ボンノーさん
四階建てのアパートの一階の一番端。
そこにボンノーさんは住んでいる。
ボンノーさんっていうのは、もちろんあだ名だ。
今、僕が立っているドアには一〇八号室と書いてある。
「一〇八」、つまり「百八」。だから、ボンノーさん。
決して、煩悩にまみれているからと、言うわけではない。
家のチャイムを鳴らそうとすると、声が聞こえた。
「あー、セックスしたい!」
……ボンノーさんは決して煩悩にまみれているわけではない。
少し間を空けてから、チャイムを鳴らした。
「はーい。」
そんな声が聞こえて、トコトコと足音が近づいてきた。
迷いなく、鍵を開ける音がする。ボンノーさんは魚眼レンズで確かめたりしない。
ボンノーさんは、細かいことはしない人だ。
ガチャリとドアが開いて、そこで初めて僕を確かめる。
「あれー、今日だったっけ?」
「昨日メールしたけど、読んでないの?」
「ははは。」
ボンノーさんに送ったメールは基本的に一週間くらいしないと返ってこない。
「とりあえず上がってよ。」
「うん。」
ボンノーさんに促されるままに部屋に踏み入れる。奥の部屋までの廊下には脱ぎ散らかした下着とか、食べたカップ麺の容器なんかが足の踏み場もないくらいに落ちている。
ボンノーさんは、片付けができない。
「奥に座っててよ。」
「座れる場所ないけど。」
「えっ、あー、どうしよっかな。」
「片付けよう。」
「いや、悪いよ。」
「一人で片付けるの?」
「……手伝ってください。」
実は大学の友達とたまにボンノーさんの部屋を片付けにくる。ボンノーさんの部屋は大学に近くて、部屋が広い。よく飲み会の会場にするからだ。前に片付けに来たのは二週間前だった。
「じゃあ、ゴミから拾っていこうか。」
「はい。」
ボンノーさんは素直に従って、ゴミの山からゴミ袋を探して、僕にも渡した。
そう、ボンノーさんは素直だ。
部屋を片付けていく。ボンノーさんの部屋の中で一番多いゴミはコーラのペットボトルだ。部屋のいたるところに落ちている。しかも、どのボトルも三割は残っている。前の片付けのときに気になって聞いたら、「残り三割になると炭酸が抜けておいしくないから」と、言っていた。
ボンノーさんは結構グルメだ。
中身のあるものは流しに捨てて、どんどんゴミをまとめていく。あっという間にいっぱいになった。
「ゴミ袋どうするの?」
「ベランダでいいよー。」
言われたようにベランダに置こうとすると、ベランダはすでにゴミ袋でいっぱいだった。
「ボンノーさん。二週間前のやつ、捨ててないじゃん。」
「あれ? 本当?」
「いやいや、捨てようよ。」
「今度捨てとくから、置いといて。」
「いや、絶対捨てないでしょ。ここのゴミ回収日っていつ?」
「えーと、ちょっと待っててね。」
ボンノーさんは机の上のゴミ回収表を見ていた。どうやら把握していないらしい。
「あ、今日だって。」
僕はすぐにベランダから見えるアパートのゴミ置き場を見た。
まだ回収車は来ていないようだ。
「今あるやつ、すぐに持っていくよ。」
「わかった。」
ベランダのゴミ袋を一度に四つ持ちながら二人で二往復した。ゴミ袋の中は何やら黒い液体がたまって、変なにおいがしていた。回収の方には申し訳ないがお願いします。
家の中で新たに生まれた膨らんだゴミ袋もどんどん出していった。やっと足元が見えるようになってきた。
「すごくきれいになったねえ。」
ボンノーさんは嬉しそうだが、これはきれいになったというより、マシになったと言うべきだ。まだまだホコリは綿になって積もっているし。落ちた衣類はそのままだ。
「今日は徹底的にやろう。」
「え、まだやるの?」
ボンノーさんは不思議そうにしている。本当に不思議そうにしているのが、たちが悪い。
「ボンノーさん。これまだ、汚いからね。」
僕は諭して、落ちた衣類を集めていった。
「ボンノーさん。全部洗うよ。」
「あ、待って、洗濯機にまだ入っているから。」
ボンノーさん、洗濯してたんだ。と、僕は思わない。
「いつ、洗ったやつ?」
「え、と、二週間前?」
「それ、もう一回洗って。」
まるで大家族の家のように何回転も洗濯機を回した。
回している間に床を掃除する。幸い、ボンノーさんの家には掃除機がある。たまにしか使わないが。さらに言えば、ボンノーさんは使ったことがないが。
部屋の隅から隅まで、掃除機をかけていく。
ベッドのところまで来たとき、異変に気付いた。ベッドの奥が見えない。なんという闇。
「ボンノーさん。いつからここに暮らしてるんだっけ?」
「三年前だよ。」
「ベッドの下って掃除したことある?」
