伝説の魔法剣 その2
《銀線細工工房 ギャレット 地下工房》
言葉にならない衝撃に、ケントとエステルの体は動く。
「倶利伽羅を……!? それは、魔導騎士団と戦えってことですか!?」
志に通じるものがあるとは言え、受理し難い無理難題にエステルは戸惑った。一方でギリーは当然の反応であると落ち着いた様子で、再び口火を切る。
「何もただとは言わねぇよ。もしも受けてくれるのなら……ケント、お前にこの炎帝倶利伽羅をくれてやるぜ」
「え……!?」
「喜んで最高のハーフメイドをその神刀で作ってやるよ。もちろん、加工料もタダでかまわない。それプラス、次の街までの必要物資を提供する意思もあるぜ……どうよ、悪い話じゃあるめぇ?」
交渉に乗り出した商人の不敵な笑みに、ケントは息を呑んだ。
この報酬は高過ぎる。いや、それで伝説級の魔法剣が手に入るなら安いものだ。
自分達がここに来た目的を考えれば、ギリーの依頼を受けない理由はない。魔導騎士団と戦うためにより強い剣を探す――この《炎帝倶利伽羅》は最もその条件を満たし、かつ、最高の力をケントに与えてくれることは間違いなしなのだ。
だが、問題は生じる。横目でエステルを見るが、彼女も同じことを持っているらしく、
「……確かに、断る理由はありません。しかし、残念ながら今のケントは手負いです。任務の遂行に大きな支障をきたらすでしょうし、それ以前に問題は……私達がこの剣を本当に何かとできるのかという点です」
薄らと炎に揺れる炎帝倶利伽羅を見た。スパナを蒸発させた魔力に、どうやってケントがその柄に触れることを許されると言うのか。
「俺の勘でも使える人間なんて、ナルムーンの将軍ぐらいしか浮かばねぇよ。だが、ヤツらに匹敵する魂を持っているのは……剣帝と呼ばれた前世を持つ、お前だけだ」
グッと握りしめた拳を、ギリーはケントに見せた。
そして彼は、とてつもなく苦いものを噛んだような顔で言い放つ――
「とにかく俺は、てめぇの欲で仲間を殺してくれた、魔導騎士団をぶっ殺してぇ……! そのために僅かな可能性にも懸けてみてぇのよ!」
隠しきれぬ、サンズラスから垣間見える無念の表情。理不尽にNOと言えずに、仲間を失った。飄々と振舞っていても、その心に宿る怒りは、彼の正義感と使命感に火を点け、仲間の仇を打つべく彼を駆り出したのだ。
「……」
どうするべきか、エステルは回答に詰まった。
彼の気持ちは痛いほどわかる。だが、だからと言って感情に心を左右されてはならない。
一番に重んじるべきは魔導騎士団打倒のために、サンズへ帰還することなのだ。
例え願ってもない好条件とは言え、要らぬ争いへの介入が目的へ遠回りとなるのなら、本末転倒だ。自分達が滅ぼされては何の意味がない。
だが、沈黙する頭領の傍らで、ケントは――
「……わかった」
突然、彼は黙ったまま踵を返し、炎帝倶利伽羅の真正面へと進み出た。そして固く握りしめた右手を解くとゆっくりとその手を上げる。
「ケント!?」
彼はあの神刀に挑むつもりだ。エステルは止めようと身体を返すが――すぐにその考えを改めた。
青い髪から覗く彼の横顔は、強敵を前にした時と同じ、決意の表情だ。
エステルとギリーが固唾をのんで見守る中、彼は一歩踏み出し、ついに手を伸ばす。
この時ケントは、炎に揺らめく黒鋼の刃に天敵〈シヴァ〉との戦いを鮮明に思い出した。
腹立たしいことに、あの時のトラウマが今の自分を臆病にしていた。手負いだろうと、相手が15人以上焼き殺した呪いの剣だろうと――挑戦なくして、力を得ることは叶わない。
一刻も早くリベンジを果たし、あの黒き狼を倒さなければ未来はない。
