居眠り姫と王子様・9
できれば年内にもう一回更新したいです……
アーダルベルトは最近わりと機嫌が良かった。
宮内で面白そうな気配がする。
それは年が離れた自分の妹に、『フォン』を名に掲げる旧き十三家のひとつである、シャファト伯爵家の令嬢が話し相手として選出されたことに端を発している。
その令嬢が「居眠り姫」と渾名されているのを知ったのは、その件が持ち上がってからだ。
アーダルベルトは十三歳になるときにトラウムヴェルト王国の男系王族の倣い通り、隣国フロイントリッヒヴェルトへと留学に赴き、丸四年をそちらで過ごして今年の春に帰国したばかりだ。
そのせいか、シャファトの令嬢については幼い頃に赤ん坊だった彼女を見せてもらった記憶が一番強く、むしろ自分より一つ年上のその兄の方がものすごく強烈に印象に残っている。
年が近いからということで、よくその乳兄弟と共に自分の遊び相手として連れてこられていたのだ。
父が古くから信頼している寵臣の孫であり、母の親友の子どもということで無碍にはできなかったが、正直あの独特の感性にはついていけなかった。
あんな変なやつはフロイントリッヒヴェルトにもあまりいない。
帰って来てみたらその変なやつは平民の職業に就いていたし、その妹は珍妙な引きこもりになっていた。
その上夫人まで故人となっていては、シャファト伯爵はきっと禿げ上がるほどの心労を抱えていることだろう。
シャファト家のルドヴィカ嬢は毎日殿上するわけではない。
渾名の由来となった病気のゆえに制約が多いからだ。
年明けの宮廷舞踏会でお披露目を迎えることになる彼女は、睡眠障害の一種らしい。
たとえ夜中に十分の睡眠を取っていても、日中に耐え難い睡魔に襲われ実際に寝入ってしまうのだという。
診断が下されるまでに人前で眠ったことが幾度かあり、それにより噂されて今に至る。
――と、先週近習より報された。
アーダルベルトは彼女がその病気に罹患したであろう時期にちょうど隣国へと発ってしまったため、そうした事情をまるで知らなかったのだ。
そもそも、自分の妹が意思の疎通を図れるほどに成長していることに驚愕したくらいなのだから、他人の妹の状況など把握できているわけがない。
しかしそのよく知らない御令嬢を、お披露目宮廷舞踏会にてエスコートするように、とのお達しがあった。
父からの命の上母からも頭を下げられては断れるものでもなく、近く本人との顔合わせがあるはずだ。
アーダルベルトにとっても、年明けの宮廷舞踏会は帰国して初めて参加するものであり、成人を迎える記念の日だ。
どの令嬢の手を取るのかは、おそらくとても大きな話題になるだろう。
すでに隣国の皇女との婚約があるとはいえ、アーダルベルトは正当かつ唯一の男系王位継承者であり、未婚の人間だからだ。
その令嬢と御家にはトラウムヴェルト王国の後ろ盾があることを示すので、昔の習俗に倣い側室を、という声と働きをひとときでも抑えることができるに違いない。
婚約者をそれなりに気に入っていて、多情でもないアーダルベルトとしては、それは望むところだった。
――それに、あの変なやつの妹だ。
――きっと面白い令嬢に違いない。
昨日はその令嬢が召し抱えているという女性画家にもあった。
なにやら興味深い事業計画があるらしい。
帰国してから少しだけ退屈していたアーダルベルトは、積極的に頭をつっこむことに決めた。
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薄曇りの空が少しだけ低くて、ユリアンはそれがはっきりとしない自分の気持ちを表しているように思えて、職場の窓に映った湿気た表情の自分を笑った。
亡き妻を偲ぶ日をいくらか過ぎて、以前よりも自分の子どもたちのことが見えているような気持ちでいた。
気持ちだけだなあ、とあらためて思う。
人間なんて、そんなに早く変われる生き物ではないというのに。
