お兄様と王宮の騎士様・6
「『オスヴィルの冒険』…」
「ん?」
廊下を歩き始めると、案内のカミル少年が呟いた。
「…ですよね。
妖術って言っていたの」
「あー、そんな題名だったかも」
「面白いですよね、あれ」
「うん、同僚が置いてったの読んだから全部は知らないんだけど」
「最新刊来週出ますよ、本屋で告知してました」
「そうなんだ、じゃあ全部持ってきてもらって読むかなー」
その前に今借りてる探偵ものシリーズ読破せねば。
「…イェルクさんは、」カミル少年は声を絞り出すように言った。
「騎士に、なりたくないんですか」
「んー?」
そんなこと訊かれてもなぁ…。
「そもそも、なろうって考えたことない。
警らかっこいいし、たのしいし」
「ぼくは…」
どこか泣きそうな声色でカミル少年が言うので、イェルクはその顔を見た。
「騎士になりたくて、憧れて、小姓になれて、やっとここまで来たんです」
泣いてはいなかったが、何かを圧し留めた表情をしていた。
「…ごめん、君の夢を否定したわけじゃない」
「わかっています」
少年は歩みを速めた。
王宮外へと続く正門が見えてきた。
「――きっとエドゥアルト様は、あなたの方がいいんだ」
カミル少年が呟いた言葉がよく聴こえなくて、イェルクは立ち止った彼を振り返った。
「えっと、なに?」
「負けませんよ」
帰ってきた言葉は意表を突くもので、イェルクは目を見開いて言葉を失った。
別れの言葉もなくカミル少年は身を翻し、来た路へと消えていった。
****
「おかえりなさいませお兄様!」
玄関入るなりルドヴィカが跳びかかってきた。
「なに、どうしたの」
「ご覧くださいまし、絵です!『いねむりひめ』の絵です!!」
そういって堅表紙の写生帳を大興奮でその場で開く。
「え、ちょっとまってなにこれ、誰描いたの、え、なに?」
「ユーリア・ミヒャルケ様という神絵師様ですわ!!」
「は、なに?本職の人?本職の絵描きさんに依頼したの?」
「そうですわ!ダ・コスタ商会のイグナーツ様が紹介してくださったビンデバルト編集長推薦の神絵師様ですわ!!」
「ごめん情報量多い。
なにそれ、一から説明して、僕が夜勤中に何があったの」
臨場感たっぷりに身振り手振り交えて懇切丁寧にルドヴィカは説明した。
絶句という言葉の意味をイェルクは絶句しながら覚えて、次いでルドヴィカへとかっと目を見開いた。
「この大馬鹿野郎」
ルドヴィカもかっと目を見開いた。
「わたくしは野郎ではありません」
「うわー、まじかよ!父さんに丸投げしようと思ったのに!もう出版とかいってんのかよ!うわー!」
「善は急げですわ!」
「いやこれどこが善なの?!心労しか生まれないよ?!」
「心を広くする訓練なのですわ!」
「ああー、もうザシャ、なんで止めないんだよザシャ?!」
「俺に言わんでくれ、どっちかっていうとラーラと先生のが悪い!!」
通りがかったザシャが何の話か察して弁明した。
「ああ、昨日お館様に渡してくれと頼んだ報告書にあらましは書いた。
から、たぶん、どうにか…なる、 ―― かな?」
****
ユリアンは一日の労働を終え――と言うには遅すぎる時間ではあったが――宿舎に戻り、ベット際のオイルランプに火を灯した。
服を緩めて座り、おもむろに今朝息子に預かった筆記帳を手に取る。
表紙をめくり目を張る。
『いねむりひめ』…とは。
決して良い意味では使われていない娘の呼称で、一家で社交の場に足が遠のいてしまった理由でもある。
このままではいけないのは言うまでもないのだが、行動の決め手となる進展もなく日々をやり過ごしてきていた。
――読み終えて、ユリアンは息すら殺してただ筆記帳を見た。
ルイーゼ。
声に出したつもりで声にならなかった。
お前はこんな風に考えていたんだね。
お前はなんて強い子だろう。
――そして私はなんて弱いのだろう。
途中に挟まっていたザシャからの手紙を開封する。
皆元気にしていること、また最近のルドヴィカの日中の眠りの状況も律義に書いてある。
二枚目に移り、「そして緊急にお伝えしたいことがあります。」という文句で始まる内容に目を走らせた。
控えめに言って絶句した。
「―― まって、なにやってんのウチの娘」
明日帰ろう、もうなにがあっても帰ろう。
ユリアンは固い決意をした。




