灼熱のドゥーベ海 その4
サンズ旗艦
「デネブの結界出現! これより魔導経典の使用に移ります!」
「ついにこの時が来たか……!」
司祭や魔導師達に見守られ、甲板に描かれた魔法陣の中心にエミリオは、スタンド上に置かれた魔導経典と共にその時を待った。
あと30秒で、デネブの結界に突入する――何千年もの間、人を拒み続けた開かずの扉がついに開かれようとしているのだ。
海風に乱れる赤茶色の髪を気にしながら、エミリオは心を無にし、魔導経典の導きを受けることに全神経を研ぎ澄ませた。
「我が受け継ぎ魔導の血よ! 神の名のもとに人智の経典――魔導経典の力をここに解放せん!」
足元の七芒星魔法陣が黄金の輝きを放つ。エミリオの呪文に魔導経典は応え、膨大な魔力を解放し始める。
目を見張る光景だ。気流が乱れ、光を放つ魔導経典がひとりでに宙に浮く。パラパラと経典のページがめくれると、驚くことに魔導経典の全ページがバインダーから離れ、宙にパッチワークのような紙の壁を成す。その中の12ページが踊るように前に出ると、再度の仕上げとばかりに一斉に文面を翻し、白紙のページ同士でつながった。
すると、エミリオの耳に妙な音が流れ出した。
タッ、タッ、タッ、タッ♪
「何の音だ……!?」
タッ、タッ、タッ、タッ♪
辺りを見るが、皆の視線はバインダーを離れた魔導経典に釘づけた。どうやらこの音は自分にしか聞こえていないらしい。
何だ。嫌な感じだ。おちょくられているのか、ベクトルが合っていないような感覚に陥る。
「精霊達よ、我が血に力を! デネブの結界を破る力をッ!」
タッ、タッ、タッ、タッ♪
「精霊よッ! なぜ応えんッ!?」
タッ、タッ、タッ、タッ♪
焦りを露わにするエミリオに、経典の精霊は非常に冷淡だった。誰一人彼に力を貸そうとする者はおらず、魔導経典は未発動のまま、メトロノームのような音を垂れ流しにしている。
ゴォーンッ!
「な、何だ……!?」
頭蓋骨を震わせる鐘の音に事態は急変する。エミリオの目の前で突如、魔導経典の各ページは光を失い、バインダーへと帰還をし始めたのだ。
一同は動揺する――
「なぜじゃ!? なぜ発動せん!」
「まずいこのままでは……デネブの結界が――」
その瞬間、船体が大きく揺れ、焼けるような熱さが皮膚を襲った。
恐る恐る見上げると、天と海を繋ぐような張られた強大な魔法防御壁が姿を現した。その青白い黄泉の国へのベールの先には、夢にまで見た白き城塞――海上遺跡デネブが不浄なる者達を見据えているではないか。
エミリオの顔から血の気が失せる。
「総員、退避ッ! 面舵一杯ッ!」
だが、回避指示をするには遅すぎた。
皆、一斉に船尾に逃げようとするが、船底から付き上がる衝撃に、甲板から数多の魔導師が大海原に投げ出されてしまう。
悪夢だ。船首がデネブの結界に突入したのである。
船首は電子レンジにでもか彼らたかのように、超高温に熱っされ、ボコボコと鋼を歪めはじめた。所々から悲鳴が上がり、旗艦は精一杯舵を切ろうとしても、見えない力に船体を掴まれ、もはや絶望的な状況に陥った。
――沈む。
「なぜだ……なぜ我を拒む……デネブよ……!」
開かれたエミリオの瞳孔が無気力に、白き城塞を眺めた。その折、彼は魔導経典がデネブのっ結界の内側に引き込まれそうになっているのを、知らずにいた。
◆ ◆ ◆
『――やばい、デネブが!?』
リヴァイスはそれ以上の戦闘を断念した。
最後の最後に、アーサーに大波を食らわせてやるが、憎たらしいほど鮮やかな太刀筋で、波を一刀両断する。
だが、もはやかまっている暇などない。
ウルトラマリンのボディはマジックバーニアを吹かし、宙に上がる。
『シヴァッ! 撤退だ! 飲み込まれるぞッ!!』
リヴァイスの機体に青い閃光が立つ。
途端、海水の渦がシヴァを飲み込み、業火に焼かれる機体が凍り付く。氷は瞬く間に砕けるが――その中から炎の苦しみから解放されたシヴァが、よろめきながらも宙に放たれた。
たった一度の攻撃を、しかも、他者を相手取りながら視認し、リヴァイスは相殺式を割り出した。そのひらめきが奥の手である電光石火の不死鳥の炎を消し去ったことが、非常にフェンディの気に障った。
面白くないと、彼は手負いのシヴァを見上げるが、彼の様子は些かおかしい。
漆黒の機兵は静かに、
『――これが世界か』
「え?」
