居眠り姫と王子様・7
半年ぶりです……皆さまお元気ですか……
白い花が一面に咲いている丘に沈んで行く夕日は、そこが墓地だということを加味してもとても綺麗だった。
エドゥアルトはゆったりとした足取りで、目当ての墓石の前に行く。
身に着けているのは特別儀仗服で、眠りについているその人への彼なりの敬意の表し方だった。
同行者は遠慮しているのか、距離をとってさらに後から歩いてきている。
毎年この時期に、けれど少しだけ日付をずらして、やってくるのが習慣になっていた。
けれど表向きはもう、この方とはなんの繋がりもないのだ。
悲しくて、やりきれない気持ちで、忘れがたき名前を見る。
『オティーリエ・フォン・シャファト』
イェルクの母であり、シャファト伯爵の妻であり、かつてのエドゥアルトの義姉だった。
見下ろす灰色の石は、それでもその名を刻んでいるというだけで、温もりを持っているように思えた。
「……初めて来たよ……私は」
少し離れたところに立って、クリストフは呟いた。
彼の立場では来られないだろうから。
エドゥアルトと同じで、葬儀にすら参加できなかった者のひとりだ。
クリストフは血筋の上ではイェルクのはとこに当たる。
クリストフの父が、オティーリエといとこの関係だから。
だがシャファト家とは20年の昔に断絶している。
口にすることも憚られる、あのときの事件を最後に。
「会ったことは、あるのか?」
エドゥアルトが唇を動かさずに尋ねた。
少しだけ頷いて、クリストフは微笑んだ。
「10歳のときに。
秘密裡に会う機会があって。
生まれたばかりのイェルクをね、抱っこさせてもらったよ」
「それはいいな、素敵な女性だっただろう」
「そうだな、おまえが拗らせるのが理解できるよ。
可愛らしい雰囲気の、綺麗な人だった」
「綺麗なのは外見だけじゃなかった」
エドゥアルトが注釈すると、クリストフは笑った。
「相当だな」
「おまえも傍にいたら、同じことになってたさ」
否定せずにエドゥアルトは言う。
「……義姉さんに、頼まれたんだ」
クリストフは、その話は何度も聞いたとは言わずに押し黙って、言葉の続きを待った。
「息子が生まれたら、騎士にしてほしいと。
私が寄り親になって、導くようにと」
「……知ってるよ」
そして、今はそれがエドゥアルトの心の拠り所となっていることも。
クリストフも、自身のことを思い似た者同士だな、と少し笑った。
18年前にもらった言葉は、彼の中に根付いている。
『ねえ、クリス。
わたしたちの世代ではできなくても、あなたとイェルクの世代では。
きっと、手を取り合ってね。
こんな悲しいことは、おわりにしてね』
騎士を目指したのも、そのゆえだった。
「おまえはもう、乗り越えたのか」
クリストフは尋ねた。
この優しい女性の死を、いくらか年長のこの友人は、受け入れることができたのだろうか。
「……わからない」
エドゥアルトはうつむいたまま首を振った。
それは正直な気持ちなのだろうとクリストフは思った。
彼女が亡くなったときのエドゥアルトの静かな嘆きと絶望を、クリストフは見てきたから。
クリストフは墓石に視線を移した。
子どものときに優しく微笑みかけてくれた、あの柔らかな空気の女性の名前が刻まれている。
それでもまだ、実感がわかなかった。
彼女は、この世にもういないのだということが。
****
ユーリアはとんでもない事実を突きつけられ自宅に着く直前まで馬車の中で懊悩していたが、下車するときには多少ふらつきつつも、ありがとうございましたとの礼は欠かさずにルドヴィカたちを見送った。
ルドヴィカも王太子殿下とは、幼少期に王宮に招かれた際や、母の死後に王妃殿下のはからいで茶会に呼ばれていたときに見かけたことがあるくらいで、特に個人的に関わりがあったわけではない。
写生帳を見て、相手は年長者であるにも関わらず『大きくなって……』という大人目線の感想を抱いた。
「おじい様、王太子殿下に絵本の登場人物のモデルをしていただいていいものなのですか?」
