灼熱のドゥーベ海 その2
《ドゥーベ海 サンズ艦 甲板》
船上では兵士達が戦々恐々としていた。サンズの魔導技術の結晶とも言える、人工防御魔法壁に亀裂が入ったのだ。
甲板で指揮を執っていた、サンズ魔導大家の一つ、ラノウィック家当主である、アルフレッド・ラノウィックは、早過ぎる敵の主戦力投入に舌を打った。
「非魔導師は下がって! あとは僕らで何とかする……!」
童顔のそばかすが可愛らしい彼もさすがに鬼の形相となる。追行するナルムーンの戦艦から放たれた魔導砲、たったその一撃がサンズの士気を大きく下げた。
敵艦の甲板に現れた機影に兵士達は戦慄する。
ナルムーンの勝つ為の方程式――亡霊なる機兵の投入。
その中でも最も恐れられた亡霊なる機兵の一人、ベテルギウスの〈サージェント〉の銃口が彼らの背中に突きつけられたのである。
『あの艦か……速度を上げろ、横につけるぞ』
アイビーグリーンとシルバーの装甲が渋くもクールだ。圧縮空気が音を立て、白い蒸気を吐き出すと、サージェントの右肩にドッキングされていた銀線細工の魔導砲がパージされる。ドゴッと鈍い音を立てて落ちたレーザー砲の銃口は、皮肉なことに溶けていた。
完全に防御壁を貫くにはまだ少しかかる。
そう見込んだサージェントは射程を詰め、より強力な魔導兵器を使用することを選択する。魔導騎士達が手際よく運んできたガトリングガンが、無防備な右腕に横付けされると、互いに魔導反応を起こし、歯切れの良い装着音を立てて、中距離仕様の装備完了だ。
空の銃口のを回転させ、出来栄えを確かめると、サージェントは魔導騎士に、
『完璧だ! あとはあの艦に乗っている赤毛男を引っ張り出す……そうすりゃ、魔導経典はすぐそこだ。アルドラの連中が追いつく前に手柄を立てるぞ!』
「イエス、我が星」
『派手に逝こうぜ、サンズの皆さんよッ!!』
フェイスマスクのスナイパースコープが下がり、サージェントは接近したサンズ戦艦の防御壁を潰しにかかった。
スコープに表示される防御壁のダメージ率。先ほど、一撃くらわしてやったピンポイントに精巧な照準をつける。
次の瞬間、ガトリングが高速回転――絶え間ない銃撃が澄み切った空を駆ける。
「総員、魔力を防御へッ!」
凄まじい光の弾丸が、亀裂の入った防御壁に命中。防御壁が激しくスパークする。アルフレッドの号令で皆は一斉に船に魔力を送り込むが、その振動が彼らの骨神経までも伝う。
敵の射撃能力は相当なものだ。
加速と面舵30。戦艦は絶妙な回避コースを取ったと言うのに、サージェントの照準はそれを予測した上で合わせて来た。天賦の才とはこのようなことを言うのだろう。
魔力も相当ながら、それ以上に感服すべきなのは、サージェントこと、ベテルギウスの団長、キャスパー・ル・クリスティアーノの戦闘力の高さである。おそらく、あのガトリングは魔導式のため弾は本人の魔力残量次第だ。あの調子から予測すると、一戦終えてもおつりがくるのは間違いない。
敵戦艦から伝う、雷魔法の気配にアルフレッドは粟立つ。サージェントはこの頭上に一発どギツイ雷を落としてくるつもりだ。
「さすが……本気のフェンディ兄さん相手に生き残っただけのことはあるか」
朱色のクセ毛とクシャりと掻き、アルフレッドは剣を引き抜いた。
そして、祈るように剣をかざし、唱える――
「遥かなる我が守護星、金星よ。悲しき眠りについた鋼の人形に魂を与えん!」
雷撃が巻き付く剣を、アルフレッドは船床に渾身の力で突き刺した。
「〈機械調教超絶技巧〉――目には目を亡霊には亡霊を!」
刹那、稲妻の波紋が船底から大海原へ広がる。
異変を感じたサージェントは、
『ちッ! こちらもぶちかます! 雷の――』
その直後、海底から突如鎖が飛び出し、彼の足に絡みつく。
『何ッ!?』
不意を突かれたサージェントは体勢を崩し、海の中へと甲板を引きずられてしまう。
「団長!?」
魔導騎士が加勢しようとするが、間一髪、サージェントは艦の砲身にワイヤーフックを伸ばし、落下阻止。ガトリングで足の鎖を撃ち切った。
パリンッ! と不吉な音に鎖は千切れた。だが、船端を掴む藻屑のついた鋼の手に、一同の心臓は凍り付く。
サージェントはスコープを外し、ダイヤモンドの瞳を凝らした。
『バカな……!? あれは――』
