居眠り姫と王子様・5
5ヶ月ぶり更新になってしまいました……長らくお待たせしてしまい申し訳ありません
読んでくださるすべての方に感謝します
「手続きはすべて済んだよ」という帰宅した祖父ヨーゼフの言葉に、迎えたルドヴィカは今更ながら身を縮こまらせた。
ビンデバルト編集長から頼まれたことをすぐにでも相談したいと思うのだが、上手く言葉にならない。
「どうした、ルイーゼ?」
祖父はすぐにそんな様子に気づいて、エイリークを抱きしめるルドヴィカに近づく。
「な、なんでもありませんわ!」
跳び上がるようにルドヴィカは応え、そのまま階段を駆け上がって自室の方向へと走って行ってしまった。
それを共に眺めたザシャに、ヨーゼフは訊ねる。
「どうした? なにがあった?」
「あー……」
歯切れ悪くザシャは少し首を傾げてから、ヨーゼフに向き直って言った。
「うーん、俺が言ってもいいんですかね? お嬢様の口から聞いた方が良くないっすか?」
「とりあえず今はその言葉遣いを見逃すから話してみろ」
ヨーゼフも階段を上り、ザシャを促して応接室に入る。
「うーんと、今日、『いねむりひめ』の出版をしてくれる出版会社の編集長さんが訪ねて来たんです。
今回は、この前買った『通信販売』のドレスの件で。
なんか、編集長さん、そっちの仕事も兼任してるらしくて。
で、お嬢様に『通信販売』の広告塔になってくれっていうお願いの話だったんですよ」
「広告塔? よくまあ堂々と頼めたものだな。
で、ルイーゼは受けたのか」
「いえ、受けませんでした……というか、受けられなかった感じですが。
自信がないそうです、誰かに訊ねられて、それに返すのが」
それを聞いてヨーゼフは押し黙った。
「……なるほど、わかった。
下がっていい」
礼をとってザシャが退室すると、ヨーゼフは大きく息を吐いた。
少々乱暴だとは思っていたが、こうしてルドヴィカの殿上を取り決めたのは正解だったらしい。
自分の孫娘が生来とても快活で、とても繊細なのを知っている。
どちらもその両親から受け継いだ特質だ。
そして今ルドヴィカはひどく傷ついて臆病になってもいる。
どうしたものかとヨーゼフは思案した。
戸棚を開けていつもの蒸留酒と口広グラスを手に取る。
味見程度に注いで唇を濡らした。
これはユリアンと話し合う必要がある、とヨーゼフは窓から差し込む夕日に目を眇めた。
****
「先代様が、部屋に寄るようにと」
ユリアンが帰宅してコートをリーナスに預けると、小声でそう告げられた。
本日ルドヴィカの「お帰りなさいませ、お父様!」がなかったところを見ると、疲れ切って眠っているのだろう。
夕飯までにはまだいくらか時間があるので、ユリアンはその足で父の部屋へと向かった。
ノックすると誰何され、「ユリアンです」と名乗ると入室許可があった。
入ると壁際にザシャとラーラが控えており、共に礼を取る。
それを見てすぐにユリアンは「ルイーゼのことですか」とヨーゼフを見て訊ねた。
「そうだ、座れ。
二人もこちらに」
ユリアンが猫脚茶卓のヨーゼフの対面の席に着くと、ザシャとラーラはその側面に並んで立った。
「ザシャ、わたしに説明したことを、ユリアンに」
「えー……昼間に、童話の編集長さんが来まして。
先日の『通信販売』ドレスを見に来たんです、アデーレが仕立て直したのを。
それを見てお嬢様に、通信販売を宣伝してほしい、って言ってきたんです。
ただドレスを着ていたときに、どこで買ったか訊かれたら『通信販売です』て答えるだけだから、広告塔になってほしいって。
お嬢様自信ないって言ってたんですけど、ご家族と相談してから決めてくれないかってことでした」
目を見開いてユリアンはその言葉を受け止め、ややあってから「そうか」と一言呟いた。
「二人とも、ありがとう。
その時のルイーゼの様子を詳しく教えてくれるかな」
落ち着いた声でユリアンが告げると、ザシャとラーラは視線を交わした。
促されてもう一度ザシャが口を開く。
「本当にドレスのお披露目だと俺たちも思っていましたのでね、お嬢様もいつもの通り元気な感じで自慢してました、アデーレが直したやつ。
