魅惑のハニートラップ その6
《ギルド会館》
とある邪念の化身――歩くスケベ神、フランチェスの目覚めに、エステルは稀に見る剣幕を露わにし、召喚尋問を行った。
ケントとキエルを侍らせ、ソファーに座し、エステルは足を組む。
冥土送りにしてやらんと、トレードマークの赤毛を染めた、黒髪のメイドは凄みを増して、どうにもならない小さな白髭ジジイを見下ろした。無言のプレッシャーをかけ続けること15分、さすがに魔導経典の精霊と言えど、この精神攻撃はかなり応えた。
微動だにしないエステルの殺意の眼に、彼はついに完全敗北を認め、
「――ごめんちゃい☆」
テヘっと舌を出して、謝った。
次の瞬間、灰皿がブーメランの如くフランチェスの顔面に食い込み、戦慄のノックダウン。投手は間違いなくエステルだが、あまりの早業にケントとキエルは完全にその動きを捉えることができなかった。
野郎どもは背筋を凍らせ、暗黒の女王の言葉を待った。
「……何ですか、その態度は? 乙女の胸を揉んでそれで済むと思っているのですか?」
エステルはゆっくりを立ち上がった。魔法で真似できない禍々しきオーラに、フランチェスは悲鳴を上げて土下座した。
「末裔ちゃん、ごめん! ごめんのぉ! 直前までお店ハシゴしてきたから、そのノリでつい!」
「そのノリって――精霊のクセにどこいってんですか!?」
目を吊り上げ、エステルは床をガンガン踏み鳴らすが、これ以上言ったところで、このジジイが心を入れ替えるはずもあるまい。それに同調してか、エステルの頭上で逆毛立っていたバニーは、呆れたようにため息をつく。
だが、職人達は驚きを隠せずにいた。
「バカな……これが魔導経典の精霊だってのか!? 俺達と何も変わらねぇじゃねぇか!」
「むしろ、煩悩に素直過ぎて神々しく思えちまいます……! 野郎、スケベの神か!?」
「――いや、魔導経典の精霊です」
ケントのツッコミなど気にも留めず、組合長とギリーはまじまじと、この人間とは非なるジジイの存在に興味を引かれていた。
その一方でキエルは、
「おい、じーさん。まさかと思うが……うちの団員を無理やりメイドカフェに連れて行ったりしてねぇだろうな?」
「無理矢理とは失礼な! メイドちゃんがチンピラに絡まれているところを助けて、そのお礼でだな――」
バキュンッ! バキュンバキュンバキュンバキュン!
言い訳無用のリボルバーが炸裂した。正座中のフランチェスは飛び上がり、絶妙な動きで弾丸を回避。ケントと職人達はあんぐりと口を開けて双方を見るが、目ん玉落としそうに息を切らすフランチェスに対し、キエルとエステルは笑顔と言う名の無表情だ。
相当怒っていると、凡人達は一歩後ろに下がった。
「どんな美女が来てもホットケーキは断る勇気のある男だ。それが、そそくさメイドカフェに行っちまった原因は他でもねぇ……フランチェス、てめぇが魔導騎士団に掴まるのを防ぐためだ」
「ワ、ワシもそう思う……!」
「どうするんですか、フランチェス? 責任とってくれますよね? だからここに来たんですよね?」
「え、でも、精霊は人間の諍いはご法度でのぉ……」
「は?」
じりじりと詰め寄る二人の邪神に、さすがのフランチェスも行き場に困った。
何とかして断る言い訳を見つけなくては――すると、飛び込んだのは死んだ魚の目。まるで他人事面のケントに、フランチェスは脱出口を見出した。
ジジイはキラリと目を光らせる。
「そうじゃ……! 貸分がまだ返済されとらんな!」
「は?」
「ヴァルムドーレ討伐の折に、ワシはケントのために力を貸してやったからな~そんでまた貸してくれってのは癪じゃな~」
「――俺のためにじゃなくて、ユーゼスのためって言ってたじゃん」
スパーンと論破の斬撃が、邪なジジイの目論みを叩き割った。怯まず第二声を上げようとするが、ケントの発言に同調したかのようにエステルは、
「そうですよ! しかもあれは、ご自身でもやる気満々だったわけですよね? なら、我らスターダスト・バニーは何の借金をあなたからしていないわけです」
「ぐぬッ……!? あ、ありゃ? そうだったかのう?」
確信犯的なドヤ顔二つに、フランチェスはついに言葉を詰まらせる。
とどめ一言と、
「ウキュ~キュッ!」
エステルの肩の上でバニーは酷く小バカにした顔でそう言った。ちなみに「見苦しいわよ、このジジイ」と、可愛すぎるピンクの小ウサギから想像し難い、辛辣な言葉であった。
――この性悪兎が!
