「くっ、殺せ!」
◆
それは。
それは悲しい物語。
あるいは人と魔物が戦う血を血で洗う戦乱の物語。
あるところに騎士がおりました。
その騎士は大陸の半分を占める一番大きな国の騎士でした。
騎士は女の身でありながら幾多の魔物との抗争で、それはそれは多くの、それはそれは大きな戦果をあげていました。
彼女は勇ましく、そして強く、なによりも優しかった。
年の数を数えるのに両手では足りなくなった頃から彼女は十数年を騎士団の中で生きていました。
優秀であってもやはり騎士の世界は男の世界。
戦場の他にも、彼女はよく諍いに巻き込まれることもしばしばでした。
しかし。
彼女の持ち前の明るさや人間性もあってか、成人する頃には馬鹿にされる対象から騎士団の中心的存在にまでのし上がっていきました。
いくつもの死線をくぐり抜けてきた彼女は周りからこう呼ばれるようになりました。
『天健の戦乙女』
彼女の戦う姿になぞらえたその二つ名は次第に大陸全土、はたまた魔物の国にまで轟くようになっていきました。
国の英雄と呼ばれる頃。
彼女は騎士団の団長になっていました。
数々の苦難を誰よりも乗り越えてきたのだから当然でした。
彼女は団長に任命される式典でこのように語っています。
「私はこの騎士団で多くのものを得てきました。国民が認めてくれる栄誉を。魔物を屠る力を。背を預けられる仲間を。しかし、同時に失ったものがあります。それは私の未来だ!」
この式典には国王も、大国を動かす名だたる人物、もちろん所属する騎士団も揃って出席している中で、臆すことなく彼女は述べました。
「―――――私の未来は人類に捧げた。国に、国民に、騎士団諸君に捧げた。それで満足だ。………これからも、私が戦い続ける限り! 人類は、明日を迎え続ける!!」
彼女は暗雲を許しません。
人々の頭上に漂うそれをただひたすらに薙ぎ払うことをここに誓いを立てたのでした。
新たな騎士団長に、国中が、大陸中が、全人類が、熱狂しました。
なぜならば。
長い間、頑なに動こうとしなかった人間と魔物の均衡を壊したからです。
今まで魔物に襲われるだけだった人類が。
奪われて、守ることだけしかできなかった人類が。
ついに。
魔物の国に大規模な戦争を仕掛けることを叶えました。
これで、やっと。
「蹂躙されるだけだった人間が反撃を開始する時代がやってくる!」
と、騎士団長に成り上がった彼女だけでなく、すべての人々が―――――
―――――勘違いをしたのです。
「離せ! 汚らわしい魔物が私に触るんじゃない!!」
「貴様が我の国で暴れている騎士団の長か……話の通り本当にメスとはな」
「黙れ!! お前が魔王か?!」
多くの国から戦力を集め、彼女を最高指揮官に置いた魔物の国を攻め落とすための聖騎士団が、今もなお敵と戦っているというのに。
人類最後の砦である彼女だけが魔物の王の下に攫われてしまいました。
「大人しく自分達の縄張りで粋がっておればいいものを………ククク、我の領域にまで侵そうとするからこうなるのだ……」
「五月蠅い! 体さえ動いていればお前の首など……ッ! すぐに飛ばしてくれる!!」
「クッハッハッハ……威勢が良いなぁ、メスの人間。魔法も使えぬ人間のくせに我が同胞を殺してくれただけはある」
「ま、まほう!? そ、それが……この力の正体か………!?」
「よく頑張った、とだけ言ってやろう『天健の戦乙女』。………我に歯向かったことを貴様が人間を代表して後悔してもらおうか」
そう言って、魔王は大きな躰を持ちながらも彼女のそばに、ほんの刹那で移動しました。
たったそれだけ。
たったそれだけの人間には真似できない離れ業を見せつけられてしまっては普通であれば屈してしまいます。
普通の人であれば。
しかし、彼女はまだ体の自由を奪われ、今まさに魔王に頭を掴まれているこの瞬間にも、起死回生の機会をうかがっていました。
「……ほう。まだ絶望せぬか」
「誰に言っている……魔王………私は人を守る騎士団の団長だ! 最後まで諦めてなるものか……!!」
「結構。………ならばこのまま頭を潰すのではなく―――――操るとするか」
その言葉を最後に彼女は意識を無くしました。
「さて、貴様は何人殺せば絶望するのだろうな?」
次に彼女が意識を戻したとき。
そこは地獄でした。
地獄のような光景でした。
見渡すかぎり死体の山でした。
魔物の死体ではありません。
全てが人でした。
鎧、剣、盾、鎧、槍、剣、剣、鎧、矢、鎧、剣、弓、盾、槍、…………
頭、腕、足、胴、胴、胴、胴、頭、目、腕、足、頭、頭、頭、…………
ぐちゃぐちゃでした。
どろどろでした。
真っ赤でした。
真っ黒でした。
彼女はこの光景を見て、何がなんだかわかりませんでした。
なぜ自分だけがここに立っているのか。
生きている者がいないのか。
目を覆いたいのに、手が動かないのはなんでなんだ!
『なぜか、と聞いたな?』
"この声は…………"
彼女の頭の中で魔王の声が響きます。
『こやつらは全て! 貴様が殺したのだ』
"な、なにを……言っているんだ………"
『信じられぬか? ならば証拠を見せてやろう』
それから彼女は意識を失っていた時間のすべてを知ることになりました。
魔王の下から仲間の場所に飛ばされたこと。
自分の安否を確認する、心配しているけど嬉しそうな仲間たちの顔。
そして。
その顔を持っていた剣で切り捨てたこと。
"うああああああああああああああああああああああああ!!!!!"
最初に殺したのは幼馴染の男でした。
次に殺したのはずっと自分を慕ってくれていた後輩でした。
次は育ててくれた元団長でした。
次は自分で育て上げた直属の隊でした。
次は何度も命を助けてくれた他国の部隊でした
次はお世話になっていた衛生兵でした。
次は
次は
次は
次は
次は
次は
次は
次は
次は
"あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!"
『理解したか? すべては貴様がしたことだ。………いや、貴様の体が正確か』
"こんなの幻覚だ!!!!! 幻だ!!!!! そうだ………そうに決まっている!!!!!"
『否。事実だ。すべては我の魔法で、貴様の力だ。』
"嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだうそだうそだうそだうそだ…………"
『今度は意識はそのままだ。次は……人間の国を滅ぼしてもらうとするか』
"やめてくれ……いやだ………そんなこと…………"
すでに以前までの強くて、勇ましくて、誰よりも自信溢れる彼女は消えていました。
『天健の戦乙女』は死にました。
ここにはもう、一人の女の子しかいませんでした。
無力で、矮小で、可憐な。
それから。
彼女はさらなる地獄を見ることになりました。
意思に反して動く体。
誰にも壊すことができない見えない盾。
怒りに染まった顔。
死に対する純粋な涙。
子を守る親。親に守られる子。
恋人同士で寄り添う姿。
祈りだす人々。
血。
血。
血。
血。
血。
"くっ、殺せ……殺して……殺して……殺してよ………殺してくれ…………"
彼女の願いは人を殺さないようにすることではなく、自分が死ぬことになっていきました。
その願いが叶う頃には世界から人間は滅んでいました。
人と魔物が戦う物語?
全然違いました。
これはただの魔物の物語でした。
その気になればいつでも人間を滅ぼせた魔王が。
哀れな魔物をつくった。
それだけの物語でした。
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