海外配送は着けば万歳 その2
ナルムーン共和国 アリウス川 付近
スターダスト・バニーの白銀の母艦、〈ニューバニー〉は目的地ミザールから北西に70㎞地点の陸上を走行していた。
すでにドゥーベ海でのサンズの敗北は、彼らの知るところとなり、ミザールでの目的達成は一層堅固なものでなくてはならないと、静かな使命感に燃えていた。
他ならぬ、ラスティーラ復活に向けて――
「海戦の名残で、海沿いに近づくのは危険です。やはりこのままノンストップでミザール入りしてしまった方が、ベターかもしれませんね……」
ニューバニーのブリッジで、エステル・ノーウィックは稀にみるクソ真面目な様子で、サンズ海軍より送信された報告書に目を通していた。
数多の犠牲者を出した激戦。その資料画像に映された黒い機影に、エステルの額が汗ばむ。 忘れもしない、自分とケントを負のどん底に叩き落とした張本人である。
「フェンディ様と黒狼が戦ったようですね……囮紛いのこの陣形が自分的は気にくわないですが」
情報分析担当のショコラは、銀線細工のアイパッチに表示された戦闘記録を見るなり眉根を寄せた。
「仕方ないです……旗艦に乗っていたのが、分家のジャスウィックです。エミリオ殿はフェンディと私が大っ嫌いですから、ブラッド・ラインを囮に使うのは目に見えてます」
「ブラッド・ラインって……確か、お前達の親族で形成された魔導師部隊なんだよな?」
副長席のキエルはモニターを掃除しながら、背後のエステルを見た。
制帽を被り直し、彼女は頷く。
「はい。魔導経典の力を用いて敵を殲滅するために結成された独立遊撃部隊……総指揮はフェンディで、他のメンバーは全員血縁者です」
「なるほど、だからブラッド・ラインって訳か。つまり全員、例の血の力ってのを……」
「使えます。個人差はありますが……嫌な言い方すれば、生きた魔導経典。バインダーとの距離が近ければ近いほど、各々の力が増大します。無論、私も含めて」
エステルの血液には創始ノーウィックから受け継いだ魔導経典の力が宿っている。あの黒狼との戦闘でその力を解放してしまい、ナルムーンに彼女の価値を知られることとなってしまったが、当の本人はあまり気にしていないようだ。
それも盗賊である以上、追われることは慣れている――そんなポジティブシンキングでどんと構えているのはさすがと言うべきか。キエルはこれほど頼りになる17歳の少女はいないと、エステルを心から尊敬した。
「問題はむしろ黒狼が魔導経典を奪ったとか、奪ってないとか……肝心なところが曖昧にされて、イライラします!」
海軍の報告書は黒狼、サージェントとリヴァイスという3体の亡霊なる機兵を相手に苦戦し、魔導経典が海上遺跡デネブの結界を開けず、そのまま引き込まれそうになったと言うざっくりした内容のみ。バインダーがとこへ行ったのか、戦死者は誰なのか、今後はどうすべきか――一切大事なことが書かれていなかった。
「内容を見ると13ページがどこかへ飛んでいっちまったのは間違いないだろう。海軍の歯切れの悪い報告書からして……バインダーは盗られたと考えた方が無難だ」
エステルは肘掛けを人差し指でトントンと叩いた。
「どちらにせよ……あの黒狼を倒さなきゃ、散った魔導経典の回収にも支障をきたらすだろうよ。一刻も早くラスティーラの剣を探す必要があるな」
「わかってます……金狼眼に挑む以上、完全復活は必須事項です」
――さもなければ、悪夢は再び起こる。
彼の少年が持つ金色の瞳は、七大魔導体系の全属性の習得を可能とする証。数億人に一人と言われる逸材に、ケントとエステルは何としてでも勝たなくてはならない。
魔導の神に仕える責任。その言葉がエステルの心に多く圧し掛かる。
誰に言われたわけでもない。だが、あの黒い亡霊なる機兵に叩きのめされた自分達こそ、サンズ教皇国の危機を招いた要因と言っても過言ではない。
自分の惨敗がなければ、魔導経典が取られることはなかった――
「借りは返してやります。必ず……!」
拳に力が籠る。
「エステル……」
「何としても散った13ページ分、誰よりも先に私達が見つけ出します。本国のため……いえ、私達のを支えてくれる仲間のためにも!」
頭領の誓いに、ブリッジは一斉に同調の意を示す。
ちょうどその時、ブリッジの扉が開き、真摯な表情を一発で和らげる甘い香りが一体に広がった。唾液が滴るバニラやカラメルの香りをメンバーは肺一杯に吸い込んだ。
この匂いは――プリン!
