居眠り姫と王子様・3
「さあっ、新しい朝が来ましたわー!」
意気揚々と食堂に現れたルドヴィカに、イェルクは「……なんでそんなに朝から上げ気味なの」と下げ気味に呟いた。
「おはよう、ルイーゼ。
元気だね、今日はなにかいいことがあるのかい?」
席に着きながらユリアンが訊ねた。
よくぞ訊いてくれたと言わんばかりにルドヴィカは胸を張り、「ドレスのお披露目をしますの!」と言う。
「それはいいことだ、ルイーゼの可愛らしさを引き立てるものならいくらあってもいい」
ヨーゼフは新聞を下ろして大真面目に言った。
「ふーん、なんか新しく仕立てたの」
「『通信販売』のドレスを、アデーレが仕立て直したのです!とっても素敵になりましたの!それをビンデバルト様にお見せするのですわ!」
「誰、ビンデバルト様って」
「あら、お兄様は先週お会いしましたのに。
『いねむりひめ』を出版してくださる出版社の編集長様ですわ!」
「……記憶にない」
目を眇めて部屋の隅を見ながらイェルクは言った。
「それはそうですわ!お兄様二日酔いでぼろぼろでしたもの!」
「あー……あの日」
「そんなことがあったのかい?イェルクもそんな年になったんだなあ……」
感慨深げにユリアンが言い合図を送ると、給仕が始まる。
「さあ、今週もがんばろうね」
笑顔でユリアンは言った。
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「わたくしももちます!」
「いけません!」
王宮内奥御殿の王女メヒティルデの部屋において、今朝は早くからメヒティルデと侍女ナディヤの熱い戦いが繰り広げられていた。
「もう朝餉のお時間です、参りましょう!」
「わたくしももっていくのです!」
「いーけーまーせーん!」
メヒティルデが抱きかかえて離さず、ナディヤが必死に取り返そうとしているのは、長椅子に備え付けてあった何の変哲もないクッションだった。
「ルイーゼ様はご病気ですから持ち歩いているのです!殿下が持ち歩くことはなりません!」
「いやです!わたくしももちます!」
「殿下ー!」
メヒティルデはナディヤと近衛兵の腕をかいくぐり部屋を出て逃走した。
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出勤後にイェルクが警ら隊7班詰め所の壁にある当番表を確認していると、スヴェンに頭に手を置かれ、声を掛けられた。
「俺と巡るか、今日は」
少しぎこちない関係になってしまったことを悔やみながら自分からは声を掛けられなかったイェルクは、即座に「はい」と言った。
7班地区は行政区からは少し離れた住宅街で、大通りには商店が立ち並ぶ。
一軒ずつ店に顔を出しながら、変わりがないか訊ねて回った。
「おまえはどうなんだ、変わりはないか」
最後の店を覗いて挨拶を交わした後、スヴェンがイェルクに訊ねた。
「昨日も会ったじゃないですか、なにも変わりませんよ」
目を細めて笑うイェルクを見て、こいつ綺麗な顔してるな、とスヴェンは思った。
男に綺麗というのは、少し違うかもしれないけれど。
昼になる頃には露天商の天幕も回り尽くした。
どこに行ってもイェルクは笑顔で迎えられる。
関連性はわからないが、イェルクが警らするようになったあたりから商店通りにおける少額詐欺の訴えが激減した。
この班の市民が、イェルクの出自について知っているのか知らないでいるのかスヴェンにはわからない。
けれどもしかしたら、皆わかっていて、それでこうしてイェルクを受け入れているのではないか、と思うことがある。
横たわる身分という垣根をまるで存在しないかのように行動するイェルクは、こうしてスヴェンにとって当然となった今でも、やはり特別なのだ。
そのことを、この一週間、スヴェンは考え続けてきた。
難しいことを考えるのは柄じゃない。
少しだけ頭を振ってスヴェンはイェルクに向き直った。
「師匠、昼行きますか?もう少し後にします?」と訊ねてくるその顔に「ああ、行くか」と返す。
「他の班の区域の定食屋行ってみません?ニクラス師匠がいい店だって言ってたところ、行ってみたいんですけど」
「一時間で戻って来れるかあ?何班だ?」
「2班ですね」
「……いや遠いだろ」
「いや、師匠、師匠なら行ける!走れば片道15分で!」
「おまえと一緒にするなよ……」
「じゃあ2班の飲食店街入り口ゲートまで競争ってことで!」
