薬師
ーー夢を見た。
その夢はどこにでもある孤独。
一人の十四、五くらいの少女がいた。
その少女はいつも一人で狭いアパートの一室で留守番をする。
父と母はたまにしか帰ってこない。
どちらも愛人のところへ行き、少女は一人うずくまる。
父はもう数年も見ていない。
母は時々は様子を見に来てくれるが、数日分のカップ麺の入った袋を置いていくだけで、少女とは一言交わしてすぐに出て言ってしまう。
少女は痩せ細った体で、置いていかれたカップ麺の蓋を開け、お湯も入れずに麺をボロボロと齧りだす。
中学生になる少女だ。
普通ならばたいていのことは一人でできる。
しかし、電気や水道などのライフラインも止められ、少女の存在は世間から認知されず学校にすら通っていない。
故に少女はなにも知らない。
生まれた頃からこの狭いアパートの中でしか、彼女の世界は構築されない。
日の当たる世界では彼女くらいの子らは中学校に通い、青春を謳歌し、異性に想いを寄せる頃であろう。
しかし、少女はこの狭いアパートの一室と記憶には薄い父と、たまにしか来ない母が全てである。
だから、少女は願う。
当たり前の生活をではない。
恵まれた環境を望むわけでもない。
ただ、願う。
ーーお父さんと、お母さんに会いたい。
骨と皮でしかない細腕を天井に伸ばし、死にかけの少女は思う。
生まれてこのかた父と母以外と言葉を交わしたことはない。
十数年間、このアパートの外から出たことのない少女にとってはただ父と母が全て。
少女は父と母を思いながら衰弱する。
そして、目を閉じこの世を終える。
"私"はそんな少女の終わりを、ゴミだらけの部屋の片隅からただ見るだけ。
"私"にはただ彼女の願いを、【聞く】ことしかできない。
✳︎✳︎✳︎
ーー私は誰だ?
【桜井 命】か?
それとも【白鷺 雪】か?
いや、もうその答えは出ている。
私は【白鷺 雪】であり、【白鷺 雪】として生きていく事を、数ヶ月前の異変で決めた事だ。
故に、今頃になって目の前に【桜井 命】と名乗り出る輩が現れても気にはしても、こんなに動揺する必要はないはずだ。
それに、【桜井 命】として生きてきた前世のことは既に昔のことすぎて覚えてもいない。
はたして私は【桜井 命】として生きてきたことがあったのだろうか? そう思えるほどに私の中から【桜井 命】として生きた記憶がなくなっている。
むしろ【白鷺 雪】として生きてきた記憶の方が鮮明であり、【桜井 命】よりも【白鷺 雪】として過ごしてきた幼少期のことの方がひどく覚えている。
というより、【桜井 命】という存在はあの頃の私が作り出した妄想であると思ってもおかしくなく、今となってはその名すら忘れかけているほどでもあった。
なのに、なぜ今頃になってその名を、【桜井 命】と名乗るものが現れ、さらに私と写し鏡の様に似ている少女が現れたのか。
私は疑心に思いながら後ろを歩く、黒髪の少女をチラリと見る。
「いやー、うっかり幻想郷に来た時に杖を無くしてしまってね。それも見知らぬ場所だから一人で満足に歩けないから、こうやって親切に介助してもらって本当に助かるよ」
「いいってもんよ。それよりただでさえ見知らぬ土地にいきなり来たってだけじゃなくて、そこから目が見えない状態なのに命って意外に冷静なんだな」
「まあな。生まれた頃から視力が弱いから、知らない場所に気づいたらいるっていう状況は慣れてるのさ」
「ほー、そんなもんなのか」
背後で魔理沙と楽しげに話す私のそっくりさん。
私は再び私と同じ見た目で、声で話す彼女を見て小さな恐怖を感じる。
得体が知れず、自分とこれほどに似る人物が目の前にいるのだ。
彼女の前で動揺を隠せている事に褒めて欲しいくらいだ。
「ほーん、あれが噂の双子なー。くりそつだなー」
私の隣を歩く私と背格好の似る藤原 妹紅がそう呟きながら呑気に笑っている。
私はそんな彼女をみて、他人事だと思ってと小さく呟く。
