ようこそオタクの聖地へ その3
《食い倒れ市場 イベントスペース》
良くも悪くも人間は欲に正直だと――白髭の小さいジジイ、フランチェスは、セーラー服のコスプレ集団の足元を意図的にすり抜け、追手をかわしていた。
息を切らし背後を見るが、上手く巻いたようで、追撃者の気配はない。
「ほぉ、ほぉ……ここまで来ればあの毛玉も気づくまい! あの面食い兎のことじゃ……こんな暑苦しい野郎どもだらけの場所など近づかんじゃろうよ……!」
深呼吸して改めて周りを見回すと、歓声と共に激しいカメラのフラッシュが、フランチェスの視覚を刺激した。彼が目をチカチカさせて、群がるオタクの群衆から逃れると、奴らの視線の先から流行りのアイドルがお目見えになった。
猫耳にピンクのフリフリミニスカドレス。ピチピチの5人娘に、すぐさまエロジジイは目をハートにした。
「バカと天才は紙一重と言うが、この街には天才しかおらんのぅ! むほほほほッ!」
ジジイは写真撮影に応じるアイドルたちのパンツが見えないか、オタクの陰で首を上下させる。これほど下心丸出しの司祭がいてたまるかと、普通の街ならお巡りさんの出番であるのだが――残念なことに、ここはオタクの聖地ミザールだ。このスケベジジイも、宗教服を着たコスプレイヤーであると酷く自然な思い込みで通行人は寛大にスルーしてくれる。
そもそも魔導騎士如きに捕まるはずがない。
フランチェスは自分の絶対的な力を信じ、自由を満喫するために最も都合の良い都市にやって来た。それがこの自由奔放な嗜好都市なのである。
――だからこそ、遊び尽くすべし!
フランチェスはキリリと、ポケットから観光マップを取り出し、次なる行く先を決める。
「さてさて、ミザールに来たからには大本命! メイドさんと……むほほほほ!」
赤丸がついた店――それは定番でありこの手の店では至高。ミザールでの最大規模を誇るメイドカフェであり、ここに行かずしてミザールを語れない観光名所であった。
ときめきに老人の脈は速まる。現場へ直行すべく、彼は名残惜しくもアイドルのミニスカに別れを告げると、意気込んだ面持ちで進路を臨む。
しかし突如、人混みの中から現れたとある2つの顔に、彼は大きく表情を歪まるのである。
「――馬鹿な!? なぜ奴らが……!」
フランチェスは目を真ん丸にさせた。
これは緊急事態だ。進路上にいるのは物見遊山のリーゼントと鶏冠頭。見覚えのある2人の男に、フランチェスは咄嗟に物陰に隠れた。
見間違えるはずがない――彼らはあの盗賊団スターダスト・バニーのメンバーであった。
「計算外じゃ……! ヤツらサンズに帰ったんじゃないの? まさかワシをバインダーに連れ戻すつもりで……」
ふと、臆病なほど警戒する自分をフランチェスは鼻で笑った。
「なるほど……だからあの毛玉はあんなに必死なわけねぇ~しかし、そう簡単に末裔ちゃんのお仲間になる訳にはいかないのよん!」
何人たりとも邪魔はさせない。そんな必死の形相で、フランチェスは目的地であるメイドカフェの最短ルートを脳内で再設定する。
しかし、
「――ん?」
近くの細路地から穏やかでない声が聞こえてきたのだ。
◆ ◆ ◆
「……何だ?」
奥の路地から聞こえた怒号に、ホットケーキとマカロンは足を止めた。周りに警戒しながら現場に近づくと、薄暗い飲食店の裏路地で何やら口論が始まっていた。
たちの悪いチンピラ二人に、一人のメイドが絡まれている。危機的状況に、彼女は店の宣伝プラカードにすがるよう抱き付いた――
「なぁ、お姉さんよ? 仕事熱心なのは結構だが、シマを越えて客引きは感心しねぇな!」