「いやどう考えてもおまえのが早いから」
「じゃあ位置についてー、よーい」
「人の話聞け……」
「どん!」
あっという間に見えなくなった背中に、苦笑しながらスヴェンも全速力で続いた。
昨日、ランドルフ隊長と何があった?といつ訊ねるかを少し考えながら。
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「お嬢様、やはりお嬢様がお召しになられては、ビンデバルト様はゆっくりとドレスをご覧になれないのではないでしょうか」
ラーラに正論で諭され、ルドヴィカは渋々と着て迎えるという目論見を手放し、余所行きの白いキルトのカバーを纏ったエイリークを抱きしめた。
アデーレは宣言通り昨日の内に完璧にドレスを仕上げてきた。
彼女の仕事の給金を併せて考えても、このドレス一着を仕上げるのに掛かった費用は相場の四分の一程度で、特別金に困っているわけではないシャファト家だったが、女主人としての自覚があったりなかったりするルドヴィカはそのことを殊更喜んだ。
なんてお得に素敵なの!と。
「きっとビンデバルト様もびっくりされるわ!まだいらっしゃらないの?」
窓から外を眺めることも数十回、約束の時間にはまだ20分程早い。
何度も沸茶器の様子を確認しては窓に向かうことを繰り返しては、正門に馬車が乗り付けたのを見つけたとき、ルドヴィカは飛び上がるようにして玄関へと向かった。
「お待ちしておりましたわ、ビンデバルト様!お久しゅうございます!」
「先週お会いしたばかりですが。
突然の訪問をお許しくださり感謝します」
帽子を取りつつアロイスは礼をして述べた。
「まったく問題ありませんわ!ウチの衣装担当の腕をぜひご覧くださいまし!さあどうぞこちらへ!」
腕を取って引かんばかりの勢いでルドヴィカはアロイスを先導した。
その様子にも動じることなくアロイスは「はい、ではお邪魔致します」とそれに続いた。
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ヨーゼフは疲れ切った表情の王女付き侍女の切々とした訴えを聞きながら、思い至らなかった王女の発想にどうしたものか、と頭を悩ませた。
メヒティルデ王女殿下は、朝からルドヴィカの真似をしてクッションを持ち歩いては、取り上げようとする手から逃げ回っているらしい。
すでにヨーゼフ自身も反クッション陣営と思われているらしく、姿を見た途端めずらしくも逃げられた。
これはきちんと話し合わないと長期化しそうだ、と思い、ルドヴィカが殿上する手続きを一旦置いて小さな背中を追いかけた。
「殿下、メヒティルデ殿下。
お話ししましょう、出ていらっしゃい」
メヒティルデが駆け込んだ部屋は、周到にも鍵が掛けられたようだ。
「いやです!ヨーゼフもだめというのです!」と中から声が聞こえた。
「殿下、殿下。
わたしはルイーゼの祖父です。
クッションを持ち歩くことがいけないことなどとは思っていません。
ルイーゼにはそれが必要ですから。
メヒティルデ殿下、わたしとお話しましょう。
どうしてクッションを持とうと思ったのです?ルイーゼが持っているのが羨ましかった?それとも他の理由ですか?」
ややあって、返答があった。
「……うらやましくないのです!いいなとおもったのです!」
そうか、羨ましかったのか。
「殿下、殿下。
ルイーゼにとってクッションが、どんなものだかお伝えしていませんでしたね。
後でルイーゼから聞きたいですか?それとも今聞きたいですか?」
「……いまききたいのです!」
「では、ここを開けてくださいますか。
座って一緒にお話しましょう」
鍵を開ける音が聞こえ、扉が開いて小さな顔が覗いた。
「では殿下、お部屋に戻りませんか。
ナディヤ夫人の淹れた茶を飲みながらお話しましょう。
殿下には果実水を」
「……おこりませんか」
「怒りませんよ。
殿下がルイーゼを気に入ってくれたのだとわかって嬉しいですからね。
大丈夫、ナディヤ夫人も、殿下を心配しているだけですから。
一緒に戻りましょう」
ヨーゼフが手を差し出すと、ひとつ頷いてメヒティルデはその手を取った。
片手でクッションを持つのは難儀らしい。
何度も落としかけるので、ヨーゼフが「わたしがお持ちしましょう」と言うと、「けっこうです!」と大人びた返答があって、ヨーゼフは忍び笑いをした。




