居眠り姫と王子様・17
「突然来てすみません!」
ユーリアは、下車したと同時にがばりとルドヴィカへ頭を下げる。
まさかユーリアが乗っているとは思わなかったルドヴィカは、その場で固まった。
「おーミヒャルケさん、こんにちはー、ケーキあるよー」
ゆっくりと歩きながらザシャが言う。
ユーリアはそちらにも深い礼をし、「こんにちは!」とあいさつした。
「絵が描けたそうだよ、見せてもらいなさい」
ヨーゼフが言うと、ルドヴィカは無言で何度もうなずきながらヨーゼフの後ろに隠れてしまう。
まだ恥ずかしいのか、とヨーゼフは笑い、皆を促して迎えに立った侍従たちの間を通り中へ入る。
ルドヴィカが小さな声で「リヒャルトお兄様がいらしてますのよ」とヨーゼフに告げた。
うなずいて「そうか」と言うと、ヨーゼフは指し示された二階の談話室へと向かう。
ルドヴィカはザシャを伴って、ユーリアを応接間へと案内した。
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「ツェーザル、ちょっと急ぎ目で帰ってくれないかな」
馬車に乗り込みながらユリアンは言った。
「承知しました」
「それと、必要ないとは思うけど、厩舎とかの掃除をしといてほしい。
明日、ウチに王妃殿下と王太子殿下がいらっしゃる」
「…………は?」
さすがにいつも寡黙な御者のツェーザルも、疑問符を押し出した表情をした。
明日は無事休みをもらえたが、その代わりトビアスが来週どこかで休むことになった。
どちらかが倒れたらおしまいだった先月までの職場が嘘のようだ。
そして今日はトビアスが、ヴィンツェンツを家に連れて帰るらしい。
「シャファト君のお家には行ったのに、わたしの家には来ないのかい?」
拗ねるような口調で言ったトビアスだが、単にヴィンツェンツが心配でかまいたいだけだろう。
決して自分の家に帰ろうとはしないヴィンツェンツ。
彼が複雑な事情を抱えていることは知っている。
周知のことでもあるのに、それを誰にも語ろうとしないことも。
ユリアンとトビアスは、そのことをいつも心のどこかにかけていた。
こうしてそれについて思いやることができたり、また実際にできることを模索し始めたのは、きっといろいろな余裕が生まれたからだろう。
日々の業務に追われ続けていては、そこまで手を伸ばすことは難しかったのだ。
これから、ゆっくりと解いて行ければいい。
それはそれとして、まずは自分の家庭のことだ、とユリアンは思考を切り替えた。
明日、貴賓二名が来訪するという目下の課題をこなさなければならないし、それにはさらに違う課題が伴う。
家の管理についてはほぼ家令のリーナスに託していて、その優秀な仕事ぶりはこの二十年で実証されている。
普段からよく整えられた家とはいえ、今から指示を出せば、明朝にはさらに塵ひとつ見当たらないほどになるのだろう。
もてなしの準備に、なにか不足はあり得ないのでその点で憂いはない。
そして、迎える妃殿下はユリアンにとっても旧い友人であって、いくらか長い時が過ぎたとはいえ、会えることは喜ばしいと思えた。
その息子である王太子殿下も、我が子のように感じる程度には好感を抱いているし、事実ユリアンの息子であるイェルクとひとつしか年が違わないのだ。
なので、迎えることに異存はなく、むしろ楽しみですらあった。
しかし、あちらの用向きがなんなのかが気にかかった。
突然立場のある者たち二人が赴くことに、意味がないこともあるまいと思うのだが。
おそらくそれはユリアンの娘であるルドヴィカに関することであると思えたし、実際そうなのだろうとも思う。
王太子殿下に、ルドヴィカのエスコートを頼めないかという内々の打診をしたのもこちらからだ。
それはイェルクによって拒否されたため、現王ジークヴァルト陛下宛の私信をユリアンの父でありイェルクとルドヴィカの祖父であるヨーゼフに託し、辞退させていただいた。
それに対する異議申し立てであろうか。
それにしても大げさに過ぎる。
あれこれ思い悩んでも仕方がない。
エルザ嬢……エルザ王妃殿下は、昔から聡明でありながらやんちゃな女性だった。
あの方のなされることにいろいろ思いを馳せても、やすやすと想像を凌いでくれることだろうから、勘ぐりで首を絞めることはやめよう、とユリアンは笑った。
家に着き、迎えに出てきていたリーナスに外套を預けながらユリアンは言った。
「明日、エルザ妃殿下と、アーダルベルト王太子殿下がうちにみえる」
一瞬止まった後、リーナスはいつもの薄い微笑みで「かしこまりました」と言った。
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ノックをするが、部屋の中から応答はなかった。
もう一度確認のために叩く。
しかしやはり声はなく、ヨーゼフは談話室の扉をゆっくりと引き開けた。
「…………どうしたんだおまえたちは」
部屋奥のローテーブル、そしてその周囲のソファ。
強い酒の匂いに巻かれて、二人の青年が岸に打ち上げられた魚のように伸びている。
酒瓶の中身はほとんどない。
一体こんな早い時間から何をしているのだ、とため息をつきつつも、ヨーゼフは苦笑いで介抱のために侍従を呼び寄せた。
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ルドヴィカは絶句した。
それまでもほとんど絶句していたに等しいが、彼女はさらに言葉を失ってしまった。
あーーーーーーーーーーーーー‼‼
きゃーーーーーー‼
んあああああぁぁぁぁぁーーーー‼
上げたい歓声すら喉奥で止まる。
ムリムリムリ、なにこれ、尊いステキまさしく神の御業。
黙したまま筆記帳を凝視するルドヴィカに、ユーリアはおそるおそる尋ねた。
「……あの……いかがでしょうか……?」
ルドヴィカに答える術はなかった。
気が遠くなりかけているところを気合いと矜持で背を伸ばしている。
ザシャが返答を引き取った。
「なんか、ちょう気に入ったっぽいよ、お嬢様」
硬直したままルドヴィカは動けなかった。
でも心では猛然と首肯していた。
――ああ、神よ、ユーリア神よ……! わたくしはその御手の業に、なにを捧げれば良いのでしょう……!
その硬直は、ザシャが筆記帳を取り上げるまで続いた。