海外配送は着けば万歳 その4
ミザール城壁付近
大陸一の大河は付近の都市に多くの恵みをもたらした。この悠々と流れるアリウス河沿いに栄える、ネオンライトに煌めく街並みこそ、嗜好都市ミザールなのである。
この河を物流の運搬手段として用いること数千年、ミザールは海上貿易により買い付けられた品々を売買する場所として、多くの商人に愛されてきた場所なのだ。
とりわけ、ドゥーベ海に近い各都市は、ナルムーン共和国内で重要経済拠点として位置づけられてきた。
ミザールは昔から南に連なるアンドロメダ山脈の地下水を用いた染物、鋳物、革製品と、多種多様な産業が衰えることなく、伝統技術として長きに渡り受け継がれている。後継者問題が深刻な問題と言われる世の中であるが、この都市に限っては例外なのだ。
それだけ、この都市に魅入られる人間が多いということである――
「ついに来ちゃった……! ここまで来れば、あの毛玉も追っては来まい!」
トワイライトの地平線は眠らぬ夜の訪れ。仕事を終えた開放感に、人々は様々な形で一日を締めるべく、ネオン煌めく大通りへと相次いで流れて行く。
そんな雑踏の中、小さな白髭のジジイが高々とそびえる城壁を臨んでいた。彼はソワソワと辺りに注意を払い、藍色の司祭服のポケットから観光ガイドを取り出した。
「さすが、若者の作り出す文化はハンパないのぉ……期待に胸がはち切れそうじゃわい!」
まさにはち切れそうなメイドさんが写ったページに、ジジイは鼻の下を10㎝ほど伸ばし、地団駄を踏んだ。
藍色の宗教服は清浄なる心の証――のはずだが、それはエロジジイもそこそこ威厳があるように見えるからと言う解釈で間違いなかっただろうか。いや、間違いである。
「せっかく手に入れた自由じゃ……謳歌せずになんとなる! 特にあの小僧から逃れた祝いじゃし、ハメを外したところでバチは当たらんよのぉ~むほほほほほ!」
ジジイの意気込みには執念すら窺える。
とにかく、彼ははキョロキョロと周りを見回した後、さっさと城門を潜り抜けて行った。
煙のように姿を消して――
◆ ◆ ◆
ミザール魔導騎士団 本部
城内外の監視に努めるモニタールームに彼はいた。やっと団長の無理難題から解放され、カナトは優雅なティータイムに、真心を注いで育てた薔薇の花弁の香りを嗜んだ。
そして、忙しいあまりに確認じまいだったドゥーベ海戦の分析結果に目を通す。その内容にカナトは不敵な笑みを浮かべ、インテリ風に眼鏡をかけ直して、こう結論付ける。
――勝てる気がしねぇ。
動作と裏腹に吹き出る額の汗の原因は、紛れもなく、元帥ミュラー・ヴァシュロンお気に入りの〈シヴァ〉であった。カタカタとティーカップを震わせ、丸テーブルの上に動揺の余り冷めてしまった紅茶を置く。
モニターには首都アルタイルから送られてきた海戦の映像が映る。その中で、凄まじい勢いで艦隊を沈めるシヴァの姿に、カナトは自分達の立場を危ぶんだ。
「元帥の作戦なのに、美しくない! 何だよ、こいつ……暴れ過ぎも甚だしいし、いきなり向こうの筆頭魔導師に突っ込むなんてバカげてる……! サンズと言うよりは、まるで僕らへのメッセージみたいだ」
「そ、それはどういった……」
控えていた上級騎士は彼を覗きこんだ。カナトは震える手で乱れてもいない眼鏡の位置を直す。
「ヘマをすれば、僕らもこいつにやられるってことさ……団長があの様じゃ、僕らの未来もお先真っ暗だ……!」
カナトの眼鏡が曇る。キーボードを操作しようと思っても、中々、思うようにキーが押せず悪戦苦闘している。
これが無言のパワハラ――口が裂けても言えないが、そう言うことなのだろう。
「何としても手柄を上げなければ……じゃないと僕らの首が飛ぶ……! そうしたら、僕らはご近所の笑い者だ……!」