「ご、ごめんなさい……私、そんなこと知らなくて……」
「おいおい、店の教育がなってねぇな? 縄張り越えたらどうなるか……水商売の女なら知らねぇはずねぇよな!?」
ドンッっと、メイドは壁に突き飛ばされる。これこそ、あの『壁ドン』であるが、そんな悠長な場合ことを言っている場合ではない。彼女は反動で尻もちをつき、怯える眼でチンピラを見上げると、酷くいやらしい笑みが待っていた。
「罰金だよ、罰金! 覚悟しな、店にきっちり払ってもらうからよ!」
チンピラが携帯を取り出すと、青ざめた彼女は奪うようにその手を止めた。
「や、やめて! お店には言わないで……クビは……クビだけは……!?」
「そんなこと言ったって払えるの~? ウン百万だよ、ウン百万!」
「そ、そんな大金……!」
「じゃあ――こっちで払ってもらうしかねぇよな?」
あまりの高額請求に彼女が言葉を失っていると、片方のチンピラが突如、彼女の乱れたスカートを引っ張り、煽るように遊び始めたのだ。
彼女は顔を真っ赤にして、
「や、やめてくださいッ! 何するんですか!?」
慌ててスカートを抑えるが、チンピラの手が滑る込むように彼女の腿を掴む。
ビクッと体を震わせる彼女に、チンピラは汚い笑い声を上げた。
「いいね~これなら十分客もつくぜ? うちはコスプレありだから安心しな!」
「そうそう、その手の変態を喜ばしてくれりゃいいんだよ。何、風呂入って寝るだけの簡単な仕事だ。悪い話じゃねぇよな?」
すりすりとスカートの中で彼女の太腿をさするチンピラは、わざと耳元で囁くように彼女の三つ編みを弄んだ。
鳥肌が立つ。汚い手をスカートの下から追い出そうと、彼女はチンピラの手を押さえつけるが、そんなちゃちな抵抗で止めてくれるはずはなかった。
耳障りな引き笑いが起こる。
必死な彼女を、チンピラどもは見世物のように見下ろした。
「さあ、どうすんだい? お姉さんよ!」
もう一人が仁王立ちで彼女の前に立ちはだかる。
ここで断ればどうなるか、そう言いたげなゲス顔だ。彼女がはっきりと断った途端、彼らの価値観は変わる。彼女を快楽的な暴力の対象と見なし、身も心もズタズタにしてしまうことだろう。
だがそれでも、彼女は――
「……嫌です」
「あ?」
チンピラのこめかみに青筋が浮かぶ。それでも、彼女は震える唇をこじ開け、彼らをキッと睨みつけた。
二度目はないという無言の圧力に、断固として彼女はもう一度、
「嫌です!」
毅然と汚い野郎どもにそう言い放った。
直後、強烈な平手が滑らかな彼女の頬を打つ。完全に頭に血が上ったチンピラは、倒れ込む彼女の三つ編みを引っ張り上げ、罵声を浴びせた。
「このアマ……いい気になってんじゃねぇーぞッ! 優しくしてやればつけあがりやがって!」
腰の短剣を引き抜き、彼は苦痛に歪む彼女の顎を掴む。そして、世にも恐ろしいアイディアを思いつくのである――
「決めた。奴隷として売り飛ばしてやる。大陸の外にもあんたのようなアバズレを欲しがっている連中は沢山いるからな……大儲け間違いなしだ!」
彼女から血色が消える。歓楽街で働かせるよりも残酷な未来に、彼女は自分の勇気すら後悔した。
――ああ、殴らた方がマシだった。
「やめてください……それは……それだけは!」
許しを請うが、もはや彼らは儲けのことで頭が一杯だ。ただの商品でしかない彼女の言葉に耳も貸さず、黙々と増援を呼ぶべくチンピラは電話をかけ始めた。
「ああ、もしもし――グッ!?」
その時、異変が起こる。電話をかけていたチンピラが突現、脂汗を掻いて顔を歪ませ、腹を抱えるように倒れ込んだのである。