その問いは嵐の前の静けさ。突如、シヴァの魔力は唸りをあげ、辺りの磁場を見出し、乱気流をおこす。その覇気はすぐさま関節にこびり付いた石を粉砕し、彼を完全復活させるのである。
まだやる気か――と、底知れぬ敵機兵の禍々しき力にサンズの魔導師達は身構えるが、シヴァがそれ以上の興味を彼らに持つことはなかった。 彼はあろうことか、ターゲットであるフェンディを放棄し、一心不乱にデネブの方角へ飛び立ったのだ。
一同は目を疑った。
「バカか――蒸発するぞ!?」
『シヴァ! 戻れッ!!』
味方であるリヴァイスの怒号さえ耳に入らず、彼は真っ先に崩壊寸前のサンズ旗艦へと進路を向け、風を切る。
「まずい……!」
このままでは魔導経典がデネブの中へと引き込まれてしまう。
だがフェンディとて一指揮官、この場で何が最優先であるか彼は十分に理解していた。 旗艦が機能しなくなってしまった今、進路をデネブへ向けるのはナンセンスだ。ここでサンズ艦隊が全滅すれば、デネブへの再挑戦はもちろん、ナルムーン海軍への有効手段を完全に失ってしまう。
もし魔導経典を奪われたとしても、デネブが道を閉ざす以上奪い返す隙はあるのだ。
彼の直感が囁く。彼は断腸の思いで、後退することを選択するが、この直後、シヴァが見せつけたとんでもない潜在能力に、サンズ艦隊は完全なる敗北を喫した。
結論を先に言うと――魔導経典をナルムーンに奪われたのである。
その折、13ページ分の魔導経典が、流星の如く空に弾けて世界に散った。一度統括されたはずの再び分離する悲劇となってしまったのだ。
だが、この結果はフェンディ達ブラッド・ラインにとっては不幸中の幸いとなった。
後に彼らは、教皇より魔導経典奪取の勅命を直々に仰せつかったのだ。
エミリオの失態に、光芒が射す。
かくしてこのニュースは、大陸中の実力者達を騒がせることとなった。
◆ ◆ ◆
あくる日。
ナルムーン共和国 工業都市ミザール
老舗銀線細工工房ギャレットの店頭にて、店主ギリー・マクレンは一本の電話に深刻な面持ちで答えていた。
「そうか……15人落っ死んだか。どいつもこいつもバカ野郎だぜ……欲に負けて、神様に手ぇ出しやがるから、こんなことになるんだ」
サングラス越しに視線を店のカウンター移すと、息子のキャウが楽しそうに大人気アニメ「魔獣☆ゲッチュウ」を見ていた。死んだ商人の中には息子と同じくらいの子供を持つ、父親もいるのだ。そのことを思うと、ギリーはやるせない気持ちに苛まれた。
「……ああ、わかってる。無事に港について何よりだ。ドゥーベで激しくドンパチやってる中、ご苦労だったよ。ブツの運搬はギルドの組合員に任せておけ……そうだ。倶利伽羅はうちで保管する」
店の奥には搬送用のエレベーターが設置してある。それで地下室に運んでしまえば準備万端だ。
ミザール商業を左右する一大イベント――魔導騎士団団長パウロ・セラヴィー主催のオークションへの出展が整うのである。
そして本日、その目玉商品であり、パウロが何としても手にしたい数千年越しの名刀〈炎帝倶利伽羅〉が、このギャレットにやってくると言いうのだから落ち着いてもいられない。
一世一代の勝負。ここで大金を手にしなくては、死んだ仲間達も浮かばれやしないのだ。
「……ああ、わかった。あとはゆっくり休んでくれ……何、オークションのことは任せろ」
ギリーはそう言い残し、受話器を置いた。
それから間もなくして、悲しい知らせが彼の元に飛び込んでくる。
何と、炎帝倶利伽羅の運搬に関わった乗組員が全員消息を絶った。ギルドの総力を駆使しても手掛かりはなく残るのは憎悪に似た推測ばかり。
ミザール魔導騎士団が、この剣にまつわる力を隠すため、口封じとして殺したのか。
だとしたら、剣を保管することとなった自分達も――
「パパー! 明日、『魔獣☆ゲッチュウ』のガチャポンやりたい! 新発売だって!」
あどけないキャウの声に、彼はトントンと煙管の灰を落とす。
「おう。明日、メープルのお姉ちゃん達のところ行ったらな」
何にせよ、未だに詳細は不明だ。
街に暗雲が立ち込める中、受け身は真っ平ごめんのギリーは、もう一つの賭けとも言える大勝負の日を待っていた。
それは古い友人が訪ねてくる日――伝説と呼ばれた、勇者の剣を見立ててやる重要な役目を彼は担っていたのだ。
何を信じればいいのか。ミザールの商人たちは今、未来を掴もうと必死になって水面下の抗争を繰り広げている。
勝ち残るためにも、彼は多くのカードを抱えることに努めた。