「降格なんて……失業保険の見直しが必要ですな」
「生命保険の間違いでしょ?――フィギュアの頭部が僕らの生首に変わるだけなんだから」
「それはさすがにご近所も笑えない……!」
成果を出さなきゃ殺す、まさにブラック企業の神の如き発想だ。今更ながら、カナトは所属する魔導騎士団の恐ろしさを痛感するのである。
そんな自由騎士の圧力に比べれば、レンタルビデオ店で美少女アニメを借りにパシらされたり、アニメショップに薄い本を買いに行かされたりなんて些細な出来事に過ぎない。
だから彼らは言うのだ、文句を垂れるなと。
長いものに巻かれることこそ、唯一の世渡り法だ。この映像を機に異動願いを捨て、四の五の言うのを止めよう。
そう、些細なできごとなのだから――
「副団長、城外に妙な魔力反応があります」
「何?」
「僅かですが……ほら! 二か所に、まるで小さな隕石の落下のような衝撃波が」
機械オタクな魔導師にしかわからない、センサーの分析画像と数値を、情報分析担当の団員はメインモニターに映した。
カナトはその画像を食い入るように見つめ、魔導の神に感謝の咆哮を捧げる――
「キタァ――――ッ!!」
「団長のうつった!?」
「エクセレント! 間違いない、これは魔導経典の残光だ!」
モニタールームの魔導騎士は朗報に顔を見合わせた。
「な、何ですと!?」
別人かと思うほどカナトは生き生きとした表情で、現場の指揮を執る。気持ち悪い暗いキザなポージングで、彼の身体が魔力に輝いた。
「外部音声感度を最大にしろ――《木々の囁き》!」
城内外のあらゆる音声が部屋の中に騒々しく流れこむ。その雑音の中から、カナトはとある音を拾い始めた。
「答えろ……お前達が見たものを!」
それは木々の囁き。
彼が拾っていたのはミザール周辺の木々の声であった。その現場に居合わせた草花が風を伝って他の草木を揺らし、伝言ゲームを始めたのである。
直接対象物を探したところで、人間よりも遥かに知能の高い魔導経典の精霊が、そう易々と居場所を教えてくれるはずはない。だが、この大地に根を張る目撃者達の記憶操作を行う時間などないだろう。
カナトの耳に届いた草木の囁きは、彼の質問に明確な意思を以って答えてくれた。
――アオイフク、シロヒゲジジイ。マリョクガヤバイ。
その特徴に、カナトは怪しく眼鏡を光らせてほくそ笑んだ。
「扉絵のフランチェスか……! 吉報じゃないか――もう一つは何だ!?」
――サツジンケダマ。ジジイ、オイカケ、トウトイイノチ、クラッタ。
「殺人毛玉だと? 攻撃的な動物型の精霊なのか……詳細を、詳細を寄越したまえ!」
どうやら魔導経典の中に凶暴性の高い精霊がいるらしい。名前からして、限りなく球体に近いシルエットなのだろう。
焦燥に震える精神を落ち着かせようと、カナトは薔薇の花を嗅ぐ。まるで中二病をこじらせたようなクセであるが、まだ17歳ならば、若干の黒歴史の中に生きていてもおかしくはない。
とにかく欲しいのは情報だ。
だが、どうしたことか風の中から聞こえる彼らの声に変化が訪れる。怒ったように風は勢いを増して、妙な音が彼の耳に飛び込むようになった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
――本日の営業時間を終了いたしました。またのご来店をお待ちいたしております。
「営業時間って何!? 何でそこだけ流暢なんだよ……!」
まさかの反抗。時間外労働への、草花のストライキが始まった。
心なしか若干の笑い声が混じる――まさか、舐められているのか。
「おい、ふざけるなよ……! お前ら風に揺られるだけが仕事だろうが!!」
すると、カナトの発言に起こった草木達は、女子高生のような声音で、
――キモーい、光合成も知らねぇのかよ! マジ空気嫁、ksが!
