居眠り姫と王子様・1
Live Novel なるサービスを用いて書きました。
後半号泣してました。
朝食の後、シャファト家の食堂では真剣な面持ちのヨーゼフと、呼び止められてこの世の終わりを見たような表情をしたザシャがふたりでいた。
「肘が上がりすぎている。
音を立ててスープをすするな、食べるように飲め。
あと、猫背に気をつけろと言っているだろう、もう一度」
怒鳴りつけても身に着かないことはこの二日でよく理解したヨーゼフは、ただひたすら淡々と述べたが、それはそれで怖い、とザシャは涙目だった。
20回に一回くらいは褒めてもらえるが、その他はひたすら「やり直し」もしくは「もう一度」だ。
30歳手前にしてまさかスプーンの使い方を学ばされるとは思わず、ザシャはため息を飲み込む。
「その……『食べるように飲め』っていうのがわからないんですけど……」
ザシャが控えめに訊ねると、ヨーゼフは一呼吸黙考してから答えた。
「固形物を口にするとき、すすりはしないだろう。
スプーンから吸い上げるのではなくて、すべてを口に含むんだ。
だから、スープ用のスプーンは形状が違う」
なるほど、と思ってやってみる。
たしかに『食べるように飲む』だった。
「そうだ、できるじゃないか」
久しぶりの20回に一回が聞けてザシャはうっかりほろっとしてしまった。
「また背中が曲がった。
最初からやり直し」
何杯でもおかわりさせられそうなスープに、ザシャは俺もうしばらくオニオンスープは飲まねえ、と心で叫んだ。
****
「ザシャはお祖父様と一緒かしら?」
廊下で行き会った侍女長のザビーネにルドヴィカが訊ねると、「はい、食堂でテーブルマナーの特訓中です」と返ってきた。
「まあ、またなのね。
ザシャも大変だけれど、お祖父様も相当お疲れになるのではないかしら。
ザビーネ、適度なところでとめて差し上げてね?」
「はい、お嬢様。
心得ております」
「では誰にお使いを頼もうかしら?ビンデバルト様からいただいたお返事にお返事をしたいの。
誰か動ける?」
「はい、わたくしでお預かりし、従僕の誰かに届けさせましょう」
「ありがとう、お願いね」
手紙を託して微笑み、ルドヴィカはいそいそと衣装部屋へと向かった。
ノックをすると衣装部屋担当侍女のアデーレの返事があった。
「わたくしよ。
ちょっといいかしら」
すぐに扉は開いて招じ入れられ、椅子を出されたがルドヴィカはそれを留めた。
「あのね、ビンデバルト様の件なのだけれど。
昨日お断りの手紙を差し上げたら、すぐにお返事をくださってね、今そのまたお返事を書いたところなの。
商品開発の参考のために、アデーレがドレスをどうアレンジしたかを見たいのですって。
いいですよってお伝えしたわ、いいわよね?」
きらきらとした瞳で告げる主に、アデーレは悲壮な表情をした。
「いつでしょうか」
「あした!」
なんとなくそうだろうな、と直感していたアデーレは一瞬肩を落としたが、すぐに職人の顔に戻った。
「承知しました、では明日までに完璧に致しましょう」
「まあ!」
目を真ん丸にしてルドヴィカはアデーレに訊ねる。
「今のあの状態は、完璧ではないというのですか?!」
「はい、まだ裏地のしつけを解しておりませんし、共布の装飾品も未完成です。
刺繍もまだ部分的にしか施していませんし。
が、今日の夕方までには仕上げてお見せいたしましょう」
「さすがよ、アデーレ、あなた素敵だわ!」
ルドヴィカはアデーレの手を取ってぶんぶんと上下させる。
「恐れ入ります」
控えめながらアデーレは微笑みを返した。
****
退寮挨拶をするために、王国騎士団第三師団独身寮寮長の元へと行こうとしたリヒャルトだったが、小さくまとまった自分の荷物に触れたとき、どうしてもそこから動けない気持ちになってしまって俯いた。