「どんな登場人物なのかにもよるだろうが……本人が良いとおっしゃっているのだろうし、明日にでも王宮に確認してみよう」
「おうじさまは、『いねむりひめ』に求婚して断られる役ですわ!」
「ははは……そうか……なんとも言えんな……」
ヨーゼフは苦笑いで応えた。
「近々おまえと王太子殿下の顔合わせの場を持とうとは思っていたよ、ルイーゼ。
いい機会だったかもしれないな」
「顔合わせですの? どうしてですか?」
「そうだな……それは明日の夕食の席にでも話そうか。
ユリアンともこのことは話し合っているが、その前にルイーゼ。
今日はおまえから、話したいことがあるだろう?」
はっとしてルドヴィカは目を見張った。
そしてザシャを見るとそっぽを向かれる。
「ひどいわ、告げ口したのね、ザシャ‼」
「ちがうちがう、状況説明‼ 俺がしたのはただの状況説明‼」
「裏切り者‼」
「違うー‼」
家に着くなり、ルドヴィカはメリッサを抱えて自室に駆け込み籠城した。
****
「で、出てこないわけだ、うちの妹ちゃんは」
あらかたの説明を受けて食後の茶をすすりながらイェルクが言った。
「なかなか繊細に育ったなあ、もっと図太いと思ってたよ」
「わたしも配慮が足りなかったよ。
もっと注意して切り出すべきだった」
「いーんじゃない? べつにじーじのせいじゃないでしょ。
そんな過保護にしたってさ、いつかは世の中出ていかなきゃならないわけだし」
長孫の言葉にヨーゼフは頷いた。
ユリアンも、現実的な息子の言に少し驚いた表情をする。
「ルイーゼも来年15歳で、年明けにはお披露目なわけだし。
このままにしとくわけにはねえ」
「そのことも含めて、今父さんとも話し合っているところだよ。
最悪、お披露目はなしかな……」
そっとため息をついたユリアンに、イェルクは早口で言い募った。
「いやないってことはないでしょ、そこなんとかするの親の仕事でしょ。
女の子がお披露目してもらえないとか、今後のルイーゼの人生にどれだけ影響すると思ってんのさ」
またしても驚かされて、ユリアンとヨーゼフは顔を見合わせた。
まさかイェルクが、貴族位の長く続くしきたりについて、かくあるべきと述べるとは思いもしなかったのだ。
「そうだな……おまえの言う通りだ。
ルイーゼの今後のことを考えるなら、わたしがしっかりしなくてはな」
いつもはとぼけていながら時折鋭いことを言う息子に、ユリアンはうれしい成長を感じ取れて微笑んだ。
「明日話そうと思っていたが……こうなったからには先におまえたちに伝えておこう。
ルイーゼのお披露目のダンスパートナーに、アーダルベルト殿下を、との陛下の御意向だ」
「え?」
ユリアンとイェルクが同じ反応をした。
「それは……大変光栄なことではありますが……」
「――ありえない」
イェルクがゆっくりと立ち上がる。
「……ルイーゼのお披露目のパートナーが? 殿下? え、今までなんの関わりもなかった? ふざけないでほしいんだけど?」
怒りをあらわにするイェルクに、ユリアンとヨーゼフは目を丸くした。
「……それは、たしかにこれまで交友はなかったね」
「陛下が、そのくらいの印象を周囲に与えたほうが、ルイーゼも社交に復帰しやすいだろうと考えてくださったのだ」
イェルクは笑い捨てた。
「ふざけんなって言ってんでしょ、ルイーゼの! お披露目の! パートナー! 僕以外に誰がいるっていうの⁉」
場が静まり返った。
「……そりゃあ、通常ならそうなるだろうけれど」
「兄が! 妹の人生のファーストダンスの! パートナーになる! これ妹を持つ! すべての兄の夢! 特権!」
え、おまえそんなにシスコンだったの、とユリアンは思った。
「いや、おまえ踊れないでしょ」
「はっ、見くびらないでもらいたいね、誰の息子だと思ってんですか」
「微妙に褒めてくれてありがとう」
「僕は! 断固! 譲りませんよ‼」
宣言するイェルクに、ヨーゼフは楽しげに大笑した。




