居眠り姫とお父様・5
夢の中で父に会えたことが嬉しくて、少しだけ浮き上がりかけた意識を押し戻そうとルドヴィカは試みた。
もうすこし。
もうすこしねていたいの。
おとうさまにあえたから。
だから、きっと、きっと、おかあさまにもあえるから。
いつもは早く起きなければと思うのに、今はこのままこのぬかるみに絡めとられていたい。
なのにそんなときに限って不確実な覚醒は訪れて、重怠い体がとても邪魔で、ルドヴィカは泣きたい気持ちで息を吸った。
繰り返し見たい夢は指の間をすり抜けていく。
残るのは儘ならない自分と、翻せない現実と。
誰かが近くにいる気配がして目を押し開けようとしたが、弛んだ躯幹もまぶたも持ち上がらずに拒み、きっとそこにいるであろう人物の名を呼ぼうとして声を出したがそれも失敗した。
けれど何度か繰り返す。
ラーラ。
ひゅうという音が唇からもれて、それを機会にルドヴィカは自分を取り戻した。
「…起きたかい」
その声を聴いて完全に覚醒し、ルドヴィカは目を張った。
少し首を動かすと、赤い髪と自分と同じ蒼い瞳が見え、「おとうさま」とルドヴィカは驚きの声を絞り出した。
「おはよう」
大きくて日に灼けた手が頭を撫でた。
「久しぶりだねルイーゼ」
しばらくの間脱力していた体はすぐには起き上がれなくて、すこし身じろぎして父の側に寄ると、嬉しそうに笑った父が抱き寄せて持ち上げて幼子のように膝に乗せてくれた。
「元気でいたかい」
「はい…」
恥ずかしくて俯いてしまうルドヴィカの額に口づけて、ユリアンは「ただいま」と言った。
「お帰りなさいませ、お父様。
お仕事は終わったのですか?」
国事に関する難しいことが生じて朝廷に詰めているのだと聞いた。
普段から忙しい身分ではあるが、家に戻るのも惜しいくらいに事態は深刻なのだろうと思っていた。
どうにか難局は抜けたのだろうか。
「うーん、終わらないよ。
でもルイーゼに会いたくてね、同僚に押しつけてきた」
言ってユリアンはルドヴィカをぎゅっと抱きしめた。
「お父様…恥ずかしいです…」
「うん、でももう少しこうさせて」
頬擦りする勢いでユリアンは娘を愛で、深い吐息の後に言葉を継いだ。
「『いねむりひめ』をね、読んだよ」
ルドヴィカは身を小さくした。
「正直に言うよ、面白かった。
ウチの娘は文学的才能に目覚めたんだと思ったよ。
そしてザシャから出版に関する話も聞いた」
「…怒っていらっしゃいますか?」
「それよりも驚いたね、それに悲しかった。
わたしは相談するのには頼りない父親だった?」
ルドヴィカは腕の中で頭を振った。
「いいえ。
でも、きっと反対されると思って、言えませんでした」
「そうだろうね、わたしはきっと反対したよ」
ルドヴィカは俯いて唇をかんだ。
「…だから、こうなってよかったのかもしれない。
わたしも君の作品が好きだから」
ルドヴィカが目を上げると、優しい瞳が自分を見つめていた。
「そろそろイェルクが帰ってくるね。
久しぶりに皆でご飯を食べて、その後たくさん話そう」
「…はい」
ルドヴィカの笑顔がほころんだ。
****
夜が降りて、いつもならばこのくらいには既に帰っているはずのイェルクがまだ戻っていなかった。
「仕事に不測の事態は付き物だからね」とユリアンは特別心配はしていなかったが、なんとなくルドヴィカは玄関先に訪れて、少しの間兄の帰りを待っていた。
「ルイーゼ、遅くなるかもしれないよ。
先に食事をしてしまおうか?」
「でも…せっかくお父様がいらっしゃるのに…」
声を掛けられて後ろ髪を引かれる思いで玄関を見やった時、玄関戸が開かれた。
「お兄様、お帰りなさいませ!」弾んだ声でルドヴィカは言ったが、イェルクはそれに反応しなかった。
「…お兄様?」
「ああ、ただいま」
どこか儀礼的に応えたイェルクは、ルドヴィカを見もせずに速足で階段を上っていく。
「イェルク、昨日はありがとう」
「ああ、ああうん、お帰り」
父の声にも上の空で応じたイェルクは、何も見えないかのように自分の部屋へと向かった。
「どうしたんだイェルクは?」
ザシャが玄関から入ってきて、ルドヴィカの気持ちを言葉にした。
「イェルク、夕飯にしないか?」
ユリアンが去る背中に声を投げた。
「いらない。
疲れたから、寝る、起こさないで」
端的な言葉を残してイェルクは部屋に入った。
「ルイーゼ」
父の呼びかけにルドヴィカはそちらを見、「はい」と応えた。
「今日は食事をしながら話そう。
明日も必ず帰ってくるから、一緒にたくさん話すのは、明日にしてもいい?」
優しい瞳で父は言った。
「はい、お父様」
「俺がいきましょうか?」
ザシャが真剣な目で階上を見上げて言った。
「いや」ユリアンは首を振り、微笑みながらささやいた。
「あの子も、わたしの子だから」
優しい声はとても澄んでいて、ルドヴィカに「おいで」と伸ばされた手はあたたかくて、形を取らなかった不安はそのまま霧散した。
「今日のごはんはなにかなー。
カツ丼かな?」
父がゆったりとした口調でいい、「それなんですの?」とルドヴィカは訊ねた。




