魅惑のハニートラップ その5
《ギルド会館》
キエルが戦闘状態に陥った最中も、魔法剣の選定は進められていた。
だが、やはり状況は思うように進展しない。それも、全てケントの身体に眠る黒い炎、守護魔法〈影火〉の存在がネックになっていたのだ。
「――これもだめか! 次!」
悔しげに、ギリーは指を鳴らした。それを合図に流れ作業でケントへ魔法剣が手渡されていく。
心を静め、ケントは剣に問いかけるが――無言。一切の魔法反応が見られない。
「それもダメか……! 前代未聞の事態だ。普通なら何本か魔力に呼応してくれるものを」
組合長は頭を抱え、ケントの顔にも焦りが浮かぶ。
さっきから太陽型の魔法剣を試してはいるが、どれもケントに反応を示さない。やっと魔力が発動しようとしても、黒い炎が魔法剣の魔力を打ち消してしまったのだ。
この現象こそ、今は亡き師匠、ユーゼス・マックイーンによる魔力制御である。
ファントム・ギャングであることを隠し、知らぬまま生きて欲しい。争いから彼を守るための呪いが、思わぬことにマイナスに働いてしまっていたのだ――
「過保護も考え物だな……諸刃の剣かよ」
複雑な表情で、ケントはその手に燃える黒い炎を握りしめた。
「そのおせっかい魔法が出る時と出ないときがあるな……魔法剣の力の強さに起因しているんだろう。その黒い炎を上回る魔法剣でなきゃ、役に立ちやしねぇ」
ギリーは用意していた銀線細工のパーツを、しぶしぶ定位置に戻した。
「やはり……炎帝倶利伽羅だけでしたね。あの時だけは、影火は姿を見せなかった……おそらく、倶利伽羅の炎が優っていたんでしょう」
万策尽きた。もはやエステルですら、明日の作戦にケントの投入を諦めかけていた。
そんな時、彼女の携帯が鳴る。発信者は母艦ニューバニーのショコラからであった。
「ちょっと外します」
そう言って彼女が工房を出ていくと、ケントは参ったようにため息をつき、座り込んだ。
「情けねぇ……何でこんなにダメなんだろ?」
「いや、落ち込むことはねぇよ。こんな強力な魔法で抑え込まれている辺り、お前の潜在魔力は相当な量だと思うぞ?」
魔導端末に映されるケントの魔力分析データに組合長はそう言った。
ケントは顔を上げて、
「副属性の話ですか? そんなんあっても今、何とかできないんじゃ意味がないよ……!」
「現に計測器だと0だが、天装状態なら魔法が使えるわけだろう? お前達の話によると、この黒い炎はお前をラスティーラにさせないための魔法らしいが……それだと目的と矛盾が生じる。しかも天装時に使用すれば、大抵の攻撃魔法を無効化できるんだろ?」
「つまり、生身でのケントの魔力は、天装時に影火を抑え込むために使われちまってるってことっすね、組合長」
ギリーの言葉に彼は頷いた。
「凄まじいカウンター式の防御魔法なんだろう。だがケント、お前はこの呪縛を乗り越えなきゃ、勇者として一人前にはなれない」
「それはどういう……」
困惑するケントに、組合長は厳かに告げる。
「野郎に守られたままってことさ」
心が大きく揺さぶられる。
いや、考え方次第ではこう結論付けられたはずだ。守られていることに彼は安堵していた。目に見える絆の形であると、ケントはこの黒い炎に特別な想いを抱いていたのだが、それが大間違いであったらしい。
天装時の影火は、強力な攻撃魔法を無効化にする。だがそれは、自分の力じゃない。飽くまでも師であるユーゼスの力だ。
死しても残る彼の執念に、自分の魂が喰われている。存在が負けているのだ。
「ケント、頭に来るかもしれねぇが……お前は甘ちゃんだ。顔つきがキエルやエステルと違ぇ、優し過ぎる。それはギリーも思ってることだ」
「……」
「自分を痛い目に遭わせた野郎をぶっ飛ばしたいのは上等だ。だが、考えてみろ……お前の師匠ができなかったことを、その程度のお前ができると思ってるのか?」
血流が遡る。ケントは耐えた。悔しさを噛み殺し、無意識に自分の腕に爪を立てた。
何でそんなことに気が付かなかったのか。自分への憤りしか感じられない。
意志を継ぐとは、失敗は許されない。あるのは成功のみだ。
生半可な気持ちで、ユーゼスの名を語ってきた自分に嫌気がさす。
