魅惑のハニートラップ その1
ギャレット炎上の同時刻。
《メインストリート メイドカフェ メープルハウス》
「……ホットケーキ、何か通り騒がしくねぇ?」
「消防車か? 火事でもあったのか……ちょっと見てくるぜ」
ファンシーな店構えの特等席に二人は向き合う形で着いていた。窓に反射する消防車のランプが気がかりになったホットケーキは席を立ち、外の様子を窺おうとするが――
「やーんッ! ご主人様、帰っちゃうのぉ~!? ダメダメ!」
「おシノを助けてくれたお礼がまだですよ~ご主人様! さっさ座って、座ってくださいって!」
「ひぃ……!」
ここぞと湧いてくるメイド達。免疫のない方にとって鼻血ものの大サービスで、彼女達はホットケーキを畳みかける。無論、真面目な彼は酷く困惑した。料理人にしてはがっちりとしている彼の両腕をメイド達はぎゅっとホールドし、とっても柔らかいお胸で挟んでくるものだから気が気じゃない。
加えて、予想を超える司祭服のジジイの暴走に手を焼いていた――
「むほっほーッ! メルちゃんはカペラ出身なの~? 通りで大和撫子な感じじゃわい!」
「そんなことないですぅ~フランチェス様。私料理とかできなくてぇ~今、お店で修行中なんですぅ。素敵なご主人様にお仕えするために大事ですよね!」
「ほっほー! 素敵なご主人さまとはこっちかのぉ? ワシも独身じゃが、料理ができなくても優しければそれでいいカナー?」
キリリと無駄に決め顔をし、ジジイは親指を立てて「彼氏」のハンドサインを見せた。するとメルと呼ばれたメイドは顔を真っ赤にして、モジモジし始めた。
「もうご主人様ったら、イケない人!」
つんっとフランチェスのおでこをつつく。ジジイはこの上なく幸せそうな顔をしていた。
「ほら、ご主人様! レナの作ったプリンで~す! あーんして?」
「はい、あーん!」
魔導経典の精霊に飯は不要だ――その逸話も疑わしくなるほど、フランチェスは下心丸出しで、髭に隠れた小さな口を大きく開けてプリンに食らいつく。
そして、ほっぺを桜色に染めて一言。
「うまいのぉ~レナちゃんとお肌のようにプルプルじゃのぉ~!」
「あはっ、レナ嬉しいですぅ! ご主人様だぁーい好き!」
褒められたレナはまるでぬいぐるみにでも抱き付くように、フランチェスに頬ずりをし、頬にチューをしてやった。
「むっほーッ!」
ジジイの至福の声に、ホットケーキは突然冷静さを取り戻した。
――キャバクラか、ここは!?
元カフェのパティシエである彼にとって、カフェと名がつく場所がキャバクラと化していることはゆゆしき事態だった。メイド服とは名ばかりの制服は、全てミニスカやゴスロリ風味、つまりはその手の客層しかこないところなのだ。
一刻も早く母艦ニューバニーへ帰還したい。だが、このジジイを放置してしまうと、後々厄介なことになりかねない。
せっかく手に入れかけた魔導経典の扉絵を、ナルムーンの魔導騎士団に渡してしまうのは、敵国であるサンズの人間としてあるまじき失態となる。
(……くっそ!)
