舞踏会の幕引き
間近に迫る王子。ダークブルーの瞳は、捕まえた獲物をどう調理するか算段しているかのように、不敵に煌めく。
圧倒されて、王子に見とれてしまったシェリルは、動けなかった。
「その口を塞ぐには、どうしたらいいと思う?」
今にも吐息がかかりそうな距離で、リアンが囁く。
近すぎる! と思ったとたん、反射的にシェリルの手が出た。
バチンと音がして、我に返ったシェリルが見たのは、腑に落ちないといった感を醸し出しつつ彼女を見下ろすリアンだった。
その時、トントンと軽く壁をたたく音がした。見れば、フェリクスが戻ってきて、部屋の入り口に半身を持たれかけさせ壁をノックしていた。
「不敬罪、ですね」
にっこり笑いつつ、ちっとも笑っていない目で、フェリクスは言った。
「ケルスの侍女が、ウインダリアの王太子に手を上げた。さて、どのような処遇にいたしましょうか」
なんなの、この主従。シェリルは、リアンの両腕で囲まれ、壁に縫い付けられたままだった。逃げるとすれば・・・・・・。
「今のところは、不問としておこう。ただし、先ほどの件、口外しないことが条件だ」
シェリルが頷くと、心もちリアンの腕が緩んだ。
力の抜けたシェリルは、壁に背中を付けたまま、ずるずると床に座り込んだ。
「ケルスからは、クレア王女だったか。さっきは、ずいぶん遅れてきていたな」
「あまり、舞踏会などはお好きでないようです」
「何が、お好みだ?」
シェリルの頭の上で、リアンとフェリクスが話している。
「クレア様は、関係ないわ!」
クレアにいらない詮索をされそうで、思わずシェリルが言うと、
「そうだな。お前次第だ」
あっさりとリアンに返された。
「お前の口がいらないことを話さなければ、な?」
リアンは、シェリルの前にしゃがみ、その髪を一房とって口づけた。
真っ赤になったシェリルは、慌てて立ち上がり、脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
「・・・・・・そこまでされなくても」
リアンの、自分の魅力を最大限に生かす行動にあきれて、フェリクスは言った。
「あんなに真っ赤になって。かわいそうに、彼女、しばらく夢に見ますよ」
「見ればいい」
「・・・・・・何を、怒っておられるんですか。おおかた、そのクマにじゃれついたのでも見られたんでしょうけど・・・・・・」
「顔をたたかれた」
「まあ、不可抗力でしょう」
「・・・・・・そんなに、嫌だったのか」
憮然としてつぶやくリアン。
「そういう女性もいますよ。みんながみんな、あなたに転ぶわけでもないでしょう」
苦笑いしつつ、フェリクスが王子をなだめる。
「戻る」
リアンは言って、舞踏会の会場へと踵を返した。主賓が退出していても、社交は続いている。
「今夜は、もう戻られないとおっしゃったのでは?」
慌てて後を追うフェリクス。
「ケルスの王女がいるだろう」
「そうですね」
途中で、アルノー、チェイス、ジュリオと合流し、リアンは舞踏会の会場である大広間へ戻った。
会場を見渡し、ケルスの王女クレアを探す。
「明日の武術大会に差し支えるから、今夜は先に退出したんじゃなかったのか?」
アルノーが首をひねる。
「ちょっとしたハプニングだ」
フェリクスは、それだけ言って、王子の動向に目を光らせている。
クレアを見つけた王子は、さっそくダンスを申し込み、踊り始めた。
「なかなか出ていらっしゃらないので、あえなく先に退出してしまうところでした」
リアンは、さもあなたと踊るために戻ってきたのだと言わんばかり。けれど、クレアは、とまどうでもなく、
「私のようなものを、お気に留めていただいて、光栄です」
と受け流し微笑む。
「ダンスよりも、お好きなものがおありなのですね」
「そうですわね。とても面白い物語を読んでいたものですから」
理想の王子ともいわれる王子のお披露目を無視して、物語とは。内心の憤りをおくびにも出さず、リアンは物柔らかに問うた。
「では、どうして、おいでになったのですか?」
「・・・・・・私の、優秀な侍女がぜひにと。王子様は、物語の中の王子様より素晴らしいと申しておりましたわ」
「侍女と言うのは、ウインダリアに御着きになった折に、控えていた・・・・・・」
「ええ。シェリルといって、まるで姉妹のように信頼していますの」
にっこり笑う邪気のないクレアだったが、
「でも、シェリルは駄目ですわよ」
と、音楽が止まると釘を刺した。
「火遊びには、向かない娘です。いつ王子様のお目に留まったかは存じませんが、この度の王太子就任のお披露目の趣旨に水を差してしまいますわ」
そう言い残し、クレアはお辞儀をして引き上げていった。
なんなんだ、この主従は。おっとりしているかと思いきや、微妙に目端の利くクレアに、リアンは密かに肩をすくめるのだった。