罵倒した。
「キェェェェェェ――!? 雑草の分際で……除草剤、空中散布したろか!」
「副団長!? 一人で何盛り上がってんの!?」
まさかのスラング駆使に、カナトは憤慨して大事に育てた薔薇の花をむしり始めた。
意志がある以上、草花だって人間と同じ。そのことへの配慮が少しだけ足らなかったカナトは、従業員――もとい、草花から白い目で見られるハメとなる。気が付けば、聞こえてくるのは、ブログ炎上並ののバッシングばかりだ。
豆腐のメンタルが料理される前に、カナトは《木々の囁き》を解除し、ぐずったように唇を噛み締めて、指令室のメンバーを一望した。
「話はわかった……やはり魔導経典の精霊が近辺に潜んでいる! 一体が、魔導経典の扉絵であり、我らの元総大将フランチェス! もう一体が……これは僕も知らないが、殺人毛玉という精霊らしい」
「ケ、ケダマ……?」
魔導騎士は顔を見合わせた。
カナトは眼鏡を外し、涙ぐむ目元をブレザーの袖で擦る。
「名前からしてよくわからないが、フランチェスと同じ人型かもしれないし、本当に恐ろしい毛玉型の何かかもしれない……」
「ああ――マリモの精霊的な」
「何かヤダ……それ」
眼鏡を装着すると、彼はもう一度パソコンのマウスを手にし、フランチェスに関する情報を一同に公開した。
「フランチェスは曲者だ……僕らを否定し、泥棒兎どもに力を貸した。そのクセ、元帥のことを怖がって、表に出たがらない。一体何をしたいのか、わから――」
そこまで言いかけると、カナトははっとした。
「……そうか。だからか!」
「何かわかったのですか?」
灯台下暗し。
とんでもないことを見逃していたと、カナトは口元を掌で覆った。
この状況下で、ヤツの企みなど一つしかないではないか――
「泥棒兎だ」
「へ?」
口元を覆うカナトの手が、次第に力む。
「兎がミザールに入り込んだに違いない! だから、フランチェスはわざわざ政令都市に降り立った……奴らと協力するために!」
騎士達の表情が変わる。出撃前の緊張感の中で、カナトは団長のパウロより授かった、ラスティーラの対シヴァ戦のレポートに目を通す。
その内容に、カナトは肩を震わせて笑った。
「ドンピシャだ……! ヤツはシヴァに愛刀エンペラーを折られている。間違いなく、その代わりの武器を求めて、この街に潜伏しているはずだ!」
「の得物は自分の半身と同じ。一度死んだら、生き返らない……でしたな?」
「そう……ヤツはその前にベテルギウスのキャベツ頭との戦闘を経験している。代用品として、を考えているに違いない。奴の仲間にも使い手がいたし……最も効率的な方法だと考えられるな」
「――至急、城内の全ての職人をマークします」
カナトは頷いた。
「頼む。だが内密だ、内密にな! 団長に気づかれると……今すぐ押入れのメイド服を持って出撃しかねないから……!」
先のパウロの傍若無人を思いだし、一同は「ああ……」と大きく眉を下げた。
「フランチェスの捜索はおシノに一任しろ。何せ、あのエロジジイを釣るには、特大のエサが必要だからな……!」
その時ばかりは団員達の目に、冴えない眼鏡であるカナトが一瞬だけ、本当に薔薇を背負った、できるインテリ眼鏡に映った。
ついに魔導騎士団は動き出した。物理的首切り回避のために、彼らはかつてない気迫でネオンの絶えない市街地へと赴いた。