居眠り姫とお兄様
むかしむかし あるくにに
いねむりひめ とよばれる うつくしい おんなのこが いました
いねむりひめの うつくしさは うみや やまを こえ
とおくの くににまで つたわるほどで
まいにち おおくの おうじさまが
けっこんを もうしこみに きました
ほんとうに うつくしい いねむりひめは
「で、それはなに、ルイーゼ」
「わたくしを題材にした童話ですわ、お兄様」
せっかく一番に読み聞かせているのだから口を挟まずにちゃんと最後まで聞いて欲しい。
なんて堪え性のない兄だ。
「なるほど?
ではその『いねむりひめ』には眩いばかりに美しくかっこいいイェルクという名の兄がいるね?」
「まさか。
いねむりひめは花の蜜と月の光から生まれた妖精ですの。
日々むさ苦しく暑苦しく汗臭くなっていく兄などという卑俗なものは存在しませんわ」
「なるほど」と神妙な面持ちで頷くと、鷹揚な調子で兄は続けた。
「徹頭徹尾創作の寓話なのだとわかったよ」
「なんでまたそんなものを書こうと思ったんだい」
「わたくしが皆さまから『居眠り姫』と呼ばれているのは存じ上げております。
せっかく姫と言っていただけるのですから、それっぽいお話があってもよいではありませんか」
私も鷹揚に言うと、また兄は「なるほど?」と頷いた。
うん、理解はされていない。
「面白がって君をそう呼んでいる御仁方に対する素晴らしく絶妙な返しだと思うけれど、なんというか、こう、君らしいな?」
「お褒めに与り光栄ですわ」
「で、それを出版すると」
「はい。
もうどこの出版社にするかも決めていますの」
「いやー、やめた方がいいんじゃないかなー」
少し焦ったように声を張り上げる兄に、私は渋面で問う。
「なぜですの。
素晴らしい傑作ですのよ、必ずや大衆の心を捉え、人気を博すること請け合いですわ」
「傑作って…。
なんだ、おうじさまが助けにきて目を覚まして、末永く幸せに暮らす感じだろう」
「そんなありきたりな物語ではありません。
来るかどうかもわからないおうじさまを当てにせず、自ら眠りの呪いに立ち向かい、果てない旅の末に魔女に打ち勝つ冒険活劇ですわ」
「おうっとそうきたか。
それもう姫じゃなくない?ていうか、求婚に来ているおうじさまの立場は」
「『「ねむりの のろいが あってもいい。
わたしの もとへ きておくれ。」
おうじさまの ことばに、
いねむりひめは こたえました。
「わたくしの ねがいは ただひとつ。
あけぬ よいの おわりを み、
あさひと ともに よろこぶこと。
あなたの もとに それは ありません。」
いねむりひめは そうつげると、
ふりかえる ことなく たびだちました。』」
「…え、それ童話?」
「童話ですわ」
「おおっぴらにおうじさまを振るとか斬新な童話だな」
「童話界に新風を吹き込む風穴を空けるつもりですの」
「その目論見は成功するかもしれないけど、我が家の評判にも風穴が空くからやめような?」
「わたくしの名前も家名も出しません、大丈夫ですわ!」
胸を張って応えると、だはーと大きなため息を吐いて兄は頭を振った。
「なにが大丈夫なものか、ルイーゼ。
君が書いたとわからなくても、君を揶揄したとわかる作品なのが問題だ」
「なにが問題なものですか、お兄様。
わたくし自身の評判など、すでに地に落ちているではありませんか」
こともなげに言うと、少しだけ絶句して「なんてこと言うんだ」と兄は呟いた。
別に姫なんて呼ばれたいわけではない。
わたくしはわたくしの名で呼ばれたい。
「ところでお兄様」
「…ん」
「眠とうございます」
「わかった…おやすみ」
その言葉を聞いて、私は朋友のクッションを抱え込み、泥のような眠りへと身を委ねた。
****
「ご苦労、エイリーク」
寝台へと運んだ後、妹が抱えていたクッションを枕元へと置いて、ひとつぽんと叩いて労った。
妹が名前をつけているクッションはいくつかあるが、それを見分けられるのは本人と部屋付きの侍女、兄である僕、それに妹付きの護衛。
最近はクッションカバーでそれぞれの個性を出しているらしい。
エイリークは白のキルト、メリッサは鮮やかな刺繍、タロウは灰褐色の織り物。
あまり物をねだらない妹には珍しく、それぞれ一点物のカバーを揃えているようだ。
深いが安らかではない眠りに落ちた妹の顔をじっと見る。
午後をいくらか回ったくらいの時間なので、少し無理をしていたかもしれない。
入眠が早かったのもそのせいだろう。
きっと読み聞かせるために僕の帰りを待っていたのだ。
部屋からは出ずに妹の文机に着き、「いねむりひめ」の筆記帳を開く。
いったいどんな気持ちでこれを書こうと思い、いったいどんな顔でこれを書いていたのだろう。
割にウチの妹君は文才があるかもしれない。
処女作がこれってどうなんだ、とは思うが。
まぁ面白い。
面白いよ。
でもどうよこれ。
さくさくと読み終えたが、本人以外が書いたなら全力で不謹慎かつ無思慮な内容に、でもまあ本人が書いたから仕方がないか、とため息を吐いた。
そこにあったペンと便箋を取り、僕は感想をしたためた。
仕事からの現実逃避でかきました
とりあえずタロウの殉職くらいまでかきます