魅惑のハニートラップ その3
《ギルド会館 地下室》
「組合長、ギリーさん! 大変っす!! さっきどっかのメイドさんがこんなものを届けに来ました!」
組合員の手に握られていたのは、一通の書状。組合長はすぐさま彼からそれを受け取り、中身を開くと顔つきを急変させた。
「これは……脅迫状か!?」
「何ですって!?」
彼から書状を受け取るとエステルはすぐさまそれを読み漁り、悔恨の面持ちで舌を打った。
「どうしたんだ、エステル!? 何が――」
「ホットケーキとマカロンが拉致られました……!」
キエルとケントに渡されたのは、新聞の切り抜きで作られた犯行声明。手足を縛られ、ぐったりとした、二人の写真もご丁寧に添付されている。
そして、肝心の内容だが――
「『愛しのエステル・ノーウィック様。明日の午後7時開催予定のオークションに一人で来られたし。さすれば、あなたの身柄と引き換えに、仲間の盗賊はお返しいたしましょう。ぜひともお待ちいたしております。あなたのパウロ・セルヴィーより』……反吐が出るぜ。あのキチガイピエロがッ!」
怒りの余り、キエルは犯行文を床に叩きつけ、踏みつけた。
「あと、これもあなた宛てに……」
組合員は魔導騎士団の押印がなされた封筒をエステルに手渡した。封を切るとそこには、明日のオークションの招待状が同封されていた。
「場所はミザールアリーナですか。どうやら招待されているのは……私だけのようです」
「いくつもりか、エステル。危険過ぎる……俺とキエルを――」
「ダメだ。君はまだ先の戦闘の後遺症が酷い。細胞の活動が低下している以上、一つの怪我が命取りになるぞ!」
医者は立ち上がろうとするケントを押さえつけた。それでも無茶をしようとする彼を気遣ってか、キエルはこの件について自ら動きだした。
「なぁ、この犯行文を持ってきたメイドってのはどんな奴だ?」
「確か、ちょっとこう……ゆるーい感じの三つ編みした女で」
「そりゃ、〈メープル〉のおシノだ」
ギリーがそう答えた。あっさり手がかりを特定できたのはさて置き、特徴を言っただけでメイドさんと特定できる事情通に、疑惑の視線が一斉に向けられる。
――あれ、何か変なこと言ったかなぁ?
びっしょりと濡れる額を拭い、ギリーはサングラスをかけ直すが、もう遅い。シラを切り通そうとする汚れた大人に、エステルはジト目で腕を組む。
「……何でわかるんですか?」
「え、いや!? 摂待だよ、接待! メイドカフェなんだけどな、オーナーがパウロなんだよ。野郎に連れられて何回か行っただけの話だぜ……ね? 組合長」
「お、俺に振らないで!」
「あっ、パパ。あと一個でポイントカード貯まるよね? 俺そうしたら、みんなでゲーム大会――」
「キャウ、余計なことを言うんじゃねぇ……!」
勢いで父は子を黙らせようとするが、キャウはお店のポイントカードをヒラヒラさせている。もうバレバレだ。
とは言え、話が早いのは不幸中の幸い。百歩譲ってギリーが子連れで通い詰めていた事実は寛大に見よう。敵将が経営するカフェの従業員であるなら、ホットケーキとマカロンの居場所を知っている可能性は十分高い。
「俺が行こう」
そう言って、キエルは傍にあったダンボールを開き、販売用に納品されていた防御系の銀線細工を手に取った。
「これ持って行っていいか? 金は後で払うから」
「いいぜ、大サービスだ。金は要らねぇから好きなだけ持っていけ」
組合長の太っ腹なご裁断に、キエルは口笛を吹いた。
だが、一人で何をすると言うのか――エステルは大慌てで、
「ちょっとキエル!? 人のこと止めて、自分が行くとはどんな了見ですか!?」
「これも持って行け、お前の十八番だ。いつもよりシャウト草粉末、1.5倍だぜ?」
「うっひょー! 楽しみだぜ!」
もはやエステルの声など届いていなかった。キエルはギリーから特注の弾薬を受け取ると、腰のガンホルダーにそれぞれを装備し、マントを羽織った。
「心配するなよ、エステル。ヤバければ即退散する。お前はこのこと、母艦のショコラ達に伝えてくれ」
嫌がるバニーを、キエルは無理やり頭から離し、エステルに渡そうとする。しかし、彼女はその手を止めて、
「わかりました。バニーちゃん、キエルのことをよろしく頼みますよ」
「よろしくって……お前、魔導経典を――」
「ウッキュウ!」
