暴走
「……ち、戻ってきたか糞鬼」
斬乂がさとりと話終わり部屋に入ると、膝を抱え項垂れる雪が睨む様に斬乂を見る。
しかし、雪は斬乂の顔を見て首を傾げる。
ヘラヘラと笑う何時もの顔、とは違い真剣そのもので座る雪を見下ろしているからだ。
雪はそのいつもと違う斬乂の態度に疑問に思う。
「ねぇ、雪ちゃん……」
戸惑う雪に対し、斬乂は雪の目の前に正座をする様に座り込む。
同時に雪はさらに首を傾げる。
今までは雪ニャンとかふざけたアダ名で呼んでいたのに、畏まった様子で初めてちゃんとした名で呼ばれ戸惑う雪。
だが戸惑う雪を気にせず、斬乂は雪の方に手をそっと置く。
そして雪は急に肩に触れられ、全身を強張らせる。
「な、なんだよ……」
「雪ちゃん、最初に謝っときます。ごめんなさい」
「え、どうい……っ!?」
雪が何を誤っているのかわからず、尋ねようとすると斬乂が雪に身体を預ける様に押し倒し、雪の唇と自分の唇を重ねた。
雪は最初何をやられたのか理解が不能だったが、自分がいま斬乂と唇を合わせていることに気づくと顔を真っ赤にして斬乂の肩を押し返した。
「は、放せっ!?」
雪が斬乂の肩を押し返すと斬乂は素直に雪の唇から自分の唇を離す。
そして斬乂は雪を押し倒した体勢のまま、雪の瞳を見つめる。
「つ、ついに本性を現したかっ! そ、それでも私はお、お前の性奴隷になる気は……」
「違います、雪ちゃん」
なにが違うのか、雪はそう尋ねようとするが真剣な表情をしている斬乂を見て言葉を詰まらせた。
そして見つめる斬乂の視線から気まずそうに目をそらす。
「雪ちゃんは私の事が好きですか?」
斬乂がそう言うと、突然の言葉に雪は首を傾げる。
なにを言っているんだ?
しかし、雪はそう思うも斬乂の目を見ない。
真剣な目で見つめられているのが怖いから。
だが、質問には真面目に応えようと視線をそらしながら口を開く。
「……は、嫌いに決まってんだろ。なにをわかりきったことを……」
「私は雪ちゃんのこと好きですよ」
雪が口を尖らせながら言う。
しかし斬乂は雪の答えを最後まで聞かず、雪の方を見つめそう言う。
その突然の言葉に雪は頰を少し染め、気まずそうに口を開く。
「そ、そりゃ私をペットだ性奴隷だ言う奴だもんな。好きに決まってらぁ」
「そうですね、正直に言わせて貰えば私は雪ちゃんをそう言う目で見てます。今でもこのまま服を剥ぎ取って無茶苦茶にしたい気分です」
斬乂は真剣な顔をしながら言う。
だからか雪は冗談に受け取れず、自分の身を抱きしめ、少しでも斬乂から己の身を守ろうとする。
しかし、斬乂に押し倒されているので全く守れていない。
なので雪は自分の頭の中で警報を起こしながら、何時でも抵抗できる様、少し身構えた。
だが、次の言葉で雪は完全に力が抜ける。
「けど、それと同時に私は貴女を大事に思っています」
雪は呆気に取られながら口を開けっぱなしにする。
いきなりなにを言い出すのだこいつは……、そう言いたげな顔をして背けていた目を斬乂に向ける。
そして鼻で笑う。
「はっ、なんだ口説いてるのか?」
「ええ、口説いてます」
冗談で言ったつもりが即答され雪は戸惑う。
雪は思う。
確かに鬼神はレズだ。
だが、私は違う。
私は茜が好きなだけで、他の女にムラムラするとかそんな女ではない。
返す答えは決まっている。
「ば、馬鹿かお前?」
「いえ、可愛い雪ちゃんを口説くのは馬鹿なことではありませんよ?」
「……っ!」
可愛いと言われ慣れていない雪は唯でさえ戸惑うのに、それを普段ヘラヘラと笑っている奴に真顔で言われるのだ。
雪はさらに困惑する。
「わ、私は女の子らしくないぞ……。胸もないし、口調も荒いし……それに……」
「ええ、知ってます。けど、私は"弱々しい"雪ちゃんを見て可愛らしいと思うと同時に心配にも思っています」
雪はどうにかして自分が斬乂の気持ちには答えられない事を伝えようとする。
しかし、斬乂からの"弱々しい"と言う言葉に雪は反応する。
「誰が……弱々しいだと?」
「雪ちゃんです。雪ちゃん、貴女は本当に弱い子です」
雪はそう言われると顔を歪め、斬乂を睨みつけ荒々しく声を上げた。
「私が弱いだと!? 私は弱くないっ! 私は……」
