居眠り姫と王子様・18
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目が覚めた。
頭が痛い。
起き上がるのにも時間を要して、イェルクはゆっくりとベッドから出た。
リヒャルトとともに二人で酒瓶を干したことも、二人で話したことも、全部記憶している。
そこでなにを考えたかも。
自分がどう感じたかも。
なにもかも憶えている。
だから、酒に酔って惑っているわけでも、混乱して世を儚んでいるわけでもないと言い切れた。
朝食の席に着いた。
リヒャルトは昨夜のうちに帰ったらしい。
あいつ酒強いな、と思いながら、家族の顔を見るともなしに見回した。
ルイーゼ。
顔色がいい。
いつもよりさらににこにこしているから、なにかいいことがあったんだろう。
父さん。
僕の顔をみて「だいじょうぶか?」と声をかけてくる。
僕はうなずく。
じーじ。
昨日、「酒の失敗は三回やれば飲まれなくなる」とそれっぽいことを言っていた。
じゃああと一回かな。
朝食は家族全員が集う機会でもあるから、大抵の場合給仕の他に家令のリーナスも控える。
食堂の戸口付近にいた。
目が合うと、リーナスはほんの少しだけ不思議そうな顔をした。
父ユリアンが、突然のことながら今日やってくるらしい王妃殿下と王太子殿下についていくらか述べる。
給仕たちはもちろん緊張していて、神妙に耳を傾けていた。
ルドヴィカは昨日のうちに全力で驚いたらしくて、今はいつも通りの調子だった。
「それでね、ユーリア様の御業が……」
ルドヴィカが、とうとうと『推し絵師』の話をしている。
イェルクが水を飲み干すと、給仕ではなくてなぜかリーナスが隣に来てグラスに注いでくれた。
その静かな笑顔を見て、見透かされいるな、とイェルクは感じた。
リーナスの動きを見てなにか感ずるところがあったのだろう、父であるユリアンが、イェルクを真っ直ぐに見て尋ねた。
「イェルク、昨日はリヒャルトとひさしぶりに話をしていたのだろう。
どうだった?」
何気ない口調の問いかけだった。
けれどとても深い意味を持った質問で、イェルクはそれを重くとらえたし、父の表情を見たときに自分が常とは違う顔をしているのだ、とわかった。
けれど、想像以上にそこから笑顔を作るのは簡単だった。
父は少しだけ驚いたように目を見開きイェルクを見返して、それに少しだけ心がうずいて、それでも笑顔は崩れなかった。
「うん、僕の進退のことを話していたよ」
天気の話かのようにイェルクは言った。
場が少し鎮まって、首を傾げてルドヴィカが疑問を口にした。
「なんの進退ですの? お兄様」
そうだ、ルイーゼには事の成り行きを言っていなかったかな、とイェルクは思った。
必要もない。
ただ笑って、「僕が警ら辞めるってこと」と告げた。
「え?」
声を上げてイェルクを見たまま、ルドヴィカが動きを止める。
それ以外に誰もなにも言わず、ただイェルクを見ていた。
「僕、警ら辞めるよ」
静かな声だった。
意味がよくわからなかったのか、ルドヴィカはもう一度「え、なんておっしゃいましたの? お兄様?」と尋ねる。
イェルクは少しだけ困った顔をして、「言葉の通りだよ」と言うに留めた。
「……本当にそれで、いいのか、イェルク」
尋ねた父ユリアンの表情は真剣で、ありがたいな、と思いつつイェルクは微笑み、うなずいた。
「たくさん考えたよ。
それが一番、いいって気づいた」
「後悔するかもしれないぞ」
「そんときは、そんとき」
ごちそうさま、とつぶやいて、イェルクは席を立った。
扉を開けてくれたのはやはりリーナスで、この家令は、僕にとってのもうひとりの父親だな、とイェルクは笑った。
****
「えっ、えっ」
混乱しきって、ルドヴィカは兄が消えた食事室の扉を見つめている。
ため息をひとつつき、ユリアンは息子の背を追わなかった。
もう覚悟した笑顔で、動かすことのできない決定なのだとわかったし、そこまで考え結論を出したことに口を挟むようなこともできはしない。
そして、イェルク本人が口にした通り、「それが一番いい」のだ。
だからこそ、悲しく思ってユリアンも朝食の手を止めた。
「お父様、お父様、なんですの、お兄様はいったいなにをおっしゃいましたの?」
言葉の意味を理解したのだろう、娘が動揺したように声を張り上げるのを聞いて、ユリアンはそちらに向き直る。
「いろいろ考えた末での決定だろう。
尊重しよう」
「待ってくださいまし、だって、そんな……」
そういえば、ルイーゼはここ最近の流れを知らないのではないだろうか。
イェルクがあえて、妹に心配をかけるようなことを言うはずもないので、そうなのだろう。
言葉を探しながらユリアンは娘に告げた。
「イェルクに、騎士にならないか、という打診が来ていたんだよ。
それを受けることにしたようだ」
「そんな!」
ルドヴィカが思わず立ち上がると、椅子が倒れかかって慌ててそれを給仕が支えた。
「お兄様は、警らですわ!」
「そうだね。
違う道を行くことに決めたようだ」
「うそ!」
首を振る。
信じられない気持ちは痛いほどわかる。
シャファト家の今後のことを考えれば順当な選択とはいえ、ユリアンですら、今ある種の喪失感を覚えている。
いわんや、イェルクならば。
「……お父様は、いつからこのことを知っていましたの」
「オティーリエの、墓前に、みんなで行った少し前だよ」
「……おじい様も?」
「……わたしは、その後だ。
イェルクから直接聞いた」
ぐっと歯を食いしばって、ルドヴィカは泣くのをこらえた。
けれど抑えきれなかった涙がこぼれた。
「わたくしだけ……わたくしだけ知らなかったのですね。
どうして教えてくださらなかったの、こんな大切なこと!」
荒々しい態度の取り方がわからないルドヴィカは、持っていたナフキンを静かにテーブルへ叩きつけた。
そして兄の背を追うように、食事室を後にした。
****
「ザシャのばか! ばか! ばかー!」
兄の姿を探したが、もうすでに出勤してしまったあとで、ルドヴィカは庭を見回して大きな体を見つけると突撃して両手でタロウを何度も叩きつけた。
「自覚はあるがなんだ⁉ 突然なに⁉ とりあえずおはようございますお嬢様!」
「おはようございます! ザシャのばか!」
そこでルドヴィカが泣いていることに気がついたザシャは、「どしたん、お嬢様?」と微笑んで尋ねた。
「ばか!」とルドヴィカは応えた。
「ザシャも、知ってたんでしょう。
それなのにわたくしに教えてくれなかったんだわ! みんなしてわたくしを仲間外れにして。
わたくしだって家族なのに‼」
「ちょっとわからん、なんの話?」
「お兄様が!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、ルドヴィカは深呼吸をした。
そして、タロウをもう一度ザシャへと叩きつけて言う。
「お兄様が、警らを辞めるって」
ザシャはその言葉に目を見開いた。
「あ、ああ? まじ? あー、まじかー……そうなったかー……あー……」
「ザシャのせいよ! ばか! ザシャのばか!」
「いやいや俺のせいじゃないし、イェルクがそう決めたんだろ?」
「ザシャが止めなかったからよ、ばかー!」
「いやいやいやいや、自分の一生のことだもん、自分で決めるのが筋だろ、俺がなにか口出しすることじゃねえって」
「知らない! ザシャのばか!」
もう三度タロウアタックを決めて、ルドヴィカは走って母屋へ戻った。
一生分のばかをもらったかもしれん、とザシャは思った。