ようこそオタクの聖地へ その4
食い倒れ市場 場外
ここまで来れば追手はこないと、ホットケーキとマカロンは足を止め、来た道を振り返った。市場は先ほどよりも、晩酌を楽しむ人間で溢れ返っている、これなら追撃は困難だろう。
それ以前に、ホットケーキがかけた、植物を急成長させる木星型魔法により、腹の中でスイカの種が育って大騒ぎになっているはずなのだ。
問題ないと、ホットケーキとマカロンは互いに頷き、額の汗を拭い、それぞれの髪型を整えた。
「……いやぁ、久々にハラハラした! 同じチンピラとして許せんヤツらだぜぇ」
「こ、幸運なことに、卵とバターの店はすぐそこだ。これ買ってさっさと帰れば――」
「あの」
メイドの彼女の声に、二人はビクッと姿勢を正した。
困った。
何を考えず助けたはいいが、顔を見られた重大さに今気づいた。本来ならばこのままとんずらすべきなのだが、彼女を放置してしまうと、あのチンピラの仲間がいつ追ってくるかわからない。
「助けてくださいまして……本当にありがとうございます!」
三つ編みのメイドは黒い瞳を輝かせ、深々と頭を下げた。
ヤバい。この調子でお礼などと言う話になると、非常にややこしい展開だ。ご厚意を断ることは義理堅いホットケーキとマカロンにとって精神的に応えるのである。
加えて、彼女はとても――
「お二人に助けていただかなかったら私……奴隷として売られてたと思います」
艶やかな黒髪を三つ編みで一つに束ね、真っ直ぐ切りそろえられた前髪は淑女の証。頭領エステルに思わず見習えと言いたくなる気品ある物腰は、彼女が才色兼備であることを一瞬にしてわからせる。
美人だ。ただのメイドカフェにはもったいない、大和撫子である。
「? どうかされましたか?」
「え!? いや、そ、その、あの手の輩はしつこいから仕事変えねぇと不味いよなって……だよな、マカロン?」
「で!? あ、そ、そうっすね! すぐにでも仕事を辞めて、街を出たほうがいいっす!」
盗賊経験者のマカロンにとって、確かに覚えのないことではなかった。痛い目を見せたとは言え、仕返しは十二分に考えられる。店の客引きをやっていた以上、彼女が働くカフェの名前も知れているのだ。
だが。心配する彼らに彼女は首を静かに横に振った。
「そうしたいのは山々なんですが……無理なんです」
「何で?」
ホットケーキの問いに彼女は悲しく笑った。
「借金があって……店のオーナーに建て替えてもらったんです。返し終わるまでは、働く約束なので……動けません」
メイドの言葉に、彼らは悲痛な表情を浮かべた。
何ということだ。彼女はすでにナルムーンで問題視されている人身売買の被害者だった。特にこのミザールでは娯楽店が多い反面、彼女のような美女の借金を建て代わりし、ただ働きを強いるという悪質な労働契約が後を絶たなかった。
それを黙認し、放置しているのは他でもない――魔導騎士団団長パウロ・セルヴィーなのである。
忌々しき組織の名に、ホットケーキは拳を握りしめた。
「何でそんな契約、あんたは――」
グゥゥゥゥ~!
肝心なところで力んだのが失敗、説教よりも凄まじい勢いで腹の虫が泣き叫ぶ。
「肝心なところで空気読めないよね、ホットケーキ」
珍しいマカロンのツッコミに、ホットケーキは無念とばかりに空っぽの腹を叩いた。
だが、彼女ははっとしたように、掌をポンと叩いた。
「お腹空いてるんですか?」
「……ま、まあ」
「よかったら、お店に来ませんか? 助けてくれたお礼くらい、させてください!」
そら来た。
ホットケーキとマカロンは顔の影を濃くし、言葉に詰まった。脳裏に浮かぶ鬼の副長は囁いている。間違ってもメイドカフェなんかに行ったら殺すと――
「無理無理無理ッ! 俺達時間なくて……なぁ!?」
「そうそうそうっす! 実はお遣いの真っ只中で――」
「貸し切りでちゃちゃっとできるんだったら、サービス料奮発しちゃうかのぉ~!」
「――マカロン、お前何言って!」
「違う、俺じゃない!」
「……へ?」
何とも邪な発言に、彼らは疑心暗鬼気味にお互いを見るが、どう考えても相方の声ではない。不審に思い、ふと視線を下に落とすと――足元でフリーライダーを決め込もうとしている、白髭チビジジイが得意げにVサインをしているではないか。
その見覚えのある顔に、彼らは仰天した。
「フランチェス!?」
「ジジイ、何で!?」
忘れもしない。ヴァルムドーレとの戦いの後、サンズへの帰路の途中、バインダーを飛び出して好き放題やってくれたのは記憶に新しい。余りにも迷惑なので、滅多にこれは怒らないフェンディが、魔王の形相でどぎつい封印魔法をお見舞いしてやったのだ。
しかし、その彼がなぜここに――
「この二人はシャイでな~人目があるとハメ外せんのじゃよ」
「本当ですか!? 構いませんよ、貸し切りで! もうじき閉店ですから、事情を話せば仲間も振舞ってくれると思います!」
彼女の声は弾んでいた。
「ほいじゃ、決まりじゃな! お前ら、奢ってやるから、ついてらっしゃい!」
札束を扇代わりに仰ぎ、ジジイは動揺する二人に不敵な笑みを送った。
ついてこなきゃ何も教えてやらない――そう言いたげな顔である。
「……ああ」
母国がドゥーベ海戦で敗北した以上、ここで魔導経典の統括精霊たるフランチェスを連れて帰らないのは重罪に値する。それほど重要事項なのだ。
先手必勝。どうにかしてフランチェスを味方につければ、これからの魔導騎士団との戦いを有利に運べる――舞い込んだ逆転のチャンスをものにできずにして、盗賊団スターダスト・バニーの名は語れない。
――一か八だ。
「では3名様ご案内でよろしいですか?」
「よろしく~! むっほほ、メイドさんハーレムじゃわい! 楽しみじゃのぉ~!」
興奮するフランチェスの傍らで彼女はポケットに入れていた携帯電話を取りだした。
「――もしもし、シノです」
「……」
ホットケーキは些かの罪悪感を覚えた。彼女の楽しそうな表情に、口が裂けても魔導経典のためとは言うまいと固く誓ったのだ。