳ありません」
「どうしてここに居るのがわかったの?」と母屋に戻りつつルドヴィカはリーナスに訊ねた。
「ザシャが次代様の様子を見に行くのはわかっていたので。
戻るのを待っていたら、お嬢様と一緒でした」
みんな、イェルクのことを心配してる、と知って、ルドヴィカは嬉しくなった。
本当に、星が綺麗な夜だった。
いつか書こうと思ってたのを詰めました
お父様ターン続きすぎだし…