どうにかして、フランチェスの存在をエステル達に伝えなくては、このまま彼に振り回されて逃げられるのがオチである。
「――お待たせいたしました。ご主人様」
「よっ、シノさーん! 待ってました!」
黒髪を緩めに三つ編みで束ねたメイドが盆に料理を乗せてきた。パキッとしたホワイトブリムと古典的なエプロンドレスが、キャバクラと化したこの空間の中で、ひと際シノを美しく見せていた。他のメイドに品格という概念が感じられない中、彼女だけ、まるでサンズで言う教皇の使用人としていてもおかしくない風格が漂っていた。
「熱いのでお気をつけて、召し上がってくださいませ」
彼女はわざわざ手料理を振舞いたいと言って、この店を貸し切りにし、腹ペコの彼らに特上のおもてなしを施してくれたのである。
「うっわ、うまそう!」
「……」
並べられたビーフオムライスのセットに、トレードマークの鶏冠頭がピンと正しマカロンは目を輝かせた。それもそうだ、ホットケーキは彼の「腹減って死にそう」という愚痴を100回ぐらい聞かされていたのだ。かく言う自分もオムライスの匂いを嗅いだ途端、急激な空腹と葛藤していた最中である。
「おかわりもありますので、ごゆっくりくつろいでください。あとでデザートはお持ちしますね?」
そう言って、シノはマカロンとホットケーキに暖かい紅茶を注いでくれた。
「じゃ――いただきます!」
待ってましたと、マカロンはシマリスのようにオムライスにがっついた。食欲旺盛なのは結構だが、ニューバニーの食堂で見かける時より、数段うまそうな顔をしているのはどうしてか。
「おまえさ……」
盗賊の食を支える料理長、ホットケーキがその様子を異議あり気に眺めていると、シノはそれがサービスへの不服と勘違いしたのか、慌てて給仕に戻った。
「あ、あの……もしかして何かお嫌いなものでもありましたか?」
「え!? いや、そう言う訳じゃなくて……」
どぎまぎしているシノに、ホットケーキは返す言葉が見つからずテンパった。そんなやり取りをシノの後ろから見ていたメイド達は、思いついたと、ピンと指を立てる。
「わかった! おシノ~大事なこと忘れてるじゃない」
「これですよね、ご主人様? これが足りなかったんですよね?」
そう言って彼女達が持ってきたのはケチャップだった。何のこっちゃと顔の影を濃くするホットケーキの傍らで、シノは表情をパッと明るくさせた。
「あ……申し訳ありません! お料理のことですっかり忘れていました……!」
「みんなさーんー! 萌え萌えの呪文でご主人さまのオムライスをもっとおいしくしてさしあげましょう?」
黄色い声に似たメイド達の返事に、フランチェスは「何じゃ、何じゃ」と興味深げに彼らの席へやってきた。ポッキーゲームでもやっていたのだろう、キスマークだらけの顔に、青年達はいい加減にしろと肩を落とした。
「ご主人さま! お手数ですが、一緒に唱えてくださいね?」
「……え?」
嫌な予感しかしない――案の定、シノの動作ににホットケーキは凍り付く。しかし場の雰囲気は乗り遅れた者の気持ちを察してくれるほど甘くはない。リーゼントの料理人を置き去りに超特急で疾走を始めるのだ。
「――せーのッ! 萌え萌えズッキュン、萌えズッキュン☆」
「も、萌え萌え……」
「萌えーの、萌えーの! 美味しくなーれ☆」
キランッ☆
襲い掛かる世にも奇妙なテンションと見事なメイド達のにゃんにゃんダンス。こんな合唱を聞くのは小学校以来だ――ホットケーキにとって「ラブ☆ご主人様」と描かれたオムライスをこの状況下で平らげるというのは、公開処刑にも等しい行いであった。
しかし、そんなメイド達のケチャップ攻撃を、マカロンとフランチェスは羨ましそうに眺めている。頼むから代わってくれと、彼らにヘルプを求めるがを気付きやしない。奴らはメイドさんに夢中である。
これが次元の壁か。ある意味重力魔法でもこじ開けられない次元の歪みに、いつの間にか自分は落ちてしまったらしい。きっとそうなのだ、そう言うことにしよう。
――こんなことなら副長の命令を貫くべきだった!