越えなくては。彼を越えなくては――
「最低だ……俺は馬鹿だ」
「いいじゃねぇか、馬鹿で。そのまま紙一枚燃やしちまえば天才だ。凡人には辿り着けねぇ力を、お前は持ってるってことだ」
ガツンッとギリーは灰皿に煙管の灰を落とした。
アメとムチか。
どうしようもなくケントは笑うと、自分の両頬を猛烈な勢いで3回叩いた。
「四の五の考えるのはやめた……! 剣がなくたって、天装すれば魔法が使える。生身の状態だって、散々剣術だけで何とかしてきたんだ……なんとかなるさ!」
気合の投入で真赤になったのは頬だけでない、死んだ魚の目が燃えている――その心境の変化に、ギリー達は根拠のない希望を見た。
だが、そんなやりとりに飽きたのか。机でウトウトしていたキャウは、目を擦って、
「つーかさぁ……さっきから剣にこだわってるけど、戦えればいいんだよね? 何で銃を使うって発想がないわけ?」
無邪気な一言が、疲れ切った大人の脳みそに天変地異を起こす。
「……アレ?」
豆腐にかすがい、猫に小判、焼け石に水――だが、キャウは正論だ。
魔法剣で博打に勝とうなどおこがましいほどがある。戦うならば、策を練り、確実な手段で敵を翻弄すべし。
確実な手段と言えば、彼の魔力を引き出すことではない。魔法の使えない穀潰しを強くする方法だ。その代表たる魔導兵器こそ〈銀線細工〉――非魔導師に亡霊なる機兵と戦える力を与えるトンデモ兵器なのである。
――で、何をしていたんだ、自分達は。
あれ? そう言えばこの子――すっかり大事なことを忘れていた大人達は、かつての勇者に疑問をぶつけてみる。
「そう言えばお前……軍人だったよね?」
「……うん」
「そろばんばっかで忘れてたけど……撃てるよね、銃ぐらい」
「うん……!」
「何かキエルが言ってたんだけど、お前、事務職希望だったから、軍の採用試験で実技手ぇ抜いてたんだって?」
「うん!」
――『うん』じゃねぇよ!
引きつった笑顔に、親父達は一斉に剣の製造を止めた。止めて、取っておきの銃火器をショーケースから次々と引っ張り出し、鬼の形相でケントに使い方を叩き込んだ。
泣き泣きレクチャーされる彼の傍らで、控えめにしていた組合員は、とりあえず出番がなくなったラスティーラの銀水晶を、丈夫なペンダントとして加工し直してやった。
◆ ◆ ◆
工房の地下階段に腰かけ、エステルは母艦に残るショコラから、定時報告を受けていた。
「そうですか……とりあえずキエルが無事で何よりです。とにかく、また母艦を奪われるのだけは避けなくてはなりません。引き続き、ニューバニーはそこで待機です」
『承知。それとお頭、副長から妙な伝言が……』
「妙な伝言――」
その時だった。
「お久しぶりじゃのぉ~末裔ちゃん!」
胸を襲う不快感。小さいジジイの手が、エステルの比較的緩やかな胸を鷲掴みにした。メイド服を滑るように弄るそれに、エステルの顔つきが見る見る鬼と化す。
「魔力と同じでこっちも発展途上じゃのぉ~!」
「――うわぁぁぁぁぁぁッ!?」
エステルは被っていた猫を捨てた。その形相はマジだった。殺意のエルボーがジジイの脳天に怒りの鉄槌を下し、顔面を石段に殴打した。
「ぐぇッ!?」
まるで踏みつけられた蜜柑。だがそれでも、乙女は許さない。徹底的にスケベの化身をこの世から浄化せんと、ジジイを踏みつけまくる。
「ちょ、待っ――」
これが魔導経典の精霊の最期だと言うのか。ボロボロにされたフランチェスの頭上で光る悪魔の双眸。振り上げられた拳が放つバーストは一体何の力か、それは彼でも知る由もなかった。
「消えろ――このスケベ変態下衆野郎ッ!」
――あっ、これ死んだ。
ついにお迎えの時だと、老いぼれフランチェスが、全てを諦めた途端、
「ストップ! ストップ! エステル!?」
馴染み深い声に、悪魔は拳をピタリと止めた。ゆっくりと顔を上げれば、バニーを頭に乗せ、傷だらけの身体を庇うキエルの姿があった。
「キエル!? 大丈夫ですか!?」
この騒ぎに、工房からケントとギリー達も飛び出してきた。そして、生還したキエルの容態を見るなり、彼らは階段を駆け上がった。
「キエル!」
「ああ、いいって! 掠り傷だっての!」
「でも……!」
