居眠り姫と王子様・11
今年もよろしくお願いいたします!!!
ヨーゼフはにこにことトラウムヴェルト王国国王の執務室を訪れた。
腕には国王ジークヴァルトの愛娘・メヒティルデがぶら下がっている。
「……ずいぶんと上機嫌じゃないか」
ジークヴァルトは娘に両手を広げて迎え入れようとし無視されて傷つきながら言った。
「うちの上の孫がね、どうにも可愛くてね」
「お前に言わせればいつでも可愛いだろう」
「その通りだ、わかっているじゃないか」
得意げに返すヨーゼフに、もしかしたら自分もこんな風に見えているのかもしれないと思い、ジークヴァルトは軽く反省した。
「ルイーゼのお披露目は、自分がエスコートをやる、と宣言してね」
「ほう」
それはヨーゼフの上機嫌もわかりそうなものだ。彼の長孫はそうした貴族位に伴うしきたりや文化を厭う者であると一般には目されているのだから。
「ようやく、目が覚めたか?」
「その言い方はあまり好ましくないな、ジーク。イェルクは最初からずっと本気だよ」
だからこそ悩みの種で、実際の問題でもあるだろうに、という言葉をジークヴァルトは口にしなかった。
ジークヴァルトは考える。もし自分の十七になった息子が、跡を継がない、と言い始めたら。
国のことはどうでもいい、自分は市井に降りると告げて、事実そのようにしたら。
その想定はとても恐ろしいことで、その先を考えたくはない。
ヨーゼフは、自分の孫の様子を見てどう感じているのだろう。
「よって、せっかく勧めてくれたアーダルベルト殿下の件だが、お断りすることになるかもしれない」
「それならそれで良かったじゃないか、それが正統なことなのだから」
「そうだな、そうあることが望ましい」
二人の会話を聞き、メヒティルデは「ルイーゼのはなしですか?」と尋ねる。
「そうだよ、ルイーゼがもうすぐお披露目なんだ。一緒にお祝いするために、おまえもお行儀よくしなければならないな」
「します! おいわいします!」
「礼儀作法のお稽古をちゃんとできるだろうか?」
「します!」
もう一度ジークヴァルトが腕を広げると、今度こそメヒティルデはそこに飛び込んだ。
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今日は母とともに市街地訪問の公務だった。
ガラス工芸の展示会会場に到着し、停車した馬車に使用人が昇降用階段をとりつける。
王宮騎士団と警ら隊が手分けして警備に当たり、馬車と人垣の距離は保たれていることを確認した。
扉が開くのを待って先に降り、続く母に手を差し出す。
帰国してからは初めて二人で公の場所に出るということで、アーダルベルトは完璧に王子様役を着こなす。
沸き上がる歓声に、手を上げて応えた。
隣国で羽を伸ばせていた学生時代は終わって、自国に戻ってきた以上自分はトラウムヴェルト王国王位継承権第一位の人間だ。
それにふさわしい行動を取るのは当然のことで、疑問に思うこともない。
青春はすべて隣国で済ませて置いてきた。
あとは責務を果たす日々が来る。
「アディ、あなた背が伸びたわね」
並んで歩くと、母がそうつぶやいた。
「そうですね、いくらか」
去年、夏季休暇で一時帰国したときからは約六センチ伸びている。
女性としては長身の母だが、その背を追い越したのはおそらく三年ほど前だ。
それを自覚しただけでいくらか労りの気持ちも生まれる。
父と比べてまだ年若い母だが、それでもやはり昔のようではないと思えることがある。
両親は二十四歳という年の差を乗り越えて、大恋愛の上電撃結婚をしたのだという。
当時は大きく記録に残る機密文書窃盗事件が他でもない国の中枢で起きた後で、煽り文句を並べ立てた事件|報道を《den
Teppi》一掃するにもその結婚は功を奏したと聞いている。
二十年あまりが経った今でも窃盗犯やそれを主導したと目される者を縄につけることはできておらず、文書自体の行方も知れないが、その傷を癒やすことができたのは名もなき官僚たちの働きのおかげだろう。