するとバニーは閃光を放ち、滴が波紋を描くかの如く、彼の左腕を覆う銀線細工と一体化した。
それは、生まれて初めての感覚。漲る魔力の熱に彼は感動を覚えた。
「それなら、一騎打ちでは無敵です」
「本当に……!」
魔導師になれない自分を、それ以上の者にする――魔導経典の偉大さと恐ろしさを、キエルは噛み締めた。
「ごめん、キエル……ホットケーキ達を頼む」
何もできない悔しさにケントは拳を握りしめた。
キエルは頷き、
「任せろ。お前はエステルを守れよ……!」
そう言い残して、階段を駆け上がって行った。
彼が去ると、工房では次の問題に直面することとした。
「さて、今度はケント……お前だ」
そっと壁際に移動した組合員は、引き戸式の隠し扉を一斉に開門。びっしりと敷き詰められた魔法剣にケント達は圧倒される。
どれもこれも、幻と言われた名品ばかり――それを見せた以上、やることは一つだ。
「深いことは考えるな! フィーリングで一本選べ。炎帝倶梨伽羅を取り返すまで、天装時でも代用できる一振りを作ってやんよ!」
代替品の代替品にしては、気合の入り過ぎている気もしなくもない。しかし、こんな頼もしい言葉はあろうか。
ケントとエステルは互いに頷き、運命を決める剣の選定に移った――
◆ ◆ ◆
《メインストリート》
深夜のネオンは日中よりも、街を一層輝いて見せた。立ち並ぶアニメショップや電気屋にマンガ喫茶。そしてバリエーション豊かなカフェに、ビデオショップとお水のお店。客層を選ばないミザールの街を象徴した、ごった返しの景観だった。
無論、潔癖症のキエルはこの街並みが気にくわなかった。
帽子とマントに身を隠した彼は人ごみに紛れ、目当てのメイドカフェ〈メープルハウス〉を探すが、統一性のない店並びのせいで発見に手を焼いていた。
(くっそ……オーナーがアレってことは、そんなに小さい店じゃねぇだろう)
目立たぬよう、辺りを見回す。通りの端々にいる客引きのメイドにも目を光らせるが、その名を目にすることはない。
こんなことなら、道案内を一人つけるんだった。そんな表情でキエルが立ち止ると、
「お兄さぁーん、寄っていきません? かわいい子、たくさんいますよ?」
「……悪いけど、ちょっと急ぎで――」
客引きを振り向く――すると彼の心臓は大きく脈を打った。まさかとは思ったが、このタイミングで現れた彼女を、そうと思えないのは盗賊としてどうかしている。
プラカードを持つメイドは、ゆるめの三つ編み女だった――
「こんな素敵な満月ですよ? 夜遊びしないなんて、勿体なーい☆」
「……お姉さん、随分、見た目とかけ離れた声出せるんだね」
黒く艶やかな瞳が笑う。淑女という言葉がぴったりの美女であったが、彼女から漂う殺気にキエルの本能は警鐘を鳴らした。
額に汗を浮かべる彼に、彼女は欲情的な唇を動かして、
「ご主人様のためなら、何だってできるようにしませんと……そのために、手取り足取り仕込んでいただいているのです」
プラカードが裏返る。露わになった彼女の店の名に、キエルの手が動く。
「他ならぬオーナー、パウロ・セルヴィーに」
『ようこそ、メープルへ。泥棒兎様』――それが開戦の合図。即座にキエルは距離を測るが、彼女の動きは予想以上だった。マジシャンのように片手に4本のクナイを握り、キエルに向けて放つ。洗練。研ぎ澄まされた暗殺者としての技量が、キエルの身体スレスレを飛び、反撃の態勢を崩した。
通りに悲鳴が上がる。物々しい雰囲気に、人の波が一斉に動き出した。
着地点に煽るように突き刺さるクナイをかわし、キエルはついにガトリングのトリガーを引く。
「邪魔者は退散した――一発しけこもうぜ、お姉さんよ!」
反撃の銃撃。怒りの回転を見せるガトリングは、可憐なメイドに無情な銃弾を浴びせるが、その銃弾が彼女を仕留めることはなかった。
駿足かつ柔軟。細胞まで染みついた脅威的な身のこなしで、彼女は悉く銃弾をかわし、路駐の車へ飛び乗った。
「はぁッ!!」
半空中からクナイを投擲し、寸分の乱れのない軌道でキエルの頬を掠める。
ブレーキをかけた彼の足が大地をえぐる。ツーっと頬を伝うキエルの鮮血に、シノはうっとりとした笑みを浮かべ、車から飛び移った飲食店の屋根からキエルの正面へと着地した。
「ご安心を、毒は塗ってません」
「そりゃ、どうも……!」
