プロローグ
「ここ10年、若者や高齢者の自殺が多発しています」
とうの昔に、時代遅れの産物となってしまった液晶テレビから、若い女性アナウンサーの声が聞こえてくる。
アナウンサーという職業も時代遅れだ。今や、渡された原稿を言われたとおりにただ読み上げることしかできない、無能な人間が就く職業である。
そんなもの合成音声に任せればいいのに……。
アナウンサーの女性は満面の笑みを作り、水着姿で自殺がテーマのニュースを読み上げ続ける。
「特に若者の自殺問題は深刻で、この世に生を受けても、高校生になるまでにその半数の子どもが自らの命を絶ち」
「下品だな」
俺はそう呟いて、知人から譲り受けたテレビを消した。
「下品なのはお兄ちゃんでしょ。私知ってるよ、トイレから出るとき、いつもお兄ちゃんが手を洗わないことを」妹のベクタがため息を吐く。「ねえ、暇なんだけど。暇すぎて、お兄ちゃんを殺してみたくなっちゃうんだけど。殺されたくなかったら、私を遊びに連れてって」
「……遊びに誘っているのか、それとも脅迫しているのか、判断に迷うセリフだな」
「どっちもだよ」
「どっちも!? 俺を殺したら、俺と遊べなくなるぞ」
「その時は私も死ぬから大丈夫。死後の世界で二人仲良く、また遊べるよ」
「止めろ! 俺はまだ死にたくない。この世界の終焉を見届けるまでは死ねないんだ」
「ふーん」ベクタは愉快そうに鼻を鳴らした。「世界が終わりを迎える日なら、割と近いと思うよ。テレビのお姉さんも言ってたじゃない。量子転送装置ができてから早10年、若者と年寄り中心に、自殺者は増え続けている」
「このまま人がどんどん死に続ければ、世界は滅びるってか? 馬鹿馬鹿しい。この世界に、人間があと何人残っていると思ってる」
「さあね。私は興味ないから知らなーい」ベクタはそう言うと、ベッドの上で足をバタバタさせた。「そんなことより、遊びに行こーよ。ねえ、行こーよ」
「ふむ……」
俺は腕時計を見た。現在時刻は午前11時。あと1時間ほどでお昼だ。
「そうだな。遊びに行こうか。ついでに、どこかで昼食を食べよう」
「賛成! 私、スパゲッティが食べたい」
「じゃあ、昼はフランス料理に決定だな」
「……お兄ちゃん、スパゲッティはイタリア料理だよ」
「そうか。ベクタはやっぱりすごいな。俺が知らないことを、何でも知ってる」
「……いや、お兄ちゃんが馬鹿なだけだから。お兄ちゃんはもう少し、自分が馬鹿だということを自覚した方だいいよ。そうした方が、生きていくうえでお得だよ」
「な、なにを言っている。俺は馬鹿じゃない。馬鹿と言った方が、馬鹿なんだ。くらえ、ブーメラン」
「その台詞、すっごく馬鹿っぽいよ……」
ベクタは悲しそうに目を細めた。
「ところで、遊びには行かないのか?」
「いくいくー」妹はベッドの上で両手を伸ばした。「お兄ちゃん、ほれ」
「はいはい」
俺はベクタの両腕を首に回させ、彼女をおんぶした。
「わー、高いね」
「皮肉か?」
俺の身長は165センチ。日本の男性平均身長を10cmも下回っている。
「皮肉だよー」
ベクタはにやにやと蠱惑的に微笑んだ。妹の温かい吐息が首筋にかかる。
「これ以上嫌味なことを言うと、突き落とすぞ」
「お兄ちゃんはそんなことできないでしょー?」ベクタは首に回す腕に、やや力を込めた。「意地悪するお兄ちゃんなんて、絞め殺しちゃう」
「……まったく。さっきから意地悪いこと言ってるのは、お前の方なんだけどなー」
妹を背負ったまま玄関を出ると、綺麗な街並みが見渡せた。高層ビルが乱立しているが、そこに生命の気配はなく、ただただ静かだった。
ここは高層マンションの40階。
この40階フロアのすべてが、俺たち兄妹の所有物である。
近年の大ブームであり、大問題である自殺のおかげで、土地や不動産の価値は大暴落している。そこに住む人間がいなくなってしまうのだから、地価が下がるのも当然だ。
だから、俺たちのような学生であっても、住む場所に困るようなことはない。
「お兄ちゃん。この東京にたくさんの人がいた時って、どんな様子だったの? 都市はこんなにも美しかったの?」
「さあね。俺だって、昔の記憶なんてほとんどない。大規模な転送装置が開発されて、自殺することがすなわち、死後の世界に転生することになったのが、およそ10年前だろ? 俺はまだ9歳だ」
「私は4歳」
ベクタは四本の指を、俺の目の前に突き出した。
「あの頃は俺もまだ子供だったし、東京は楽しかったよ。都市部では人があふれていて、すごかった」
「へー。なんか騒がしそうだね」
「喧騒としていたよ。それが良かった」
エレベータに乗って、地下まで一気に降りる。
電気はまだ供給されているが、技術者たちが全員自殺してしまえば、電気はこの世界から消えてしまうのだろうか。
「人間なんていなくても、電気は世界に存在し続けるよ。雷だって電気だし」
「確かにそうだな」
俺の妹であるベクタは、俺に似ずに、かなり勉強ができるようだった。
飛び級して、今は俺と同じ都内の国立大学に通っている。