魔導経典のためとは言え、ホットケーキはキエルの命令を破った自分を悔いたが、シノは生き生きとした表情で、
「今日は助けてくれてありがとうございました!」
「い、いえ……」
「これ、私達からの気持ちです――あーんしてくださいね!」
極上の笑みを彼に向け、スプーン一杯のオムライスを差し出した。
明らかな人選ミス! 年上好きのケントを連れてくればすべて丸く収まったと、心の底から後悔した。だが、ここで拒否すれば男が廃るどころか、シノの善意を台無しにしかねない。
体裁を取るか、情を取るか。窮地だ、実にピンチだ。
チラリっとマカロンを見るが、ヤツはとてもワクワクした様子でこちらの動向を見守っている。ジジイに至ってはジェラシー丸出しで大人げない。
「さっさ、ご主人様! あーん……」
「……!」
もはや退路はない。
ホットケーキは意を決し、差し出されたオムライスをがぶりを神速で口に収め、平然を装ってモグモグした。
メイド達から喝采が上がる。
「よくできました~ご主人様!」
「いいな~ホットケーキ! 記念に写メっておいたから、あとで――」
「消せッ! からあげにすんぞ、てめぇ!」
「ひ、ひぃぃ!?」
顔から火が出る勢いで、ホットケーキはマカロンの携帯を取り上げ、データを片っ端から削除する。一層のこと、うちの太陽型熱血コンビの、燃え燃えの呪文でこの身を焼き尽くしてくれと、彼は心の中で悶絶していた。
だが、
「――ん?」
味覚に違和感を覚えた。彼はふと視線をオムライスに落とし、自分のスプーンでもう一口放り込む。
――やっぱり。
「お、おいしいですか? ホットケーキさん」
彼の反応を覗き込むシノに、ホットケーキは静かに、
「そうだな……一言で表すと、『お前らはこれでも食ってろ』って感じかな」
それは一点の迷いのない発言だった。予想外の反応に場が凍り付く。
「……え?」
どういうことだと、マカロンとフランチェス、そしてメイド達。全員の視線が集まる中、ホットケーキは物おじせずにオムライスを解体し始めた。
「良くも悪くも水商売の味だ。機械的でこだわりのない味……形だけなれば良いと、デミグラスもチキンライスも雑な仕上がりだ」
「そ、そんな……私、一生懸命作ったのに……!」
涙ぐむシノをメイド達は慰める。しかし、ホットケーキは自重する様子もなく、むしろ剣幕の面持ちで星形のジャガイモをフォークに刺した。
「そんなに努力しちゃねぇでしょ……特にジャガイモ、切り口の舌触りが独特だ」
「ジャガイモ?」
見せつけるようにフォークに刺されたジャガイモに、マカロン達は首を傾げた。
「包丁で切ったものじゃない……もっと切れ味の鋭い刃物だ。それでやる気もなく、食材を弄んだ形跡が見込まれる」
「ちょっと、あんた! シノになんてイチャモンをつけるのよ!」
「イチャモンもつけたくなるぜ。俺の知り合いにこれと全く同じ切り方をしたヤツがいる……そいつはそう――モノホンの盗賊だったけどなッ!」
ホットケーキは怒ったようにシノにフォークを投げつけた。
その行動を機に事態は急転する。なんとシノは目にも止まらぬ速さでフォークを払いのけ、顔つきを一転させた。その手には怪しげに黒光るクナイ。状況は彼が考えていたよりも最悪だった。
ホットケーキに続き、状況を理解したマカロンとフランチェスは咄嗟に逃げの行動に出るが、首元に突きつけられた、冷たく鋭い感触に身動きを取れなくなった――
「どういうつもりですかい、シノさん……食い逃げなんかするつもりは、ありませんよ」
ホットケーキの瞳に映ったシノはまるで別人だった。冷や汗を流さずにいられない、殺気に満ちた眼で彼らを見下ろし、両手にクナイの花を咲かせたのだ。
「ご安心ください……お食事代はおごります。用があるのはあなたではなく――」
クナイが飛ぶ。逃げようとしたフランチェスに、戦慄の殺人術が襲い掛かった。
だが、魔導経典である彼に物理攻撃は無意味。もちろん、彼女はそれを知っているのか、防御壁に弾かれたクナイを見ても表情は涼しげだ。
それでも、隙もなく再びシノの手に握られたクナイはエレキを放つ――どうやら向こうは本物の魔導師だと、ホットケーキは流れ落ちる冷たい汗を拭う。
「見つけましたよ、フランチェス。私達来ていただけませんか? サービスは致しますよ」
ニッコリとしたシノの微笑みに、フランチェスはブルブルと首を横に振った。
「いくら美人の頼みでもそれは聞けんのぉ――貴様らどうせ、ワシをミュラーの元へ連れていくつもりじゃろ?」
「ミュラー……?」
「左様でございます。私どもは元帥の命に従いあなた方を拘束します」
メイド達が一斉に牙を向く。彼女達の手元に輝くクナイと手裏剣――その武装から、彼女達が忍集団であると知れる。
やられたと、ホットケーキは歯を食いしばった。
「おシノさん、あんた……魔導騎士団なのか?」
「正確には魔導騎士団に飼われているくノ一にございます。ご主人様である我が騎士団団長、パウロ・セルヴィーより伝言です」
「何だと……?」
「『エステルたんは私がもらう』だそうです。よくわかりませんが、泥棒兎は残らず処刑台とのことですよ?」
首を傾げ微笑むシノは魔女だった。その妖艶さに魅入られたら最後、喉元をそのクナイで掻っ切られるのが末路だ。漂う殺気からして、かなりの戦闘力を有していると本能は警鐘を鳴らす。
――仲間が危ない!