これは意地とプライドの戦い。借りを返さなくては自分を支えてくれた仲間達に申し分が立たない。自分にはもはや、勝って終わる以外の人生などあり得ない。
「教えてくれ……倶利伽羅……! 俺がお前に相応しいかどうかを……!」
必ず魔導騎士団を倒す。約束したのだ、今は亡き師と――その熱き思いを胸に、彼は炎帝倶利伽羅の結界に手を突っ込む――が、
『ギュラギュラップップ♪ ギュラララランラン♪』
「…………」
「あっ、やべっ」
『ギュラギュラップップ♪ ギュラララプ~♪』
「誰だ、非通知かよ! はい、もしもし――」
神様は空気を読まなかった。
一瞬にして雰囲気を木端微塵にした大音量の着信音は、大人気アニメ『魔獣ゲッチュウ☆』のオープニングテーマ。腐ってもギリーは一児の父であると微笑ましい限りだが――
「……もうヤダ」
勇者はモチベーションをすっかり欠いた。ギリーが小部屋から出ていくなり、ケントは炎帝倶利伽羅の目の前で三角座りをし、しみったれた顔で塞ぎ込んだ。
それを憐れんだのか、何故か倶利伽羅の炎もすっかり消える。
熱い展開を見せたとは言え、豆腐メンタルは所詮、冷奴に終わるのである。ここでもう一回など、やりそうにもない冷え込み、いや、落ち込み様である。
だから、お前は麻婆豆腐になれないんだと――人を熱くさせないヘタレ勇者を、エステルはじっとりとした目で見下した。
「まったく! 着信音くらいで情けない! 出直しです。とりあえず展示室に戻りますよ! この穀潰し!」
プンプン小言を漏らしながら、メイド服の座敷童は勇者の首根っこと掴み、小部屋の外へと引きずり出した。
しかし、小部屋の外は外で、さらに深刻な問題が生じていたのだ。
工房奥の休憩スペースでは、先の着ぐるみ事件から立ち直り、工房へと降りてきたキャウとキエルが横並びに座っていた――
「僕はね、思うんだよ……キエル。人がなぜ二次元的な虚構を求めるのか……それは夢見る自分に酔いしれるためだってね」
その発言者に、さずかのエステルも表情を硬直させた。
さり気なく見て見ぬふりをしてきたが、もう限界だ。王者の如くソファーを占拠し、タバコのようにペロペロキャンディーを咥える少年をスルーすることなどもはやできない。
「かく言う僕だって、プータローに夢中になることで、テストの点とか体育のマラソンでビリだった辛い記憶を忘れられた。この街は、ミザールは……そんな現実と向き会う勇気のない、チキン野郎のオアシスなんだよ。僕はそんな故郷の良さに、初めて気づけたんだ」
「そう、よかったな!」
決して見間違いではない。視線の先、ペロペロキャンディをバリバリと噛み砕き、キエルの隣で淡々と持論をかますのはベリーショートのお子様――ギリーの息子キャウ(9歳)だった。キャウは戦場の少年兵にも等しい、諦観と虚無に満ちた表情で、大人が生み出した世界への憎悪をかれこれ30分ずっとキエルに聞かせていたのである。
放心状態のケントも思わず蒼顔で立ち上がり、目を擦る。
あらかじめ伝えておこう。
先のプータローショック(後の「着ぐるみ中の人事件」)により、ガラスのハートが砕けたキャウは、何故か人生を達観してしまったのだ。
父に勝る、キャウのハードボイルド染みた遠い目つき。キエルはまったくそれに気づいていないのか、ツッコみたくなるほど真面目な装いで聞き手に徹していた。
そもそも、誰のせいでこうなかったか――その議論に差し掛かる前に、額に汗を浮かべたケントは、そそっと小部屋へ逃げようと進路を変えた。
だがその瞬間、怨念が彼の背中をなぞり、思わず振り返る。すると、冷笑を浮かべたキャウがキャンディーの棒をペッとゴミ箱に捨て、立ち上がったのだ。