「いいえ、雪ちゃんは弱い子です。ただ強がってるだけの儚い存在です」
斬乂は雪の言葉を遮りそう言う。
違う、雪はそう言い返そうと口を開こうとした。
しかし、その言葉は斬乂の言葉によって遮られてしまった。
「雪ちゃん、もうやめませんか?」
斬乂の言葉に雪は言いたかった事を言わず、首を傾げた。
その前と今の言葉になんの脈絡もない。
ただ一方的に弱いと言われ、それに反論しようとしたら何かをやめろと言い出す。
全く意味がわからない。
雪は斬乂の言葉の意図がわからず呆気にとられながらも、口を開く。
「なにを……お前は言っているんだ?」
「貴女はもうわかっているはずです。茜ちゃんが生き返らないことくらい」
なぜここで茜が、と雪は思うがそれ以前に聞き捨てならない事を聞いた。
それを言われたことに雪は声を上げる事を我慢し、斬乂を睨みつける。
「お前さぁ……さっきからなに言ってんのかわかんないんだけど。突然、押し倒して汚いもん押し付けてくるわ、可愛い好きだと言ってくるわ、終いにはやめろとか意味のわからないこと言って……そして、茜が生き返らないとか……」
「事実ではないですか。雪ちゃんの能力の話を聞いてもそんなことが出来るとは思いませんし、それに死んだ者を生き返らせる様な神業……元人間ごときの貴女にできるはずはありません」
斬乂が駄目なものを見る目で雪を見る。
その視線に雪は理性が切れ、そんなことないと大きな声で斬乂に怒鳴りつけた。
そして言い続ける。
「お前はなにを言ってるんだっ! 茜は生き返るんだよ!! だって……だって私の能力は……」
雪が言葉を紡ぐ。
そして目に涙を浮かべ、それを隠す様に雪は自分の両手で自分の顔を覆い呻く。
「私は……茜を生き返らせないといけないんだ……生き返して……生き返して……謝らないと……貴女の愛を疑った事を……自分が嘘をついていた事を……」
既に斬乂の事が眼中にないのか、雪は自分の顔を覆い呻きながら独り言を言い続ける。
それはまるで己を責める様に。
そんな様子を見て、斬乂は言う。
「雪ちゃん……そんなに苦しむなら、もうやめませんか……。生き返りもしないモノを、返らないモノを追い求める事はやめませんか?」
斬乂の言葉を聞くと雪は顔を手で覆いながら黙る。
「私は雪ちゃんがそう苦しむところをもう見たくありません。お願いです、もう茜ちゃんの事は忘れましょう」
「わす……れる……?」
「そうです! それで私が茜ちゃんの代わりになります。私が彼女の代わりに雪ちゃんと一緒にいます。だから……だからそんな……寂しそうな顔をしないでください」
斬乂がそう言いながら涙を流す雪の首に、上から覆いかぶさる様に抱きつく。
雪は突然の告白に、言葉に唖然する。
そして顔を覆う手をどけ、抱きつく斬乂の横顔を見る。
斬乂の横顔は辛そうで、心の底から雪を心配している様なそんな顔。
そして雪は斬乂のそんな顔を見て言う。
「なぁ、鬼神……お前は何を言っているんだ?」
抱きつかれる中、雪は密着する斬乂の腹に向け、包帯で巻かれた右腕を刃物のように"突き刺した"。
「えっ……」
突然に自分の腹を突き刺された斬乂は呆気にとられ、一瞬なにをされたのかがわからなかった。
雪は斬乂の腹に手刀を突き刺すと、抱きつく斬乂の肩を突き飛ばし、距離を取る。
腹を刺された斬乂は傷口を押さえながら、立ち上がる。
幸い内臓までは届いておらず、本来なら貫通する攻撃も受け止める頑丈さは流石は鬼と言うところだ。しかし、血の流れる量が多く常人では持って数分だろうか。
だが斬乂は腹の傷を抑えるだけで苦痛には感じず、様子の可笑しい雪の方を見る。
そして斬乂が雪の方を見ると、いつもとは違う彼女の様子を見て驚愕する。
雪は目を虚ろにし、自身の髪を掻きむしりながら下を見ている。
そして、ぶつぶつと呟きながら何度も何度も、愛した彼女の名を呼び続ける。
そんな彼女の様子を見て斬乂はゾッとする。
今まで見たことのない雪の表情を見て……、斬乂は雪にかける言葉を見つけることが出来なかった。