「見たことない。」
返答がおかしい。ベッドの下は、もう一つベッドが作れそうなくらいホコリが詰まっていた。中ではゴキブリも死んでいた。ゴキブリも死ぬ環境ってすごいな。
掃除機で吸っていると、十秒間吸うごとに掃除機のパックの交換を余儀なくされた。ボンノーさんの家に住んだ頃から置いてある、予備の掃除機のパックが初めて全部なくなった。
ベッドの下を掃除していると、カランと、金属の音が聞こえた。スプーンやフォークが出てきた。
「何これ?」
「スプーンとフォーク。」
「いや、そうじゃなくてさ。なんでベッドの下にあるの?」
「ああ、前にカレー食べるときに落としたんだよね。フォークはスパゲッティだったと思う。」
「なんで拾わないの?」
「いや、代わりの食器はあったからさあ。」
ボンノーさんは、細かいことはしない人だ。
部屋の掃除も終わり、流しにあった食器の山も片付け、洗濯物も全部干し終わった。
やっと、見れるようになったなと、部屋を見渡して僕は思う。
ボンノーさんの部屋は見渡すくらいには広い。
ようやく座れるようになり、ほっと息をつく。
「なんか、お腹すいたねえ。」
「食べるものあるの?」
「冷蔵庫の中はさっき片付けたら、全部賞味期限切れてたから捨てちゃったよ。」
せっかく朝から来たものの、もう昼の三時になっていた。
「掃除もしてくれたし、ピザ食べよう、ピザ。」
「いいね、せっかくだからもらうよ。」
そう言って、ボンノーさんは電話をかけ始めた。僕はテレビをつけた。クイズ番組をやっている。
「もしもし、ピザを頼みたいんですけど。……はい、そうです。この四種が全部乗ってるやつのⅬサイズのやつと、サイドメニューのポテトを一つずつ。……はい、じゃあ、ふちはそれで。……あ、あと、コーラを二つ。いいえ、小さいサイズのやつです。あ、ちょっと待ってくださいね。」
そこまで、言って、ボンノーさんがこっちを向いた。
「ねえ、何飲む?」
「え、コーラ二つ頼んでたよね。」
「あ、あれどっちも自分のやつ。」
「緑茶で。」
「わかった。」
そこまで言って、また電話に戻った。
「……お待たせしました。もう一つドリンクで緑茶を。……はい、そっちも小さいサイズで、……はい、住所はこの電話番号で登録のあるところです。……はい、そこです。じゃあ、お願いします。」
そう言って、ボンノーさんは電話を切った。
「十五分くらいで来るって。」
「結構、早いね。」
「家から近いしね。」
「そういえば、コーラのペットボトル二つ頼むんなら、大きいサイズにすればよかったのに。」
「飲みきれないから。」
「冷蔵庫に入れれば?」
「いや、炭酸が抜けるからさ。」
「ああ、なるほどね。」
ボンノーさんはやはり、妙なところでグルメだ。
他愛もない話をしている内にピザ屋が来た。
「いくら?」
「いらないよ。お礼だし。」
「じゃあ、お言葉に甘えます。ありがとう。」
「いえいえ、こちらこそ。」
ボンノーさんは拭きたてのきれいなテーブルにピザとポテトを乗せ、緑茶のペットボトルを僕に渡した。コーラは一本を机の上に置き、もう一つは冷蔵庫に入れた。
「じゃあ、食べよう。いただきます。」
「いただきます。」
久しぶりに食べるピザはなかなかおいしかった。見ていてわかったが、ボンノーさんはタバスコをかけない派だった。
テレビでは、クイズ番組が終盤にかかっていた。
「いやあ、これ答えたら百万円だって。」
「ポロロッカ。」
「え、なに?」
「今の答え。」
テレビの中では解答が表示され、挑戦者が悔しがっていた。
「すごいじゃん。正解だよ。」
「たまたま知っててね。」
「でも、問題が全部出る前に答えてたじゃん。早押しなら一番だったよ。」
「じゃあ、百万円。」
ボンノーさんは「ないよ、そんなの」と、笑いながら言った。
食事も終わり、ピザの箱などはまとめてゴミ袋に入れて、ベランダに出しておいた。もうゴミの回収車は来てしまっていたからだ。ベランダのゴミが発酵する前にもう一度来ないとなと思いながら、ベランダから戻った。
しばらく、テレビを見ながら二人でぼーっとしていたが、そろそろ僕がこの家に来た目的を果たさねばと思い、口を開いた。
「ねえ、ボンノーさん。」
「なに?」
「ボンノーさんのこと、好きなんだよね。付き合ってくれませんか。」
「え?」
ボンノーさんはかわいい女の子である。
個人的にキャラクターの個性を考えて、意外性を持たせることができたのではないかと自画自賛しています。読んだ方がうまくだまされてくれれば幸いです。最初のボンノーさんのセリフがポイントですね。