心配するケントの肩をキエルは叩き、呆れたように笑った。
「心配すんなよ……ケント、お前も怪我人だろう? 俺のことはどうでもいいから――直ちにこのジジイをコンクリに漬けるか、液体銀に突っ込むかしろ!」
「――りょ、了解しやしたァ!? キエル先輩!」
「絶対に逃がすなよ……! 必ずしょっ引いてバインダー詰めにしてやるからなッ!」
こちらの豹変ぶりも凄まじい。カメラのシャッターが切られる如く、安堵の笑みから一瞬でデビルに堕天完了。血走る鬼の副長の目と邪気に揺らめくドレッドヘアに、ケントとギリー達は何も言えず、F1のような音を立て行動開始。目を回したジジイの首根っこを掴んで工房のソファーに叩き付けた。さすがにコンクリと液体銀は良心が痛むので、銀線細工の鎖でガチガチに縛り上げ程度で押さえておく。無論、逃げないよう、エロ本を枕元に添えることも忘れてはいけない。
「キャウは近づいちゃダメだからな?」
「そうですよ……! あれは魔獣エロエロハンターと言って、触れた者を邪悪に変える女の敵なんです。キャウは良い子だから、私の言うこと聞けますよね?」
「う、うん……!」
地下階段の闇を飲み込むどす黒い微笑みが二つ。
底知れぬ邪気に気圧された少年は、奥歯をガタガタさせ、無抵抗で邪心二人にそのまま工房へと連れ戻された。
◆ ◆ ◆
《ミザール魔導騎士団本部》
真っ暗な部屋の中で目覚めたホットケーキは、視線らしき気配に落ち着かなかった。と言っても、身動きを封じられ、椅子に縛りつけの状態で気が休まるのもどうかと思う。
光を遮断され状況はわからないが、魔導騎士が監視モニターや何かで、趣味悪くこちらの様子を窺っているに違いない。
しかし、頭が重い。
ぐったりとしたリーゼント、盛られた毒が後を引く。
ホットケーキが自分の体調と対話を始めると、誰かの足音が聞こえた。間もなくして扉が開き、細く眩しい光が徐々に自分の顔を照らしていく。
慣れない照度に目をこじ開けると、逆光の中、三つ編みの女性の姿が飛び込んだ。
一目で、ホットケーキは彼女だと気付く――
「ご気分はいかがですか? 鶏冠さんはぐっすりですが、あなたはそんなに毒が回っていなかったようですね?」
シノはまだ、あの時のメイド服を着ていた。相変わらず本音の見えない微笑みを向けて来る。
その笑顔に抱けるのは嫌悪だけだ。彼は顔を背け、隠さずに不快感を露わにする。
「ああ、最悪だ……一番やっちゃならねぇことをしちまった。死んだ方がましだってのに、足手纏いもいいところだぜ……」
「仕方がないことでしょう? だって、あなただけ生まれが違うのですから……盗賊モドキさん?」
その含みのあるシノの言葉に、ホットケーキは眉をピクりと動かす。
「おや、言ってはならぬことでしたか……でも適所適材と言いますでしょう? 没落貴族のあなたが、生まれた時から泥だらけの連中の仲間になれるわけありませんよね?」
シノは隠すように下げていた、紙袋を彼に見せつける。
薄暗い部屋の中でも、嗅覚があればそれが何てあるか、ホットケーキが理解するには十分であった。
シノは手にしているのは、お菓子屋の紙袋。『ベルナール家のレーズンパウンド』と馴染み深いロゴが刻まれていたのだ。
汗ばむ彼の表情に、シノは優越感に粟立った。
「いつもお世話になっております。ジョルジェ・ロゼット・ベルナールさん? あの高級葡萄ブランド、ベルナール家のご子息だったとは驚きでした」
鎖に絡まれた手が震える。忘れたはずの記憶が、嫌な思い出が、堰を切って脳を駆け巡るのだ。
「そんなヤンキーぶっても、あなたは結局サンズの貴族なんです。そしてエステルさん達ともまた違う……居場所なんて初めからないんですよ?」
「失礼な奴らだ、ナルムーンの連中ってのは……俺の素性なんか調べて、どんだけ暇なんだよ。笑えてくるぜ」
「卑屈になる必要はありません。大事なことです。あなたが他の兎の情報さえ吐いてくだされば、それなりの報酬を約束します」
「何だと」
彼の怒りに彼女は紙袋を切り裂く。すると、シノは抜け目なく、クナイをお披露目してやった。
「パトロンがサンズ教皇国そのものであることは十分承知です。ですが……あなた方は、何を企んでいるのですか?」