「馬鹿か鬼神は……茜は生き返るんだ……。なのに……なのにそれを忘れろと……? 無理だ……生き返るのに茜の事を忘れちゃったら茜が可哀想だろ? 私が覚えていてあげるんだ……。私が茜が生き返るまでの彼女の墓標になるって決めたんだ……。なのになのになのになのになのになのになのになのに……忘れることなんて出来るわけがないだろ……なぁ、茜もそう思うだろう……。はは、待ってろ茜、もう少しだ……この鬼を殺せば君は生き返る……。それまで待ってろ……」
ケタケタと笑いながら自分の髪を掻き毟る。
妖怪となって白く染まった自分の髪を何度も何度も引っ掻き、ブチブチと抜いていく。
雪は斬乂の方を虚ろな瞳で睨む。
そして笑う。
獲物を見つけた喜びに……。
「……またいっぱいお話ししよう! 茜ぇぇぇえっ!!!!」
雪はケタケタと笑い、斬乂に突撃する。
突撃する間に背中から十の骨の手を生やし、斬乂に飛びかかる。
しかし、斬乂は自分の傷口を押さえながら飛びかかってきた雪を足蹴にし、部屋と外を区切る障子をぶち破り雪の身体を外に蹴り飛ばした。
そして斬乂は外に飛び出す。
今の取り乱した雪を言葉で落ち着かせるには難しい。
ならばここは鬼らしく……大人しく、大人げなくぶん殴って止める。
そう思いながら斬乂はぶっ飛んだ雪を追って外に飛び出す。
しかし、外を出てすぐにぶっ飛ばしたはずの雪が斬乂に再び飛びかかってきた。
雪の目は虚ろで焦点が合っていない。
完璧に理性が外れている。
「待っていろ、今すぐ殺すからっ! そうすればまた君と会えるからっ!」
雪はそう言いながら背中から生やした手に力を入れ、バチバチとなる電流の塊で生成した棒状の槍を作り出し、それを一つ一つの骨の手に持ち、数撃ちゃ当たると言わんばかりに斬乂に向かって投げつける。
斬乂は無茶苦茶に投げられた雷槍を簡単に避け、再び雪に近づいて腹めがけて拳を入れる。
そして殴られた雪は再び後方にぶっ飛び、生えていた木に背中を打ち付ける。
「雪ちゃんっ! そんな事しても私は殺せませんし、茜ちゃんは生き返りませんよ! なのに……なぜ貴女はそこまでまして茜ちゃんが生き返ることを信じるのですかっ!? 貴女を……雪ちゃんにそこまでさせる理由はなんですかっ!?」
斬乂はそう言い、雪の方を見つめる。
しかし、雪の耳には全く届いていないのか未だにブツブツと小言を呟く。
廃人の様に項垂れる彼女を見て、再び斬乂はゾッとする。
「おぉ、母さん。凄いことになってるねぇー」
斬乂が雪の様子を見て、怯んでいると隣から煙の様に現れた伊吹萃香がそう声をかけてきた。
おそらく萃香の能力で姿を突然と現したのだろう。
「てか、あれ雪じゃん。母さん、どんなセクハラして怒られたのー?」
「萃香、今はそれどころじゃないんですよねぇ……」
斬乂はいつも通りヘラヘラと笑おうとしたが、今の状態では上手く笑えず顔を引きつらせながら言い返す。
その様子を見て、萃香は訳ありだねー、と勝手に理解し頷く。
そして雪が萃香の存在に気付いたのか、萃香の方を睨みふらふらゆらゆらと立ち上がる。
「鬼がまた増えたぞ茜ぇ……、たくさん殺せる……殺して殺してお前に会うんだぁ……」
雪はなんの脈絡のない言葉を呟き、自分の顔を覆う。
そして呪う様に、全てを呪い殺す様に呻く。
「萃香、手は出さないでくださいよ……」
「わかってるよ母さん、私は大人しく見とくさねぇー」
萃香はそう言いながら身体が薄くなり、再び煙の様に消える。
その様子を見て、聞き分けのいい子だと斬乂は思う。
そして雪の方を見つめる。
「殺す殺す殺す殺す殺すコロスころして殺して死に尽くせぇ!」
雪はそう言いながら地に手をつける。
地に手をつけると、雪の足元の影が……いな、雪の足元から出ている泥の様にドロドロとした黒いモノが雪を中心に広がる。
そしてその黒い闇から幾つもの白骨化した人の形が出てくる。
一つや二つじゃない。
百は超える屍がその闇から這い出る様に出てくる。
まるで地獄から亡者が這い出る様に。
その悍ましい光景を見てら斬乂は一歩後ろに下がる。
そんな斬乂を虚ろな目で見つめ、首を傾げ三日月の様に口角を吊り上げる雪。
そして言う。
「死々行進百骸鬼ぃ……お前もこの中に加えてやるよぉ、きしんんん……」
雪がそう言うと、闇から這い出た百の屍は斬乂に向かい、走り出した。