少子化に加え、若者たちは次々と自殺を繰り返すので、中学校も高校も大学も、私立のものは経営が成り立たなくなってほとんど潰れてしまった。
「みんな受験勉強を頑張ってたのになー」地下にある駐車場につくと、俺は背中に張り付いている妹に尋ねた。「なあ、努力する意味ってなんだと思う? 結局、最終的にみんな死ぬわけで、死んでしまったらこれまでの努力なんて意味なくなる。なのに、どうして人は努力をするのだろうか?」
「生きるためでしょ?」妹は言った。「お兄ちゃんはもう少し努力するべきだよ」
「前向きに検討しておきます」
「検討なんかしなくていいから、実行に移せー。コンパイルしろー」
ぽかぽかと、妹が後ろから頭を叩いてきた。
俺はそれを無視して、妹を車の助手席に乗せる。
「もーっ! 雑! 私だって女の子なんだから、もっと大切に扱ってよ!」
「大切になったら、大切に扱ってみるよ」
助手席の扉を閉め、足早に俺は運転席に乗り込んだ。
「足の具合はどうだ?」俺はエンジンをかけながら尋ねた。「痛くないか?」
「うん。大丈夫」妹は自身の両足に取り付けられている義足を撫でながら言った。「もしかして、心配してくれたの?」
「大切な妹だからな」
「あ、もしかしてー。さっき私に言ったこと、後悔してるんでしょ?」ベクタは車を運転する俺の顔を覗き込んできた。「お兄ちゃん、顔が赤面してるよ。そんなお兄ちゃんが可愛いよ」
「お前は相変わらず可愛くないな」
駐車場から車を出すと、唐突に視界が開けた。
太陽の放つ強い光が眩しかった。車内からでも、自然の温かみを全身に感じることができた。
車はまばらにだが、何台か街中を走っている。この静寂な世界にも、人間はまだ残っているということだ。
「私の足」車が首都高速に入ったのとほぼ同時に、たった今思い出したような口調でベクタが呟いた。「私の足、死ねば普通になるのかな? 死ねば両足で立つことができるのかな? 死ねばお兄ちゃんと一緒に、並んで歩くことが出来るのかな?」
俺はその質問にすぐに答えることが出来なかった。
伝えたいことははっきりとしているのだが、上手く言葉にできない。
「……あ」
唐突に視界が反転する。
身体が宙に浮くのを感じる。
いや、身体ではない。車が宙に浮いたのだ。
おぞましい破裂音。隣から聞こえる妹の悲鳴。
見れば、助手席側から4トントラックが突っ込んできていた。
「これは死ぬかもなー……」
事故の瞬間、俺は別に死んでもいいと思った。
どうせ、死んでも生き返るのだから。
どうせまた、妹に会えるのだから。
「ようこそ。死後の世界へ」
意識が戻ると、まだ30代くらいの男が椅子に座っていた。髪の毛は薄かったが、眼鏡の下から覗く鋭い眼差しが、見る者に若々しい印象を与える。
部屋には数台のパソコンが置いてあるだけで、無機質で閑散としており、死後の世界というよりは理論系の研究室のようだった。
「君は学生か?」
俺は頷いた。
「学校にはちゃんと行ってる?」
俺の妹みたいなこと言うな、と突っ込もうかと思ったけれど、それは止めておいた。
死んだ直後だからなのか、身体は水に沈んだように重く、喋る気力すらわかない。
「その様子じゃ、行ってないね」男は無表情でそう言うと、用紙とペンを俺に差し出した。「ここに、希望の職業を書いてね」
「死後の世界で進路希望調査!?」
「なんだ、君。喋れるじゃないか」
「当たり前です」
「当たり前?」彼は首を傾げた。「その考え方はよくないよ。この世に当たり前なんてない。喋ることのできない人間なんて、君が知らないだけで実際はたくさんいる。無知は罪だ」
俺は「はあ」と生返事をして、渡された紙面に目を落とした。
希望する職業を下から選択し、その横に割り振られた番号を与えられた空白に記入せよ。
希望職業:
1、剣士
2、検視官
3、犬歯を抜く人
……どうやら、けんし関係の職業しか希望できないらしい。
ふざけやがって。
面白くねーんだよ、くそ眼鏡。
「他の職業はないんですか?」俺は尋ねた。
「君、なにか資格とか持ってる?」
「資格? ……英検と漢検なら持ってますけど」
「そんなものじゃ、他の職業を希望することなんてできないよ。死後の世界では、英語も漢字も役に立たないんだから」男は椅子を引いて足を組んだ。「職業難のこの時代だよ? 無資格でも仕事に就けるだけ有難いと思わなきゃ。さあ、この選択肢の中から職業を選びなさい」
彼は用紙をぐいぐいとこちらの方に押しやった。
「じゃ、じゃあ剣士で……」
紙面に名前を記入してから、与えられた番号を書く。
勢いに任せて、書類に「2」と記入してしまったが、思えば剣士ってなんだ。
死後の世界で、剣でも振って戦えというのだろうか。
「剣士? 君のようなひょろひょろに、剣士が務まるとは思えないが」男は不思議そうに眉を顰め、俺の顔を見つめた。「まあ、いいだろう。では、死後の世界へ旅立ちなさい。あと、もう生き返れないから、次は死なないように」
突如、目の前が真っ暗になった。