「お頭……!?」
一刻も早くこの場を切り抜けなくてはと、彼は木星型魔法の構えを見せるが、急激な眠気に襲われ、膝をガクリと落とす。
「ぐっ――」
それだけに留まらず、次第に視界が二重に見える。ろくに働きもしない脳みそでも、この状況下で自分の身に何が起こったのか、考える必要はなかった。
料理だ。薬を盛られたのだ。
「マカ……ロン……!」
ホットケーキは咄嗟に相方の安否を気遣うが、オムライスをがっつり平らげていた彼の状態は深刻だった。すでに「ぐー」っと能天気ないびきを立て、メイドの足元で夢の国へと旅立っていたのだ。
そんな彼らを嘲笑い、シノは再びフランチェスと対峙した。
「もう一度聞きます。来ては頂けませんか、フランチェス? ……でないと、彼らの命は保証しませんよ?」
「はて? ワシは経典の番人じゃし~こいつらの味方と言う訳でもないからのぉ~」
「クソジジイ……覚えて……ろよ……」
もはや気力の限界だった。ホットケーキは力尽き、マカロンと同じく深い眠りに陥った。彼らの沈黙を確認すると、他のくノ一達は彼らの身柄を拘束し、別の部屋へと運び込む。
それを見たフランチェスは、静かに首を掻いた。
「……おシノちゃん。ワシはのぉ、この世に生かしてはならんと思っているヤツがいる」
「左様で……」
「それを果たすためなら、別に犠牲はいとわん。無論、顔見知りだとしてもな」
冷酷。いや、それよりは遥かな次元を生きる者の眼であった。無動作で発動させた魔法陣がフランチェスの足元に輝く。メイド達は即座に逃亡阻止の構えを見せるが、シノがそれを制止した。
「おやめなさい。私達の力で止められる人ではありません」
光の中で、冷静な彼女にフランチェスは残念そうにため息をついた。
「おシノちゃん、覚えておきなさい。ワシは自分にとって都合の良い方につく」
「……」
「特にエステルは――渡せんな!」
気流が収束し、閃光が店内に充満する。あまりの光量にくノ一達は目をつぶり、視覚を奪われる。白い世界の中で、ふとシノは目の前にいた老人の気配が消えたことを察知した。
案の定、ゆっくりと瞼を開くと、そこにフランチェスの姿はなかった。
「転送魔法か……いかがされますか、頭領?」
「放っておきましょう。間違いなく、彼はエステル・ノーウィックに接触するはずです。二兎を追うものは一兎をも得ず……狙いは絞った方が得策です」
シノは三つ編み弄び、厨房へと赴いた。
そして、口をガムテープで塞がれ、鎖で身体を拘束されたホットケーキとマカロンに対面する。相当強い薬が効いているのか、乱雑に彼らの身体を引きずっても微動だにしない。
「彼らを餌に泥棒兎をおびき寄せます。このこと、さっそくカナトさんに報告しなさい」
「はっ」
「全員、店仕舞いです。さっさと本部へ戻りますよ」
くノ一達は一斉にキッチン扉を開いた。そこにあるのは調理道具――ではなく、精巧に作られた脱出通路であった。
シノら、くノ一はその抜け道を使い、闇の中へと消えて行った。