「自己紹介がまだでしたね? 当店ナンバー1のメイドにございます、シノと申します。得意なプレーはメイドにホステス、キャバ嬢……まあ、一番は――」
両手に咲いたクナイの華が、シノの全身にエレキの茨を纏わせる。その雷魔法の余波はアスファルトを粉砕し、旋風を巻き起こした。
「忍びで暗殺者なんですけどね」
刹那、稲妻の力を得た8本のクナイが風を切る。その速度は先程の比ではない。文字通り落雷の如く、クナイはキエルの動体視力を凌駕し、瞬く間に両腕両腿の皮を切り裂いた。
「――がぁッ!?」
信じがたいことにクナイは彼の左腕を守る銀線細工の肘当てを貫通させた。咄嗟に刺さったクナイを引き抜くが、電磁波のようなものが彼の背中を這いずり、無意識に回避行動を取らせた。
その反応に、シノは笑う。
「さすがですね――しかしッ!」
彼女が印を結んだ刹那、的を撃てず地面に突き刺さったままのクナイがスパークを上げたのだ。
嫌な予感は的中だ。銀線細工に憑依していたバニーが彼の脳裏で、「危ない!」と叫ぶが、シノは戦慄の技量を持って彼を仕留めにかかる――
「金星よ、彼の者の左腕に鉄の花を咲かせよッ」
禍々しきシノの呪文に、突如、キエルの左腕に強烈な電撃が走る――貫かれた傷口が焼けるように痛みだしたのだ。
「ぐあァァァッ!?」
激痛の余り、キエルはその場に蹲った。
脈がおかしい。銀線細工の下で流れる血があらぬ方向――クナイが抉った傷口へ集まっている感じだ。左手が妙にむくんでいるのはそのせいではないのか。
まるで、あらゆる鉄が磁力に引きつけられているような――
「まさか……!」
導き出した答えに、全身が冷たい針に晒される。
――やられた。貫通した左腕の肘当てが強力な磁石になっていたのだ。
「ご名答――磁力魔法《百花繚乱》!!」
彼女の咆哮に四散したクナイが一斉に息を吹き返し、左腕のアーマーが放つ磁力に引きつけられて、キエルを串刺しにせんと宙に飛び出した。
狩られる――そう、彼が腕の喪失を確信した刹那、
『ムッキュゥゥゥ!!』
脳裏に兎の鳴き声が木霊する。ついに黙っていられなかったバニーが、敵前で力を解放したのだ。瞬時に現れたプラズマの魔法壁に、磁力を乱されたクナイは空中停止をし、強力な熱量を以って鉄の刃を悉く消滅させた。
一瞬で窮地は脱したが、今の技でシノはキエルの秘密に勘付いた。
「……なるほど、魔導経典ですか。あなたは魔法が使えても一発屋のはず……腕一本いただくだけじゃお代は足らないようです」
「おいおい、こんな酷いサービスで俺のカラダ狙ってるわけ? お宅の情報が古いんじゃない? 俺の魔力が増長したせいかもよ?」
出し惜しみをしている余裕はない。シノの驚異的な体術と魔術にキエルは、プライドを捨てバニーの力に頼ることを選んだ。
加えて――
(あのクナイ……黒磁石と銀線細工の調合武器だ。あの女が魔法を使える限り、糸が括られたようにクナイは、永延とヤツの手元に戻っていくだろうな……)
黒磁石は磁力魔法を使用可能にする希少な魔導鉱石であった。操るには相当の魔力と反動に負けない屈強な肉体精神が要る。息一つ乱さずに高度な金星型の魔法を連発している様子から、認めたくはないが、キエルが単独で戦うには分が悪い相手なのだ。
だが、その実力差を勘付かれるのもまずい。キエルは機転を聞かせ、余裕を装い、
「情報源は信用できなきゃ、ガセ同様だぜ?」
先手必勝とばかりに彼は魔法発動。魔導経典の力を得た、山吹色に輝く銀線細工のガトリングをシノに向ける。
しかし、彼女は能天気にも、感心したようにポンと掌を叩いた。
「ごもっとも! ネットで拾ってきた情報なんて、ショーユが知れてますしね――ね? カナトさん!」
「――何だと!?」
突如、息を潜めていた殺気が彼の反射神経を刺激した。気が付けばキエルは地中にガトリングをぶちかまし、地中から襲い掛かる植物の根を撃ち抜いていた。
何とも臆病な攻撃だ。地中から刃物にも等しい木の根が土を蹴破り、キエルの心臓を狙って次々と襲い掛かる。しかし、発射速度を増したガトリングの威力は一味違う。熱魔法を帯びた銃撃は瞬く間に木の根を大鋸屑に変え、破片も残さず焼き尽くした。
その際、右手にマグナムを握らせ、でシノの動きまでも牽制するが――新たな刺客の陰に、キエルは側方の建屋を見た。
ビデオショップ屋上に、満月を背にした影が一つ。ブレザーを着た眼鏡の学生騎士が、世にも冷たい表情で彼を見下ろしていたのだ。