「失礼するっす! 皆様、ここらで一服としやせんか? おやつができましたぜ」
頭にフランスパン――ではなく、しっかりセットされたリーゼントと厳つい顔。ピンクのヒラヒラエプロンがハイセンスのホットケーキが、台車に人数分のプリンを乗せて、息抜きのお知らせに仕った。
ほんの数秒前までの厳格な表情をアウェーさせ、お目めを輝かせたエステルは、半口から垂れそうになった涎をじゅるりと吸い上げる。
「ホ、ホットケーキ……! そのプリンは表面パリパリのヤツですか!?」
ブリュレのことらしい。
ホットケーキは得意げに頷いた。
「はい、お頭。バニラアイスも乗せますから、あとは紅茶かコーヒーと一緒に――」
「キャホォォォォイッ!」
エステルよりも先に、餌につられた野郎どもは飛び出した。
だが、
「――待てェェェッ!」
副団長キエルの怒号が浮ついた連中の動きをピタリと止めた。
エステルは「あっちゃー」と、頭を抱える。 娯楽の投入のタイミングを間違えると、うるさいのがキエルである。ドゥーベ海戦の敗北に業を煮やしていたのか、彼は噛みつきそうな顔でメンバーを一望した。
「おいおい、順序があるだろう? 油断してんじゃねぇぞ!」
もっともなご意見に、彼らは気をつけの視線のまま震えあがった。
エステルは慌てて艦長席から降り立ち、フォローに入る。
「キ、キエル、怒らないでください! こ、これは私がホットケーキにお願いして――」
「エステル、お前は黙ってろ」
「は、はい!」
こめかみに青筋を浮かべた彼に、さすがのエステルもピシッと身を正した。若干の気の緩みを認めるものの、最近は塞ぎ込むような出来事の連続だったので、これぐらいのサービスをしてもバチは当たらないだろうと高を括っていたが――間が悪かったか。 盗賊の鑑と言われる彼にはお気に召さなかったらしい。
彼女は咎めを一身に受けるべく、キエルの言葉を待つが、
「どいつもこいつもわかっちゃいねぇ――手を洗ったのかと、俺は聞いているんだ」
「…………」
雲間からの光を崇めるがごとく、一同はしょぼくれた顔を上げた。
――あ、そっちすか。
するとキエルはワクワクしたように、
「おしぼりだけじゃ許さねぇ、アルコール除菌も忘れんなよ!」
シュッシュと手に除菌スプレーをかける彼に生暖かい視線が注がれる。だが、当のキエルは盛り付けに夢中である。
「まったく、最近食堂の使い方も目を覆う惨状だ……! ブリッジにカラメルソース一滴でも零したら、鼻フックだからな! 俺とホットケーキが何時間かけて、食堂の消毒してんのか……見てもらいたいもんだぜ」
そう小言をぼやきながら彼はさっさとホットケーキからプリンを受け取り、副長席に戻った。そしてこれでもかというくらい、零しそうなところを全てラップで覆い、万全の態勢でおやつタイムを始める。
平常運転でなによりです――と、メンバー達は心安らかに、おやつタイムに繰り出す。
キエルの説教中も手際よく盛り付けをしていたホットケーキは近場に声をかけると、エステル専用のプリンを彼女の元へと運んで行った。
彼女は落ち着きなく、その完成を待っていた。
「お待たせしやした! お頭専用、通常3倍サイズにバニラアイス2個添えっす!!」
直径20㎝、深さ5㎝の容器に、キエル達の手元が止まる。
皆、顔を真っ青にして首を横に振った。
「ちょ……何それ? 全部食う気? 完食する気なの、エステル?」
「食べるんじゃないですよ? プリンとアイスは飲み物ですから~」
「それ、デブの発想――」
「誰ですか? 今、デブと言った輩は……!」
突如、ブリッジにどす黒いオーラが充満する。
皆、即座に艦長席に背を向けるが、暗黒の世界より降臨した悪魔の眼光は、じりじりと彼らの精神にプレッシャーをかける。
振り向いたら死ぬ。団員達は邪悪の化身に気圧されながら、スプーンをカタカタ震わせて黙々と食べることに専念した。
「……時にホットケーキ、ケントの様子はどうですか?」
すると、彼は顔の全筋肉を駆使したしかめっ面を見せた。
「ど、どうしたのです?」
明らかに何かあった顔だ。
恐る恐るエステルが尋ねるが、彼はまるで仇敵でも思い出したような顔で、
「すいやせん、お頭。どうも俺は野郎と相容れないようでして……!」
「け、喧嘩でもしたんですか? そういえば、ケントは資金の歳入チェックをしてくれているだけですよね?」
「お頭、問題はそれっす」
「へ?」
するとホットケーキは気分を落ち着かせるように深呼吸し、一礼した。
「では、これで失礼するっす。食器は台車に乗っけて、通路に出しておいてくだせぇ」
くいっとリーゼントを整え、彼は足早にブリッジから退出した。 訳が分からないと、エステルとキエルは顔を見合わせて、同じタイミングで首を傾げた。
「……何なの、アレ?」
「……知らないです」
とりあえず、エステルはざっくりとプリンをすくい、口の中に放り込んだ。
舌に広がるカスタードの甘みとカラメルの苦味。出来立てほやほやのプリンの温かさに、バニラアイスの冷たさは絶妙なアクセントだった。
「――うん!」
おいしい。
ホットケーキの作るスイーツはどれをとっても、人を笑顔にしてくれる。