たかだか数ヶ月のことではない。
この部屋に丸四年、彼が騎士・フェルディナント・ゲゼルの寄り子、また小姓として仕えることになった日からずっと、この部屋がリヒャルトの居場所だった。
夢を夢のままにしたくなくて、随分とわがままを通して今があった。
通常ならばリヒャルトは領地を持たないドレヴァンツ男爵家の次男として、父のように文官を目指すなり市井で働くなりするべきだったのだ。
実際小さなときはそれが当然だと思っていた。
夢は所詮夢なのだと思っていた。
だからあるとき、乳兄弟であるイェルクに胸の内を明かされたその瞬間、目の前の景色が一変したように思えた。
イェルクはリヒャルトに告げた。
警らになりたいのだ、と。
それはリヒャルトが騎士になるよりもさらに険しい道程のように思えた。
実際そうだった。
真っ直ぐな瞳でイェルクは困難に臨んで行った。
父であるシャファト伯爵との激しいやりとりを物ともせず、身一つで家を出ようとすらしたことは、リヒャルトの記憶に鮮明に焼き付いている。
目の前で起きていることが信じられなくて、けれど焼けるように妬ましくて、銀板写真に刻むようにそのすべてを胸にしまった。
あの出来事がなければリヒャルトは、「騎士になりたい」という願いを口にすることなどあり得なかったのだ。
そしてその道は拓かれた。
今もまた、イェルクによって。
誰よりも親しい友人でありたいと思っているのに、リヒャルトはイェルクを利用してばかりだった。
そのことに嫌気が差して、けれど今更だ、と彼は嗤った。
嫌われたら楽なんだろう。
けれどそれを確かめる勇気もない。
実際、今こうして立ち竦んでいるのは、何の覚悟もないからだ。
大切に思っているものを手放す覚悟。
そして、身勝手な感謝を伝える覚悟。
イェルクに……そしてフェルディナントに。
ノックがなされてリヒャルトは驚いて深い思考から舞い戻った。
「リヒャルト……いるか?」
その声にさらに驚き、咄嗟に返事ができない。
何拍か後に我に返って、慌てて扉へと駆け寄った。
けれどそれを開けることができなくて、そのまま「はい、おります」とリヒャルトは応えた。
「……おまえのことだから、きっと落ち込んでいるだろうと思ってな。
今回のことは、おめでとう。
なにも憂うことなく、第二師団に行けよ。
おまえが騎士になれるのは、私も嬉しい」
その優しい声色に堪えられなくなった涙が溢れた。
扉を開けてそこにいる人に飛びつく。
いつの間にかリヒャルトも並ぶようになった上背のその人。
「フェルディナント様!」
言葉にならなくて、ただ涙だけが次から次へとリヒャルトを雄弁にした。
顔を上げられなくて、イェルクにしたときのようにその肩に頭を預けた。
「おまえ、でかくなったよなあ」
フェルディナントはぐしゃぐしゃとリヒャルトの頭を掻き撫でた。
「昔は、私の胸くらいしかなかった」
思い出ばかりが迫ってきて、さらにリヒャルトは何も言えない。
「……おまえの寄り親になれて、よかったよ、リヒャルト」
嗚咽を止めることができなくて、けれど言わなければならないことがあって、リヒャルトは息を飲み込んだ。
上手く呼吸が出来ない。
思うように声が出ない。
「がんばれよ」
体を離してリヒャルトは腰を折って深々と頭を下げた。
涙が床を濡らした。
「お世話になりました!」
少し後に大きなため息が聴こえて、かすかに掠れた声が振ってきた。
「そういうのやめろよ……こっちまで泣けてくるだろ」
茶化すような非難に、リヒャルトは体を起こす。
「これまでのご指導、ご鞭撻、本当にありがとうございました。
……ありがとうございました!」
「……だからやめろって」
互いに潤んだ同じ色の瞳を見た。
抱き合って、泣いたり笑ったりした。