「母さんは、変わりはないですか」
腕を貸してエスコートする。
母は自分と同じ対外用の微笑を浮かべつつ「ええ、問題ないわ」と答えた。
会場に入って学芸員の先導に従う。
自分と母、それぞれに男性と女性がついた。
ひとつひとつの作品について説明を受けるが、興味を引かれるものはない。
それでも笑顔で「すばらしいですね」と言うのが今日のお仕事だ。
二時間ほどをかけてゆっくりと巡回する。
王室専任編集者が、最新式だとかいう写真機の箱を抱え持ち歩いている。
なんでもこれまでの銀板写真とは違い、フィルムとかいうものを用いて撮影するものらしく、日常の自然な写真を取れるのだとかなんとか。
どちらかというと、アーダルベルトは繊細なガラス細工よりもそちらの方に関心があった。
回り終えて、感想を求められる。
当たり障りのない、けれど熱のこもった調子で作品たちの美しさを褒めそやす。
その言葉を囲み記者たちが速記して行く。
王妃である母も、巧みに言い回しを変えて似たようなことを述べた。
帰りの馬車でも、窓から街道の人垣へと笑顔で手を振る。
これがアーダルベルトの日常だ。
「まだ、シャファトのお嬢さんには会っていないのでしょう?」
母もまた反対側の窓の外へ笑顔を向けている。
「はい、母さんが開いた茶会で、彼女が眠りこけてしまったのを留学前に見たきりですよ。
元気でいるとは聞きました」
「そうね、そんな前だったかしら。
わたくしもずいぶんと会っていないわ。
はやく顔合わせをしなくちゃね」
「そうですね、できれば兄の方とも会いたいな」
「あら、意外ね。
おまえはあの子を嫌っているのかと思っていたわ」
「まさか。
予測不能すぎて怖じ気ついていただけですよ」
「それはそうね。
あの子、オティーリエにそっくりなのよ」
「亡くなられたシャファト伯爵夫人ですか」
「ええ、なつかしいわ。
親友だった」
きっと今の母の笑顔は心からのものだろう。
エルザ様ー! アーダルベルト様ー! と悲鳴のような呼び声が方々から聞こえる。
「近々に、場を設けましょう。
わたくしも会いたいわ、あの子たちに」
はい、とアーダルベルトも微笑みつぶやく。
自分の責務をすべて放り出して好き勝手しているらしい幼馴染が、いったいどんな面をしているのか見られるのがたのしみだった。
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「おー、すっげー人だかり。
これ、迂回しなきゃ帰れなくね?」
ルドヴィカ所望のケーキを入手し皆で店から出ると、開口一番ザシャがそう言った。
警ら隊だけでなく騎士の姿まで見られるところから、王族関連の催しがあるのだろう。
ひとつ隣の大通りが封鎖されているらしく、どんどんと人が押し出されてくる。
「うっわー、早く出よう、ツェーザルたのむ」
イェルクはあわてて馬車に乗り込み、ザシャもそれに続いた。
しかし人波に飲み込まれ、足止めを食らってしまった。
「……最悪だ」
話したかった人が訪ねて来ているというのに、待たせてしまうことになる。
菓子の箱に顔を埋めるようにイェルクはうなだれた。
「まーまー、いいじゃん、ゆっくり行こうぜー。
で、リヒャルトって誰?」
「僕の乳兄弟」
「おー、まじか、じゃああれか、騎士になるっていう?」
「……そう、それ」
知らずにイェルクは両手を握り込んだ。
ザシャはそれに気づいたが触れなかった。
車窓の外を見る。
人の群れの中、警らと王宮騎士が声を掛け合って警備網を敷いている。
その仕事に大きな違いはなくて、貴賤はもっとないはずだった。
(……騎士じゃなくたっていいじゃないか)
そう思う気持ちがやはりある。
それと同時に、では逆は? と冷静に尋ねる自分もいる。
「……らじゃなくても、……」
人々の喧騒にかき消されて、イェルクのつぶやきは誰にも届かなかった。