「浮かない顔だね、どうしたの?」
同僚のトビアスがコーヒーカップを差し出しながら尋ねるのに、ユリアンは笑った。
「君は鋭いなあ」
カップを受け取ると、トビアスも笑う。
「どちらかと言うと、君がわかりやすいんだよ、シャファト君」
「そうかもしれない。
いい年のおじさんが情けないな」
「そんなことないさ、それは君の良いところでもあるんだから」
シャファト家が公のすべての社交を断って、もう丸三年になる。
息子は今年成人し、娘は年明けにお披露目の歳にまで成長した。
いつまでもこうしていられるわけではないことはわかっていたし、父であるヨーゼフが今この時を狙ってきたのは、ユリアンが家長として遅くなることなく行動するためだ。
自分はいつまでこうして甘えた人間でいるのだろう。
問題から目を背けてやり過ごしてきた時間が重い。
上司に難あれど、ユリアンは良い職場にいると思う。
こうして気遣いを示してくれる同僚がいて、職務を全うする限り誰からも責められることもなく。
忙しいことは確かだが、その気になりさえすれば家庭を優先できる。
そして今はそのときなんだろう。
いつもは空気を読まないのに、あらゆることに耳聡い上司が仕事をするようになったのも、きっとそういうことなのだ。
こうして業務時間中に一息つくことさえ可能になった。
真面目ではないけれど正確な手さばきで国璽を繰るその姿を視野に収めて、ユリアンは手渡されたコーヒーに口をつけた。
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どうにも心ここにあらずといった様子のエルヴィン医師を見て、ルドヴィカはエイリークを抱きかかえ、じっとその顔を見た。
どちらかと言うとぼんやりとした気質の医師だとは思ってはいたが、こんなにも気もそぞろなのは初めてではなかろうか。
ルドヴィカが自分のことを全力で棚に上げて心配しつつ様子を観察をしていると、それに気づいたのかエルヴィンはにわかに我に返る。
「……すまない、ルドヴィカ嬢。
考えごとをしてしまった」
「とっても難しいことを考えていらしたのですね? 目がこーんな風になっていました」
言ってルドヴィカが極限まで目を細めると、ラーラが壁際で控えめに吹き出し、それを受けてエルヴィンが鼻白む。
「……どうやら、調子が悪いらしい……今日は、もう失礼するよ」
ため息がちに告げると、エルヴィンは席を立った。
「まあ……それは大変ですわ! ラーラ、すぐにツェーザルに連絡して!」
「はい」
「いや、大丈夫だ、外の空気に当たりたい。
お気持ちだけいただく」
その声が普段よりもずっと静かで、けれど穏やかには思えなくて、ルドヴィカはもう一度主治医の顔を見た。
けれど踵を返して扉を出て行く様子に、その表情は窺えなかった。
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「えーっと……」
あっという間に椅子を移動され、イェルクとザシャのテーブルに見知らぬ女性三人が着いた。
ザシャは苦笑し、イェルクは当惑し慌てる。
「こちらにはお二人でよくいらっしゃるんですか?」
「え、いや、初めて来ました……」
「甘味がお好きなのです?」
「あ、はい、まあまあ……」
「素敵! わたしたちもです!」
ザシャは寡黙なふりをして微笑でコーヒーを口に運んでいたが、その分質問攻めにされてイェルクは萎縮する。
市井の女の子が元気なのはいいことだ、と思う。
それはこの国が健全な証だ。
――今話しかけてるのがシャファト家の嫡男だって知ったら、この子たちどう反応すんのかなー。
ザシャは少しだけいじわるなことを考えつつときおり振られる質問を躱し、姦しい中運ばれてきた食事を摂る。
遠慮なくずっと話しかけられそのたびにナイフの上げ下ろしが止まるイェルクは、恨みがましい一瞥をザシャに投げた。