実際ビンデバルトさん、アデーレの腕もすごく買ってくれていましたし。
でもホントのところはお嬢様に宣伝してほしいって気持ちで来てたから、アデーレのことは二の次ですかね。
詳しくって言ってもそんなにないんですが、ビンデバルトさんがお嬢様にお願いして、それにお嬢様が動揺して、俺がちょっと口挟んだ感じです。
宣伝って言っても、ただドレスの話しするだけだろ? いいじゃん、って。
だけどそれも気持ち的にしんどいって感じだったので、ビンデバルトさんが気を利かせて今結論出さなくていいご家族とご相談の上決めてくださいって言ってくれて。
それと話の流れでアデーレが技術指導やってくれないか、なんてことになりました。
流れとしては、そんなもんっす」
一呼吸置いて「ありがとう」と言いつつ、ユリアンはラーラに目を移し「君の目からはどう見えた?」と訊ねた。
「恐れながら申し上げます、お館様。
わたくしも、ザシャと同じ意見です。
これがお嬢様のためになると」
「どうしてそう思う?」
「ドレスについての会話は、貴族位女性の交友においてとても基本的な会話でございます。
お嬢様は年明けにはお披露目をされるのですし、そろそろ人と接することに慣れていかなければなりません」
「……そうだね、そう思うよ」
「もちろんお披露目は宮廷舞踏会でするだろう?」
ヨーゼフがじっとユリアンを見つめながら言う。
その言葉にユリアンは逡巡したのちゆっくりと首を振った。
「ルイーゼに強要したいとは思いませんよ、気持ちが向いたらで十分だ」
「恐れながら。
この時機を失えば、難しいかと」
ラーラの言葉に、一同沈黙した。
****
日勤を終えて、夜勤の者に引き継ぐために日誌の記入をしていたイェルクは、ふと自分に差し掛かった影を見て顔を上げた。
同僚のテオだった。
どきりとしてインク壺を倒しかける。
ずっと互いに避けてきたから、こうしてあちらから近づいて来るなんて思いもしなかった。
言葉なく互いにその顔を見たが、いたたまれなくなりイェルクは日誌に視線を戻した。
「辞めるんだろ、警ら」
ぽつりとテオが呟いたのはやはり触れられたくはないそのことで、聞こえなかったふりをしようかと思ってはみたけれど上手く行かず、イェルクは「さぁね」と応えた。
「どうせ腰掛けなんだからさっさと辞めろよ」
吐き捨てるように言われたその言葉にイェルクは瞠目する。
「……なんだよそれ」
「どうせ貴族位の道楽だろ。
俺たちは体張って仕事してるのに、おまえみたいのがお遊びで警らやってるの、正直むかつくんだよ」
「……まじでそんなこと思ってんのか」
「もちろん。
俺だけじゃねえし、みんなそう思ってる」
「ふざけんなよ!」
立ち上がってイェルクは声を上げた。
「これまで遊びで仕事したことなんて一度だってない! 道楽だなんて考えたことも! そんなの、同じ班ならわかるだろ!」
テオは喉を鳴らして嗤った。
「わかんねえよ」
掴みかかろうとしたイェルクを周囲の者が既で捕らえた。
他の者はテオを遠くに離す。
「どうしたんだよ、テオ……なんでそんなこと、いきなり」
腕を掴んだ者に問われると、テオは無表情で言った。
「別に……はっきりしなくてイライラしたから」
そして踵を返すと部屋から出ていき、その場には沈黙が落ちた。
****
夕食の席はどこか打ち沈んだ空気で、ときおりユリアンやヨーゼフが話題を提供する他は、ただ食器の音だけが響いた。
「仕事でなにかあったのかい、イェルク?」
ユリアンが訊ねると、押し黙った後「別に」とイェルクは呟く。
「ごちそうさま……美味しかったってアルミンに伝えといて」
「はい、承知しました」
給仕にそう告げるとイェルクは席を立ち、食堂を出る。
その背を見送った後にユリアンがルドヴィカに目を移すと、食事の手があまり進んでいなかった。
「……食欲がないかい、ルイーゼ?」
声を掛けられて驚いてルドヴィカは目線を上げた。
「いえっ、そんなことはありませんわ! 美味しくいただいております!」
慌てて料理を口に運んだ。
さて、どうしようか。
ユリアンがため息を吐くと、ヨーゼフも気持ちを同じくしてそれに倣った。




