魔法と剣とそろばんと その5
アルデバラン 地下深層 教団本部
アルデバランの地下深くには教団によって作られた、秘密の大聖堂があった。
「何か外が楽しそうじゃのぉ~、ワシも美人の姉ちゃんナンパしたいのぉ。お前もめっきり外の話を持ってこなくなったし、つまらんわい」
小さいジジイ――もとい、フランチェス大元師は眠そうに真紅のソファーに座し、跪く一人の騎士にそう文句をつけた。
騎士は粛々と、
「何を仰います。外ではヴァルムドーレの復活が目前です。大陸の御旗が全てナルムーンに染まる日も遠くはありますまい」
感情のかけらも見えぬ物言いだった。
その風貌もとてもミステリアスだ。漆黒のマントと頭巾で身を隠し、唯一確認できる騎士の目元からマリンブルーの瞳と、プラチナブロンドの前髪が覗いているだけだ。男ということ以外何もわからない。
対照的に感情を露にしているフランチェスは、益々つまらなそうな顔をした。
「違うでしょう? ユーゼスちゃん。君らはもう一度、亡霊なる機兵で世界を一杯にしたいだけじゃろう? それってどうなの? ワシはぴちぴちのねーちゃんまで、メタリックバディになっちゃう世界なんか御免じゃよ? 元気の源がなくなってしまうわい」
フランチェスは、おっぱいを求めるようなジェスチャーをするが、
「人が機械であったころを思い出せば、人間の煩悩など意味を成さなくなります」
「やだやだ、もう! 石頭と話すのは疲れるわい。早くラスティーラちゃんを見つけておくれ! そんでとっとと戦争なんかやめちゃいなね」
「ラスティーラを探す必要はございませぬ。銀水晶の魔力は他に使います」
「何?」
「罪人の魔力を捧げるだけでは、いつまでたっても邪竜は目覚めませぬ。あれを餌に兎狩りを行う予定です」
ふと、空気が張り詰めた。
「……ノーウィックのボンボンを人質に、サンズのバインダーを要求するの?」
「いいえ。奴らが奪ったデネボラの一ページを取り返すだけです。あの一ページさえあれば、邪竜復活は見込めるはず……ヴァルムドーレの生みの親たる私が言うのです」
騎士は、おそらく頭巾の下で笑っていた。隠しきれないおぞましき野心に、大型犬の尻尾よりもボリュームのある、フランチェスの純白の髭がつり上がる。
「自惚れるなユーゼス! あれを鎮めるのに一体何人の亡霊なる機兵が死んだと思っておる。そしてお前は自分が何者であるのかわかって――」
「だからこそです。大元帥」
騎士ゆっくりと立ち上がった。
「この自由騎士ユーゼス・マックイーンこそ、魔導経典の恩恵を最も受ける身。他の人間にこの任は勤まりますまい」
「……知らぬよ、ワシは。そこまで自信があるなら勝手にやってちょうだい。ワシは表に出ることはない故、自分のケツは自分で拭いてね。まずはエリツィンを黙らせないと、どうにもならないんだから」
「ご心配なく、心得ております」
「そう? じゃあ、行ってちょうだい。ワシは眠い……」
彼が大あくびをすると、騎士は踵を返して大広間から姿を消した。フランチェスはその背中を怪訝そうに見送り、また一眠りに就くのであった。
◆ ◆ ◆
ベルローズ遺跡 〈邪竜〉ヴァルムドーレの化石周辺
市街地から離れたこの遺跡は、断崖絶壁に囲まれた昼も夜も光の当たらぬ場所にあった。絶壁の谷底を真っ直ぐに進むと開けた空間に出る。そして、山一つを半分に切ったような壮大な岩壁の中央に、それは眠っていた。
岩壁を覆いつくす両翼、剣よりも鋭い手足の爪。機械仕掛けの胴体と頭部は、機械が人によって生み出された技術ではなく、人を通して再現された生命であると見るものに理屈抜きでわからせる。
この躍動感に満ちた巨大彫像こそ、太古の古より伝わる邪竜〈ヴァルムドーレ〉そのものなのだ。
