ようこそオタクの聖地へ その2
ミザール 老舗銀線細工工房ギャレット
とりあえず、破壊された入口は防犯のために鉄板で塞いだ。埃と木屑に塗れた店内を潔癖症の指揮の下、せっせと磨き上げると年季の入った床板が嬉しそうに輝いた。
すっきりと片付いたところで、話は始まる――
「久しぶりだな、キエル! 何年ぶりだ? ちゃんと更生したのか?」
「ふぅー! 2年ぶりぐらいじゃねぇのか? しかし……太ったな」
ボヨンと子供が2人ぐらい入ってそうな腹をさすると、ギリーは顔をしかめた。
「お前の中元と歳暮のせいだ! まったく元極悪人のくせに、妙なところは細かくて――」
「そこ綺麗にしたから触んないで」
「……堪んないぜ!」
磨かれたカウンターの指紋。ギロリとした彼の視線に、さすがの店主も恐れをなして、さり気なく乾拭きをする。
さて、どうやら顔見知りらしいが、さっさと本題に入りたいところだ。
恐る恐るエステルは、二人の間に割って入る。
「あの~お話中悪いんですか……早速、魔法剣の見立てに移りませんか?」
「何だ、この座敷童は? どこの店のアフターだ!?」
「ざ、座敷……!?」
「悪いことは言わねぇ……金貸してやるから、もっといい女に変えて来い」
「聞き捨てなりませんねぇ! 私だってドンペリの一本ぐらい取れますよ!」
「キーッ!」と歯をむき出しにして食いかかるエステルであるが、かえってギリーの失笑を買った。
「何もわかっちゃねぇ! すぐドンペリとか言っちゃう辺りど素人だな……よしわかった! 今電話して取って置きの呼んでやるから、嬢ちゃんも勉強――」
「やめてッ! エステルにはまだ早いから! ただでさえ、腹黒なんだから!」
キエルは必死の形相でギリーから電話を奪い、ピンクの名刺を彼の財布に戻すが、エステルとて、いかがわしい出前の存在を知らないわけではなかった。
それはそれで面白そうなのに、ち彼女はキエルの聞こえないところで舌打ちをした。
「まあ、冗談はこのぐらいにして……そこの嬢ちゃんが、噂に聞くお前の頭ってことか」
「エステルって言うんだ。俺をしょっ引いた軍人の妹で、サンズ指折りの魔導師だ」
「よろしくお願いいたします」
ギリーは改めて素性の知れたメイドの座敷童を凝視するが、やはり失笑を隠しきれなかった。その反応にイラッとエステルは青筋を浮かべるが、もっとイライラしている人間がいることを思い出し、グッと耐えた。
そして、そのイライラしている張本人であるが――
「で、あのプータローが勇者様か? 剣も心も折れたそうだな」
「ああ、最近失業したての無職だ」
『――すんません、もう脱いでいいですかね……!?』
わなわなとプータローの背後に見えない炎が燃え上がる。中の人は彼らの返事を待たずに背中のジッパーを内側から外し始めた。
だが、その時、悲劇が起こる。
「パパ、キエル兄ちゃんまだー!? 僕、待ちくたびれ――」
「あっ」
店の奥から、子供が一人勢いよくドアを開けたのが運の尽き――少年はピタリを動きを停止した。硬直した表情で、それと目が合ってしまったのだ。
少年を待ち受けていた光景は残忍であった。目にしたのは大人気アニメ「魔獣ゲッチュウ☆」の主人公、海賊ペンギン《プータロー》の哀れな姿。皮膚がぐにゃりと剥がされ、その背中から、死んだ魚の目をした、紅い額当てと青い髪のクソ野郎が、素っ頓狂な顔して生えているではないか。
なんて、グロテスク。途端、夢の崩壊の音を少年は聞いた。砕け散った夢の欠片が、無情にも少年のガラスのハートに傷をつける。
「――うわぁぁぁぁんッ! プータローから中の人がァァァ!?」
「ちょ、待って……!」
生まれて初めて味わう裏切りの痛みに、少年は走り出した。もはや中の人の言葉は凶器だ。残された純粋さを全て切り裂かれる前に、少年はに逃げ出したのである。
何やらかしてんだ、とエステルは鬼の形相でケントの首を掴んで、