「だから、僕はケントに感謝してる! ほんのさっきまで、僕は『魔獣ゲッチュウ☆』のアニメ放送が全てのクソガキだったけど、今はそれが現実から心をリセットする一つの手段として認識することができるんだ」
「……あの」
「だから、あえて僕はこの言葉を彼に送ろう――『ありがとう、勇者様! 精々人のために働いて死ね」ってね!」
「一皮むけてちょっと大人になったじゃんか、キャウ!」
「――ちょっとどころじゃねぇだろォォォ!? って――あだだだだだだだッ!?」
キエルは大変うれしそうに、マロン色のベリーショートをモシャモシャなでているが、見過ごせないボケである。
まずい、このままでは9歳児に完全に付け込まれる。
危機感に命懸けのツッコミを繰り出すが、ケントは自分が手負いであることを忘れていた。これもキャウの術中か。大声のせいで身体にピキーンッ! と電撃に等しい痛みが走り、思わず蹲った。
「ホント、アレ……怒りたいなら言ってごらん? 文句があるなら、直接お兄ちゃんに言ってごらん?」
「何のことぉ? どうしたの、お兄ちゃん?」
許しを請うため、気合で汗まみれの顔を9歳児に向けるが、キャウはムカつくほど愛嬌のある顔で笑ってくれた。巧みな本音と建前の使い分けである。
「ごめん、お兄ちゃんが悪かったみたい……!」
ブルブルと肩を震わせるケントに、キャウは笑顔を次第に薄ら笑いへとシフトする。天才的な9歳児だ。大人の対応が維持できる限界と知り、煽っているのである。
だが、才能だけでここまで9歳児が大人顔負けの口達者になれるはずがない。
黒幕は割れている――間違いなく、隣で「やり過ぎた……」と後悔の表情を浮かべるメイド服の座敷童である。
「おい、責任とれよ……! お前の仕込みのせいだろ!?」
「違いますぅ~私は大人の階段を昇る辛さを教えてあげただけです! しかし……一字一句間違えずに暗記するとは侮りがたし!」
作文用紙に書かれた台本に、エステルは唸った。
ケントは両手で前髪をガッと掻き上げて、呆れたように息をつき、
「人を外道に引き込むんじゃないよ! ってか、お宅のひねくれ原因を聞きたいわ……!」
彼はそのままお手上げのポーズを取った。
その傍らで、フェイクの黒髪が角度を下げた彼女の顔に影を作った。
「面白い話じゃないですよ」
「え?」
「誰も彼も……私を放っておいてくれなかっただけです」
様子がおかしい。その声音に彼女を見上げると、その瞳は遠い世界を覗き込んでいた。
「エステ――」
その時、材料倉庫の方から凄まじい足音が響き、彼は口を閉ざした。慌てふためくギリーが、その巨体を揺らし、工房に飛び込んできたのだ――
「お前らやばい! 隠れろ!」
「はっ?」
何事かと、汗ばむグラサン男に一同はポカーンした表情を向ける。だが、彼は説明している暇はないと、鬼気迫った表情で携帯を主張し、
「ヤツだ! 最悪のタイミングでヤツが来る! パウロの野郎が、すでに上の階に来てるんだよッ!!」
「――そ、総員どこかへ退避ィィッ!!」
最悪の事態だ。
悪報に飛び上がったエステル、ケント、キエルの三人は、無我夢中で身を隠すスペースを探して、ダッシュ。そして、ツナギのクローゼットにエステルとケント、工房テーブル下の空の物置にキエルが収まると、ギリーは満を持して招かざる客を迎え撃つ構えを見せる。
「……キャウ、良い子でいろよ?」
「任せろ、親父」
キリリとした目で、マクレン親子は互いの拳をごっつんこさせた。
それから間もなくだった。騒々しい足音が一気に地下への階段へと流れ込む。
そして、ドアは蹴破られた――