私たちは現在、幻想郷の一部に位置する迷いの竹林というだだっ広い竹林の中を歩いている。
そして目的地としてはその竹林の中にあるという永遠亭であり、私の背後を歩く桜井 命の自称見えないという目を見てもらおうという事でそこにいる医者に見てもらうそうだ。
なんでも、そこの医者は外の世界に住む医者よりも数段に腕が上という事で、外の世界では手がつけられなかったことでもそこに行けばどうにかなるかもしれないということでだ。
そして、もし治れば幻想郷で暮らすにせよ外に戻るにせよ便利だろということらしい。
まあ、本人曰く外に戻る気はないらしく、理由を尋ねてもヘラヘラと笑って誤魔化し続け、答える気が本人にないので、その件については保留にしている。
私に言わせれば怪しさしかないが、どうにも幻想郷のやつらの多くは他人を信じすぎているのか、自身を過信しているのか、他人に対して軽い気がする。
今日はこの後に人里で会議があるからと別れた慧音先生に至っては、泊まるアテがないなら暫く私の家で過ごせば良いとか言うし……。
ちなみに今ここにいるメンツは私と妹紅、魔理沙と桜井 命のみであり、先ほどまで一緒にいた慧音先生は先ほども述べた様に私用で、霊夢に関してはメンドいから後は頼んだと丸投げである。
そして、仕方がないから神社から竹林まで三人で移動したが、竹林の入り口前でたまたま妹紅と出会い、面白そうだからという事で一緒についてくる事になったのである。
「ま、せいぜいお前の旦那に見間違えられて寝取られたりしないよう気をつけるんだな」
「……そんなことは……ない、と信じたい」
ここ最近は私としか寝てないって言ってたし、別の女の匂いもしないから大丈夫だとは思いたい。
というか見間違えられることよりも、雪ニャン二人で雪ニャン丼ですぅ、とか言いながら喜びそう。
まあ、私が二人の状況とか今までなかったから知らんけど。
「その言い切らないところ、やっぱりお前だわ」
呆れた様子で呟く妹紅。
私はそんな一番の友達と思える彼女と話す事で桜井 命に対する不安をほんの少し取り除かれた気がした。
✳︎✳︎✳︎
あれから暫く歩き、どれほどか歩いたところで目的地の場所に着く。
そして、現在は目的である桜井 命の診察中である。
「うーん、見たところ目に異常は見られないわね……」
診察室、といつか立派なソファのある応接室のようなところで桜井 命の目に光を当てながら考え込む変わった配色のナース服を着る女性。
名を八意 永琳といい、この永遠亭で医者……というより薬師をしているらしく、この人とはまた別に永遠亭の家主がいるとか。
そして、妹紅がその家主に用があるといい永遠亭について早々どこかに行ってしまった。
なんか鼻歌を歌いながらその家主の部屋に向かっていったので、私といるよりも楽しそうじゃない?、と少し嫉妬するところもあったが、私には斬乂がいるし、もしかしたら妹紅にも春が来たかもしれないので温かい目で見守ってやろう。
と、いう考えは数分後に爆発とともに屋敷が揺れ、妹紅の怒号と誰かの叫び声が聞こえたことから、それはないと直ぐに頭の中で訂正した。
なので、なぜか暴れ回る妹紅はさて置き、現在は八意薬師と桜井 命、付き添いの魔理沙と私のみである。
「目は生まれた時から?」
「ええ、そうです」
「指は何本に見える?」
「んー、二……いや三本?」
「ーーっいた!?」
「ふむ、顔にものを投げつけられても避けるどころか瞬きをしないとなると反射神経もなし……、そしてロクにものも見えてない感じと」
カレーにすきやき、洋風にオムライスなんかも……、味噌は切らしてるから味噌系はなしだな。
私は淡々と行われる桜井 命に対する八意薬師の医療的質問に耳を傾けながら、そんな感じに今日の夕飯は何にしようと考えていた。
というか、付き添いには魔理沙だけで十分だった気がする。
もうそろそろ夕飯の準備をしないと斬乂の帰りに間に合わないのだが……。
「見たところ異常はないけど、簡単な検査からしては目が見えてないのは確かね」