恐るべきことにこの化石には、まだ命の鼓動がある。亡霊なる機兵によって滅ぼされたはずの邪竜は、一万年の間、仮死状態のまま覚醒の時を待っているのである。
もしその時が来たら――他でもない。最凶最悪のドラゴン型亡霊なる機兵による、世界の崩壊が始まるのだ――
『古典派は、我が国の魔導経典とヴァルムドーレを掌中に収め、世界の覇権を握ろうしている! それを許してはならないッ! だからこそ、我らと新派は戦うのだ!』
教団新派の演説に、遺跡に集まった民衆は沸いていた。
度重なる戦争の勝利、それを導く亡霊なる機兵と魔導経典。ナルムーンの国民にとって、現在の勢いを継続させることが、この乱世を生きるに当たって最優先事項だと、誰もが知っていた。
当然ながら、ロベルト率いるアルデバラン師団に異議を唱えるものは誰もいなかった。
「泥棒兎の本隊が、アルデバランに潜んでいるのは間違いない。奴らのせいで、デネボラ師団は搬送中の魔導経典を奪われるという失態を犯した。我々が同じ轍を踏むことは許されない! いいか? 皆殺しでかまわん。奴らが保持している魔導経典を奪い返し、我々の力を天下に見せつけるのだ!」
「イエス、我が星!」
「団長の信頼を裏切るなよ! 各員、持ち場に着け!」
ロベルトの言葉に士気を高揚させた騎士達は、隊列を組み、軍靴を高らかに鳴らして進軍を始める。鍛えられた騎士団の姿に、ロベルトは一層自信を増した。
「あと1時間で生贄の儀式が始まります。こちらは亡霊なる機兵部隊に任せて、我々は自由騎士殿が待つ軍本部に向かいましょう」
「そうだな。閣下の指示通り、銀水晶の受け渡しもしないとならねぇ……おそらく、兎どもはそれの瞬間を狙ってくるだろう。チャンスはその時だ」
昼間、横領疑惑で失態をかいた副官のポンチョムは意地悪く頷いた。名誉挽回のために、彼は誰よりも意気込んでこの作戦を立案したのである。
しかし、飛び込んできた早馬に事態は急変する。
◆ ◆ ◆
狂気的な国民の思想一致に、サンズの発掘調査部隊は無情な未来を確信した。彼らが敵国の自分達に一切の情けを捨てるだろう。待っているのは絶望だけだ。
しかし、一人だけ明らかにベクトルが違うヤツがいた――
「ああっ……何という造形美、躍動感! 兵隊さん、ありがとう。僕はもう幸せだ」
誰もが彼に引きまくる中、フェンディは手錠に繋がれた鎖を小刻みに震わせ、永年の恋人を見る目でヴァルムドーレを眺めていた。
「何てセクシーな唇なんだ……ヴァルムドーレ。できれば、君の牙にバリバリ頭を食われて死にたかったけど……わがままは言わない。その爪で僕の体をめっちゃくちゃにするだけでいい、淫らなまでに僕の心をその爪で突き刺して野ざらしにしておくれ!」
「もうヤダ、こいつ。筋金入りだよ、とんでもない変態だ!」
「あはーッ、ゾクゾクするぅ! あの指先が僕の肌に触れると思うと……本番前にエクスタシーで逝ってしまいそうだぁぁ!」
「死んでるよォォォ!? お前もう、社会的に!」
「おい、これ逆効果じゃねぇか! ちょっと、俺、教団の人に相談してくる」
遺跡調査団の面々は処刑の前に恥ずかしさのあまり死にそうだった。もう何を言っても彼は彼のまま、あの兵士もフェンディの相手をするとは随分ご苦労なことだ。
しかし、どうしたことか、関係者同士が何やら深刻な様子で話し合っているではいか。
「おい、生贄を護送車に戻せ。泥棒兎が街中で跳ね回ってやがる!」
兵士の小声を彼らは、動物の聴力で拾い上げた。
そんな彼らを見て、フェンディは言った。
「ね? あの子達が大人しくできると思ったかい?」
彼らのリーダーは彼らが思っているほど、馬鹿ではないのかもしれない。