自分より下級精霊に言われては、こちらも面子が立たない。フランチェスはもはや、細かな仕来りなどどうでも良くなった。
「もう、わかったわい! 今回はワシの責任じゃ! だが、ちょっとじゃぞ? ちょっとだけ手を貸すだけじゃぞ?」
「わぁ! さすが、魔導経典の筆頭精霊! 話は早いですね!」
人間は現金なものだと、フランチェスはぐったりとため息をついた。
だが、彼も些か気になっていることがあった。
「せっかくハメを外せると思ってミザールに来たのに……何で君らがいるのかのぉ? まあ、大方……圧し折られたエンペラーの代替探しか? のぉ、ラスティーラ?」
チラリと、ケントを見る。
彼は渋い顔をした。薄々気づいていたが、どうやらフランチェスは小姑の如く、自分に対して小言を言いたくて仕方ないらしい。
「……そうだけど」
「で? 収穫はあったのかのぉ?」
「ほっほー」と口を窪めた笑い声に、ケントは顔をひきつらせて、
「今、まさに選定中だ……!」
そう返すが、フランチェスは嘲るように頷く。
「何じゃ、苦戦中かのぉ? ユーゼスちゃんの影火が思わぬ邪魔になってるのかえ?」
まさかの正解に、一同の表情が変わる。フランチェスは呆れたように、ベコベコにされた藍色の司祭帽を直した。
「前にも言ったが、お前には何にも期待してない。そんなところで躓いてるようじゃ、あの黒い狼ちゃんには勝てないよ?」
黒い狼――自分を完膚なきまで叩きのめした、あの亡霊なる機兵のことか。ケントが何か言いかけると、フランチェスは待ったをかけ、
「今はそのことよりも……じゃろ? 物事はデートの駆け引きと一緒で順序が大事じゃ。お前の魔力に応えてくれる魔法剣はあったのか?」
そう言うと、ケントは重い口を開く。
「あったよ……一振りだけ」
「何じゃと? どれだ」
「ここにはない……パウロ・セルヴィーに奪われた、炎帝倶利伽羅だけだ」
その名に、フランチェスは驚いたように白髭を膨らませた。
「――炎帝倶利伽羅じゃと? なぜそんな神刀がここにあるのじゃ!?」
「パウロの指示だ。炎帝倶利伽羅の在処を知っている人間が、野郎に組したらしい。ネコババすると、ポラリスの連中が黙ってないからな……俺達、商人が見つけた体でオークションに出展する。そして野郎が競り落とす出来レースだよ」
ギリーの話に、フランチェスはしばし考えるよう黙り込んだ。
そして、
「なるほど……時の流れと言う訳か」
聞こえるか、聞こえないぐらいの呟きだった。ケントとエステルは顔を見合わせ、その真意を窺おうとするが、厳然たる彼の面持ちに制される。
「喜べ、お前達ツキがあるぞ」
「ど、どういうことですか?」
だが、ジジイはやはり嫌味な笑みを浮かべる。
「取り返せってことじゃな、倶利伽羅ちゃんを」
「はっ?」
「お前達が生きてサンズに帰るには、それしかないのぅ~」
やはり具体的なことについて答える気はないらしい。煽るだけ煽ってこのオチは酷過ぎると、一同は抗議の視線を彼に向けるが、もうフランチェスは寛ぎの態勢になっている。これでは何を言っても話にならない。
「……結局、銀線細工で剣を作るにしても、倶利伽羅じゃなきゃダメってことか」
「そうじゃよ、ケント。ユーゼスちゃんを超えるって大変なことなのよ……そのうち、身をもって知るだろうけど」
意味深は曖昧にされて終わり。彼との会話で残るのはフラストレーションばかりだと、ケントはため息をつくが、ゆっくりしているわけにもいかない。
「ケント」
するとエステルは彼の肩を叩いて、
「やはり、明日のオークションに出席するのは必至なようです」
ニコッと彼女は笑った。
一同はぎょっとした。
「何言ってんだ!? 危険だから先に魔導騎士団の本部を攻めて、オークションを中止って話に――」
「いいことを思いつきました。精霊殿のお力をフル活用して、成し遂げられる奇策です」
「……え!?」
ちょっとしか助太刀しないって言ったのに――そんなフランチェスを押しのけ、野郎どもはエステルの周囲を固めた。
「ど、どんな作戦だ、エステル!?」
食いつくキエルに、彼女は勿体つけて、「チッチッ」と指を振った。
「簡単です。本部とオークション会場……両方とも襲撃するのです」
そこにいた全員が唖然とした。
「同時襲撃って……そんな戦力、うちはないぞ!?」
「量より質ですよ、キエル。そうですよね、フランチェス?」
「へ? へ!?」
ビクッとジジイは身震いする。この娘、まださっきの出来事を根に持っていると――後に待ち構えている絶対的な恐怖に、彼は抵抗することを止めた。
「まあ、手筈はこうです――」
彼女は机の上に地図を広げ、腹案を彼らに告げる。
そして、明け方。スターダスト・バニーは、仲間奪還の決意を胸に、一世一代の大勝負にでることとなった。