「外の世界でも医者にそう言われ匙を投げられたさ。生まれつきのよくわからない病さ」
「……生まれつき、ね。一応は脳検査もしておきましょうか」
八意薬師は眉間にシワを寄せながら、「うどんげー!!」と大きな声で呼び、すぐに廊下の方からドタバタと足音が聞こえ、桜井 命とはまた少し違う制服姿のうさ耳少女が部屋の戸を開ける。
「どうしました師匠ー?」
「ちょっとその子の脳と目のレントゲン検査をお願いするわ」
「了解です! では、こちらへ」
「あ、そうそう。あなたは少しここに残ってちょうだい」
そう言われて桜井 命と魔理沙は立ち上がり、私もついていこうとすると、なぜか八意薬師に呼び止められる。
私はなぜ? と思いながら渋々、魔理沙に先に行くように促し、桜井 命を連れて出て言った。
そして、初対面である八意薬師と向き合いながら私は残され、変な緊張感を覚えるもすぐに八意薬師の会話から切り出された。
「ふふ、悪いわね。貴女とは初対面……というより噂をかねがね聞いてるから一度話を聞いてみたかったのよ」
「は、はあ……」
噂ってなんだろう?
私の噂でろくなものを聞いたことがないのだが……。
特に私と斬乂関係で。
「名前は、雪であってたかしら?」
「あ、ああ、そうだな」
「ふふ、話し方までさっきの黒髪の娘とそっくりね」
彼女はくすくすと笑うも悪気は感じられない。
それに私もそう思うので特に反論はない。
しかし、私だけ残されたのが気にかかるので聞いてみることにする。
「で、私になにか用か?」
「言ったでしょう? 一度話して見たかっただけだって」
「そ、なら帰って大丈夫か? そろそろ夕飯を作り始めないといけないんだ」
でなければ斬乂が帰ってくると同時に飯にありつけなくなる。
別に斬乂は夕飯が遅れても文句を言うことはないと思うが、私としては夕飯が遅れることにより斬乂に甘える時間が減って大変困るのだ。
主に次の日に消化不良で一日悶々とする日を過ごさなければならないからだ。
私がそう思っていると彼女は懐からゴソゴソと物を探り、それを机の上に取り出した。
「まあ、そう言わずに」
「ん、これは?」
八意薬師はゴトリと私の前になんらかの薬品が入った瓶を置く。
中に入る薬品は普通のカプセルタイプのように見える。
「雪、あなたって確か地底の鬼の大将と婚約を結んでいるのだったわね?」
「……藪から棒になんだ?」
突然の話題振りに私は首をかしげた。
まあ、その通りだから言い訳をするつもりはないし、数ヶ月前に私が起こした異変について書かれた新聞記事にも私と斬乂のことについて書かれていたらしいから知っていてもおかしくはない。
私は八意薬師のいきなりの問いかけに首をかしげていると、そんな様子の私を見て彼女はやれやれと言うようにため息をつき、言葉を続ける。
「ほら、私って薬師でもあるけど医者の真似事もしてるのよ。そしてその医者の役割としては女性のメンタルケアなんかも含まれているわ」
「……? 何がいいたいんだ?」
「率直に言うわ。いまの"性"生活に満足はしてるかしら?」
「ーーっはあ!?」
私はいきなりの他人からの自分に対する性事情の質問に声がひっくり返るくらいの大声を出してしまった。
しかし、彼女はそんな私を気にかけることはなく話を続けた。
「ほら、貴女と例の鬼の大将って数百年の付き合いがあるのでしょう?」
「え? ま、まあ……、初めて会ってから千年以上経ってるし……結婚決めたのも、数百年前で、そこから二百年くらい同棲してから五百年くらい別居してたけど、最近一緒に暮らし始めて……ってなんで初対面のお前にこんなことを話してるんだ私は!!」
「ふーん、で? 性行為は週に何度?」
「ーーっはあ!? な、なんで、お、おおっお前にそんなことを……」
「ま、噂に聞く鬼の大将の性欲と貴女の淫乱さからほぼ毎日ってのは知ってるからそれはいいわね」
「ち、ちがうわい!?」
斬乂の性欲の凄さは認めるが、私が淫乱とは聞き捨てならん!!
