居眠り姫と王子様・10
活動報告に『今日、いねむり更新できるとおもうー』と書いたばかりで更新する、この局地的有能な自分を褒めたい
強くはないものが強さを求めると、それはただの強がりで、きっと誰も笑えないことになるに違いない。
リヒャルトは、新しい寄り親となったエドゥアルトの執務室を訪ねた。
どこか悟ったような、諦めたような色を浮かべた茶色の瞳で迎えられた。きっとリヒャルトがなにを告げるか、察しているのだろう。
「……イェルクに、会ってきます」
「……ああ」
「そして、伝えます。任官はしてもらえた、と。無理をして騎士になる必要はない、と」
「……わかった」
無表情に返された言葉はただ二言だけなのに、なによりも雄弁にその気持ちを表しているように思えて、リヒャルトはその瞳をじっと見る。
私には、この人の悲しみがわからない。
わからない。
恩義を感じつつも、リヒャルトは一礼し踵を返して辞した。
リヒャルトの義を曲げることは、きっとこの人も望みはしないと思ったから。
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真っ直ぐに向かった邸宅は、幼い頃ここで過ごしたときの記憶そのままに美しかった。もうずっと顔を出さないで、ずいぶんと不義理をしてしまっている自覚はある。
トラウムヴェルト王国建国当時の功労者の子孫であるために旧き十三家に数えられているシャファト家は、リヒャルトが知り得る限りお人好ししか存在しない家系だ。
リヒャルトの家であるドレヴァンツ男爵家は、元はと言えばそれなりに裕福で、領地こそはないものの官吏としての名を成していた家柄だった。過去形なのは、リヒャルトが生まれる前にすでにその名は地に落ちて、形ばかりの不動産と気位の高さだけが家の持ち分になっていたからだ。
リヒャルトの母は子爵家で大切に育てられた三女で、世慣れた大人のように見えた父に思いを寄せて、親族の反対を押し切って結婚したのだそうだ。その結果として兄が生まれ、公務に与る身ながら家族を養うためにという名目で父は無節操な事業を繰り出し、生活を困窮させるという結果を招いた。そして父は蒸発し、母は幼い兄と、お腹にはリヒャルトを抱えた状況で露頭に迷うところだった。
助けの手を差し伸べてくれたのはシャファト家だ。現伯爵であるユリアン氏が、父の人事に関わる情報を職務上で知り、その家族にはどうしているのかと個人的な関心を示してくれた。
それはまさしくドレヴァンツへの天恵だったのだ。深い同情を覚えたシャファト伯爵は、同じくちょうど身重だった奥方のオティーリエ夫人の話し相手として、また生まれてくる子の乳母として、リヒャルトの母を雇用してくれた。
そうして、父がまた姿を表すまで、穏やかに過ごすことができた。
先触れを出さないで来てしまった。
幼少期によく遊んでくれた壮年の門衛に声をかけると、目を丸くして驚かれた。
「大きくなったなあ」
感慨深そうにしみじみと言う声に、リヒャルトは少し笑った。
よく抱き上げてくれていた彼が、自分を見上げるようになったのか。
「ご挨拶をと思ったのだけれど……イェルクは仕事ですか?」
「午前中からお嬢様の従者と外出しているよ。待ってくれ、リーナスさんに伝えよう」
ほどなくして従者の誰かが……ではなくてルドヴィカが門まで迎えに来た。
「リヒャルトお兄様! お久しゅうございます!」
飛びかかって歓迎しそうになったところを我に返って淑女の礼を取る。約五年ぶりに見る義理の妹はあまり大きくなっていなくて、昔の印象のままだった。自分が大きくなった分、かなり小さく思える。
「久しぶり、ルイーゼ。元気にしていた?」
「ええ、もちろん。お話ししたいことがたくさんありますわ!」
「そうだね、たくさん聞くことにしよう。イェルクは?」
「お遣いに行っていますの! 先にお茶をしていましょう!」
きっとルドヴィカにはドレヴァンツの窮状が知らされていないのだろう。
幼いころと変わらずに接してもらえることにちらりと痛みを感じつつ、リヒャルトは笑った。
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「なんの用だ」
ユーリアが訪ねると、手元の仕事から目を上げもせずにアロイスは言った。
もうちょい愛想よくすればいいのに。編集長ってやつは外面必要ないのかな、と思う。
「『いねむりひめ』の相談」
ユーリアも端的に答えた。
「あたし、絵本の絵って描いたことないから。どういう形態なのか、どういうお作法があるのか、知りたい。
具体的なイメージが湧いてきたの。文章とのバランスとか、そういうの含めて、どう落とし込むべきか知っておきたい」
アロイスの手が止まる。
数秒そのままの姿だったが、すぐにまた動き出して立ち上がった。そしてたくさんの書類が積まれた部屋の中を泳ぐように壁際を渡り、窓の隣にあった書棚に向き直る。手にとったのは手帳サイズの古びた本で、それをユーリアへと差し出した。
「貸す、読め」
ユーリアが受け取ると、そのままアロイスは執務机に戻って業務を再開した。
「ありがと」
笑顔とひとことを残して、ユーリアはその場を去る。
その背中を、アロイスは黙して見送った。
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「お連れ様がみえています」
店員に耳打ちされて、ザシャはあたふたするイェルクをよそ目に店の一階へと降りた。
そこにはツェーザルがいた。
「おー、ツェーザル、なに、ケーキ食いたくなったん?」
「違う。次代様に来客だ。リヒャルト様がみえたとお伝えしろ」
「誰?」
「あとで説明する」
小声でツェーザルは言う。
確かに、すごく注目されている。
「おー、わかったわー。ちょうど俺食い終わったし、ちょうどよかった。声かけてくるから待っててー」
のんびりと階段を上る。
イェルクは一生懸命なにかの質問に答えていたが、なにやら女性陣の想定した内容ではなかったらしく、一様に口をつぐんだ。
「おーい、お客さん来たから、早く帰って来いってー」
ザシャの声に、イェルクはほっとした表情で「じゃ、帰ろう」と即答した。
みなさま良いお年を―!!!