それを見たもう一人、彼女を拘束しているチンピラは、
「お、おい……どうした!?」
「腹が……腹が痛てぇ……! い、胃の中で何かが動いてやがる……ぎゃぁぁッ!?」
「え、ちょ、何!? 救急車!? 救急車呼ばないと!?」
悪事を働いているのに助けを求めるのはどうかと思うが、動転した彼はそんなことにも気づかず、辺りを慌てて見まわした。
すると、路地の入口から近づいてくる人影に、彼は安堵したような笑顔を向けて、
「すいませーんッ! 急病人です! 助けてください!!」
と、必死のSOSを送るが、近づいてきたそいつらの顔にチンピラは石と化す。
「ほう……急病人か! 腹痛でも起こしちまったかな?」
近づいてくるのは善良な市民――ではなく、彼らよりももっと凶悪な顔をした、リーゼントと鶏冠頭のチンピラ達。タイミングの速さからして彼らの仲間であるはずもなかった。
――あ、やばい。
本能的が滝のような脂汗を流し、ヒュッと短剣を隠す。
これは助けてくれる気配ではない。彼らは殺る気満々の前で、彼女を捕えたチンピラと腹痛にもがくチンピラを見下ろしている。
ふと彼女の視線を落とす。するとポカンとしている様子から、まさかと思うが、聞いてみる他ない。
「お、お仲間ですか? 彼女の……!」
「あ?」
怖すぎるリーゼントの眼光に、チンピラは思わず舌を噛み切りそうになった。
すると、リーゼントは嘲笑を浮かべて、苦しむ腹痛男に目を向ける。
「てめぇ、昼飯何食った?」
「何……だと……?」
「種が入ってるもん食わなかったか?」
すると、腹痛男は酷く恥ずかしそうな顔で、
「フ、フルーツポンチ……!」
衝撃のメニューにリーゼントの隣の鶏冠頭は吹き出した。
だが、リーゼントは至って冷静な表情で、拳をゴキゴキと鳴らす。
「ご愁傷様だな。お前の腹の中で動いてるのは、魔力で発芽したスイカの種だろうよ」
「た、種って……て、てめぇ……なんでそんなこと……!」
「さあな。種は取って食えとお袋さんに習わなかったお前がイケない――」
その刹那、道端の雑草が急成長。身動き一つできない速度でもう一人のチンピラをの身体に絡みつき、メイドの身柄を自由にした。
「ぎゃぁぁぁ!? な、何で草が……!」
「マカロン!」
「承知!」
首をツタに締め上げられ、チンピラの顔が見る見るうちに青くなっていく。これはチャンス。鶏冠頭はその瞬間を突いて、メイドの手を取った。
「逃げるっすよ!」
「……え?」
突然の介入者は思いもよらないことに救世主であった。メイドは状況も把握できないまま、鶏冠頭に導かれて暗闇が支配する細路地から脱出した。
そして、リーゼントは苦痛に歪む腹痛男に、
「早く救急車呼んだほうがいいぜ? どの道手術しなきゃ、胃の苗は取り出せねぇからな」
「ま、まさか……! てめぇ、俺の胃の中にスイカを――」
「ご想像にお任せする。じゃあな」
渋くも痺れる男の背中を見せつけて、リーゼントも裏路地から姿を消した。
その後、彼らは何とかして救急車を呼んだが、運ばれた先はなぜか産婦人科であった。満を持した帝王切開で、腹痛男から生まれ出たのは、何とも可愛らしいピンポン玉くらいのスイカの赤ちゃんとくそ長いツルであった。
「おめでとうございます」
「……」
万遍の医者の笑みに、彼らは絶句する。
医者によると、あと30分遅かったら、スーパーのヤツと同じ大きさにまで成長し、胃を突き破っていたらしい。それほど元気な子であったようだ。
その事実に、言うまでもなく、彼らはスイカ恐怖症に陥ったのであった。