「一体何のことかわからねぇな……!」
「御冗談を。エステルさんのお兄様はドゥーベ海戦で敗れ、母国に逃げ帰った。なのに、あなた達はもっと危険な大陸に居残っている……例え、ラスティーラの折れた剣を探すためでも、リスクが大き過ぎます」
シノは指先で滑らせるように、クナイを弄ぶ。
「話せるだけ、話してください。そうすれば、ベルナール家最盛期に等しい、所領を差し上げます。無論、農業ギルドにも加盟できますよう、お手続きいたし――」
「バカにすんのも大概にしろッ!!」
怒号を放ったホットケーキは、煽りに負けたことへの悔しさを一瞬だけ表情に映すが、反抗心が勝った。
「没落したってことは……解放されたんだ。体裁気にせず、好きなことやって許されるんだよ! 今更、俺一人で葡萄畑なんかやりたかねぇぜ……!」
「あら、よろしいんですか? 乏じい生活の果て、栄養失調で母と妹を亡くしたと言うのに?」
ガンッと、椅子が大きく揺れる。ホットケーキの手は、今にも鎖が肉に食い込み、血が流れんとする熱を帯びていた。
それでもシノは、非情な言葉を連ねる。
「世の中、お金ですよ? ホットケーキさん。そのために信念を曲げる努力をしましょうね。些か幻滅しましたよ」
「プライドもない人間にそんなこと言われたかぁねぇよ! 守るものもないクセに、偉そうなことを抜かすんじゃねぇッ!!」
激怒した彼は周りが見えなくなっていた。シノのポーカーフェイスの綻びから、漏れ出す憎悪に似た殺気にも彼は気づかなかった。
「……守るモノ? それならありますよ……私はそのために、たくさんのお金が必要なのです」
「何?」
「そんなこと言われたくないのは、むしろ私の方です。私は先祖から預かった大事なものを、守るために売れるものはすべて売ったと言うのに……今更、プライドと言われるのは、とてもイラつきますね?」
シノはクナイを弄ぶことをやめた。無意識に正攻法に握られたクナイを、彼女は静かに構え、感情の高まりに唇を震わせた。
それでも彼は毅然と、
「イラつくだと? だったら、聞かせてくれやッ! あんたがみっともない体たらくで守ろうとして――」
ホットケーキは息を呑む。刹那の間にして突きつけられた刃に、本能は生を諦めさせようと彼に働きかけていた。
なぜなら、見上げた彼女の黒い瞳は、禍々しい黒雲に光を失っていたのだ。
「……聞いてくれるのですか? 一振りの刀の為に、一族を惨殺されたことを……隠した在処を唯一知る者として、無我夢中で大陸を駆けた逃走劇を?」
冷たく、鋭い感触がホットケーキの喉元を制した。じわりと広がる痛み。クナイの刃を伝い闇に染まった血液が彼の首元を濡らした。
「言いつけを守るために、どうすればいいか考えれば答えは楽でした。プライドを捨てるんです。捨てて……この大陸で最も力のある組織に属し、最も宝への理解がある人に、私は媚を売った! こんなに心安らかな日は、ありませんでしたよ……!」
どれだけ壮絶な人生を歩んできたのだろう。
彼の価値観では計り知れぬ選択をなし、シノはこの暗殺業を生業として生きている。それがかつての生活より幸せだと、彼女は言っているのだ。
ならば自分の存在が間違っているのか――いや。
『おシノ、そこまでにしなさいヨ』
スピーカーから流れた主の声に、冷やりとした表情を一瞬だけ見せたものの、彼女は何事もなかったかのように平然を装った。
全く趣味が悪い。この一連の会話を監視室であのキチガイピエロはさぞ愉快に公聴していたのだろう。油断も隙もないと、シノは監視カメラを見上げた。
『君の熱意はよぉ~く、わかっタ。だから、明日のオークションの打ち合わせをしたイ。すぐに執務室に集合して欲しいナ』
「……申し訳ございません、団長。すぐに参ります」
パウロの介入は、ホットケーキの窮地を救った。いや、彼は知っていた。この後、とんでもない方法で取引の材料にされることを。その方が自分を生かしておく最大のメリットにつながると、やがて訪れる屈辱の仕打ちに彼の精神は辟易していた。
「プライドを捨てる……か」
彼は小さくつぶやいた。
そして、早くそうしていれば、母と妹を死なせずに済んだと、目を背けていた現実に彼は懺悔した。