誰だそんなことを言ったのは!!
「けど、毎日してるなら心配だわ……」
「だから……毎日は……」
してない……とは言い切れません、はい。
というか、本当になんで私は初対面の人とこんな話を……。
「まあ今はまだいいかもしれないけど……、パートナーとの性行為が日常化して作業化し始めたらそれはもう倦怠期の始まりよ?」
「いや……、斬乂にかぎってそんなことは……」
「それも話を聞くかぎり浮気性のある相手。家で待つ奥さんは心配になるわよね」
「……いや、だから斬乂にかぎっては……てか、誰が奥さんだ」
「だから、家で待つ奥さんはそれを繋ぎ止めるために日々に工夫を凝らすしかないわ……。けど、足りない! それだけじゃ足りないわ!!」
「……ねえ、なにこの茶番?」
「そんな貴女にこれよ!!」
「………………めんどくさいからもう好きにして」
呆れながら話を聞き続ける私を無視して八意薬師はなにやら熱弁に語り出し、最終的には先ほど出した薬品を私の方に近づけた。
私としてはこの薬より夕飯の方が気になるのだが……。
「……で、これは?」
「女同士でも性行為を可能にして子供ができる薬。つまり、"アレ"をはやーー」
「も、もう帰る!!」
この展開は読めたわ。
いつぞや斬乂と再会する前に八雲 紫に転がされまくって、精神的にズタズタにされた時とデジャブってるわ。
「まあ、待ちなさい」
「ぐえ!?」
部屋から出ていこうとする私の背後にいつの間にか回り込み、首根っこを掴まれ行く手を阻まれた。
私は力強く脱しようとするも、意外に彼女の腕力が強く逃げることができない。
彼女の細腕のどこにこれほどの力が。
これだから幻想郷の容姿詐欺は困る、そう思いながら私は必死に逃げることを考えようとするも、八意薬師の耳元で呟く快楽やら深い愛などの甘い言葉に私は唾を飲んだ。
そして、私はその言葉を聞き顔を赤くしながら答えを返す。
「……べ、別に……、私も斬乂もそういうのは……」
「そう、ならいらないかしら?」
「そ、それは……」
「別に使わないならいいわ。とりあえず貰っておきなさい」
「……そ、そこまでいうなら」
「あら、貰ってくれるの? よかったわ! ちょうど試作で治験相手を探していたのよねー」
つまり実験台な。
だから、うまいこと私を乗せようとしたのね。
はは、私ってちょろいね……。
だけど、そう思いながらもしっかりと自分の懐にそのオクスリをしまう辺り、私の底が知れてるのだと思う。
まあ貰っても使うとは限らないけどね?
本当だよ? 使う気ないし使わないからね?
と、心の中で弁明しながらも顔を真っ赤にしてかなりの恥ずかしさを隠しつつ、あまりのことに魔理沙と桜井 命の事を忘れたまま私は急いで自宅に帰還した。
ーー後の薬師は語る
「冗談半分で作った薬を、冗談半分で渡したのに本当にデキるとは思っていなかったわ。けど、結果オーライね!! 後悔も反省もしてないわ!!」