「ゴルァッ!? あんたアレがどんだけ成長期の心を歪めるか、わかってんですか!? 硝子の少年時代の重要さをわかってないんですよ! 破片が胸へと突き刺さるんですよ!」
「やめ――ぐ、ぐるしい! ぎずもひらぐッ!?」
珍しく正論を吐きながら、彼女はケントの首を締め上げ、容赦なく揺さぶった。まさにメイドに冥土送り――と、まったく上手くない図式である。
だが大人達は様子が違った。これも大人への成長儀礼だと微笑ましく少年を見送ると、
「この調子でサンタクロースも――わかれば、楽だよな。親として」
「だよね」
恐ろしき企てを口にするのであった。
少年少女はピタリと動きを止め、腹黒い微笑み二つにジト目で見つめ、
「「あんたらが一番汚れてる」」
絶妙なハモリの後、とりあえず店内は静けさを取り戻した。
◆ ◆ ◆
数年前。
「ねぇ、お兄ちゃん」
窓から外を眺めていた妹は、楽しげにこちらを振り向いた。
「みんな綺麗なドレスを着てるけど、私はそんなのより……ふわふわのオムレツでお腹をいっぱいにしたいな~」
熱いものが込み上げた。
やや痩せ細った万遍の笑みに、人知れず涙した日も懐かしい。そんな我が家に咲く、一輪のタンポポは、荒みきった心の癒してくれた。
何かしてやりたかった。
だが彼女は、欲しいものを聞く度に、
「うーん……アップルパイ? お母さんと3人で食べたいな!」
もはや自力で食事を取れないお袋を前にしても、彼女は悲しい顔を一瞬たりとも見せずに、お袋の手の温もりを幸せそうに感じでいたのを思い出す。
お袋が死んだ日もそうだった。
お腹空いた――と、彼女は涙でグチャグチャにして言った。
その時作ったジャガイモのスープを、おいしい、おいしいと平らげてくれたが、結局、涙の勢いは増すだけであった。
だけど、今、あの部屋に帰っても、冷蔵庫に入っているのは一人分の食材だけだ。
埃被った2組の食器が、今の残されたまま……。
◆ ◆ ◆
食い倒れ市場
「……ホットケーキ?」
「――はっ」
「どうしたんだよ、立ったまま寝るんじゃねえぜ」
我に返り、視界が飛び込んだのは鶏――かと思えば、鶏冠頭の細マッチョ、マカロンであった。
いつの間にか、艶々のリンゴを手にしながら白昼夢を見ていたらしい。
「……すまねぇ、レシピを考えるのに夢中だった。オヤジ、これ一箱くれ」
「毎度、兄ちゃん! おまけしてやるぜ」
果物屋の親父にリンゴを一箱ほど頼み、指定の場所でピックアップできるよう、買い回りサービスの控えを受け取った。
食い倒れ市場は、その名の通り食材の宝庫であった。
B級グルメから高級食材まで、ここにおいてないナルムーンの食材を探せと言う方が難しいと言える品揃えであった。
大陸中の料理人がここに買い付けに来るため、市場は顧客動員策としてこのように指定のカウンターで買ったものを受け取れるサービスを行っている。
手ぶらで買い物ができるとは実にスマートだと、ホットケーキはやや活気を取り戻して次に調達すべき品をチェックした。
「えっと、調味料も買い込んだし、野菜、果物は済んだ。あとはバターと卵か……器具も一新してぇが――」
ホットケーキの隣で、マカロンの腹の音が鳴る。
「……その前に腹ごしらえか」
「俺、ローストチキンサンドがいいな」
「共食いかよ! 待ってろ……確かこの辺に屋台が――」
地図を広げた直後、何やら不思議な感覚が全身を駆け抜ける。はっとして顔を上げると、視界の端で、人混みの中をピンクの影がシュッとすり抜けて行った気がした。
「……」
「どうした? ホットケーキ」
「……いや」
マカロンは気づかなかったのか、自分の食欲を満たすことで頭が一杯である。
その後、彼は少々警戒した様子で辺りを見回したが、あのピンクの影らしきものに遭遇することはなかった。
疲れのせいだと、ホットケーキは気持ちを切り替えて、屋台スペースへと向かった。
ふじしろは剛君派です。