激しい戦火が彼らの眠りを覚ましてしまったのか。海底から浮上してきたのは、昔の戦争で命を落とし、この海域に眠る鉄塊と化した亡霊なる機兵。ヘドロとフジツボが悲しき装甲にこびり付き、ぎこちない機械音を立てて光のない両眼を彼らに向けた。
――まさに亡霊だ。
「クリスティアーノ団長! こ、これは……!?」
『うちお得意の機械調教の応用型だろう……まさか、死んだファントム・ギャングを操るなんざ、意外とエグい野郎どもだ!』
1、2、3機――こんなに海底にお仲間が眠っていたかと思うと恐ろしくなる。こんな技を繰り出せるのだ……機兵の死骸の数だけ敵の増援があると考えていた方が無難だろう。
ヘドロと錆に汚れた、3体の亡霊なる機兵はボロボロの剣を構え、サージェントに対峙する。すると、アルフレッドの魔力を食っているせいか、得物が新品同様に再生したのである。
この戦いで、サージェントは初めて劣勢に立たされた。
『人形が……この俺に勝てると思うなッ!』
熱き怒号に、彼はガトリングを構える。背後に控えていた魔導騎士達も、こぞって剣を引き抜いた。
次の瞬間、ナルムーン戦艦の甲板は、生存を駆けた死霊との激しい舞踏会と化す。
サンズ艦からそれを確認したアルフレッドは、剣の柄頭を掴み、ありったけの魔力を向こうの船の亡霊に注いでいた。無論、彼が攻撃しているのはサージェントの戦艦だけでなく、周囲のナルムーン艦もである。奥の手を使った以上、亡霊なる機兵不在艦など取るに足らない。仕事を終えた亡霊は、すぐさまサージェント追討へ向かわせる所存である。
しかし正直、趣味が悪い――アルフレッドは自分の魔法について客観的な意見に同意していた。
「うっわ~やってるねぇ~! うんうん、さすがブラッド・ライン。善戦してるようでお兄さんは嬉しいや!」
罪悪感が一瞬で吹っ飛ぶ、能天気な声。まるで山の頂から見下ろすかの如く、丸めた雑誌を望遠鏡代わりに、赤毛の黒縁眼鏡はナルムーン艦を眺めていた。
無条件にイラッとした、アルフレッドは青筋を浮かべて、
「――遅いよ、少佐ァッ!? どこまでウ○コしに行ってたの!?」
「言ったな、アルフレッド……! みんな気遣って言わなかったのに!?」
まるでデリカシーがないと言わんばかりのフェンディ顔に、アルフレッドは「キーッ!」っと歯をむき出しにした。
「もういいから! 僕、動けないから天体防衛張って! 雑誌も捨てて、防御して!」
「は~い」
「ってか、ちゃんと手洗った!?」
「洗ったよ。スッキリしたから、僕も一発かますかな」
パサッと、フェンディは手に持っていた雑誌をアルフレッドの足元に投げ捨て、腕をコキコキ鳴らした。
しかし、その雑誌のタイトルにアルフレッドの表情が固まる。
【週刊 美術の歴史~世界の裸体像編~】
健全な人間であれば「何だ、考古学の勉強か」と胸をなでおろすことだろう。しかし、フェンディの場合は違う。彼は好みの石像相手に発情できる筋金入りの変態だ、ド変態だ。
故にこの本は何か。
つまり、彼にとってはエロ本と同じなのである――
「ちょっと……聞きたくないんだけど、本当に何してきたの?」
「――言わせるなよ、恥ずかしい」
「……こんなのが従妹なんて、僕は認めない……!」
予想通りの部下の反応にご満悦なのか、カッコよく眼鏡を直したところでもう遅い。アルフレッドの中で、この三十路の従妹の尊厳は限りなくゼロに近くなった。
――そんなんだから、分家ごときに先を越されるんじゃ!
と言う文句はさて置き、ブリッジが再び非常警報を鳴らした。何事かと、魔導師達は一斉に周囲の気配を探る。すると、とてつもない速さで接近する敵の敵の存在に気づく。
『敵亡霊なる機兵接近! 識別反応――リ、リヴァイスですッ!!』
「ゲッ!?」
海上で一番会いたくなかったその相手に、フェンディは真っ先に船尾を覗く。
タッタッタッタッ!
軽やかな足音が高速で接近。常識的にこの大海原に足音など立つはずがない――が、あの青い亡霊なる機兵は、その固定観念を悠々と覆すことで有名なのだ。
4mの機体が、あろうことか大海原の上を疾走する。飛んでいるのではない、駆けているのである。波立つ水面を白波すら立てずに蹴り返し、最強の水星型亡霊なる機兵の称号を欲しいままにしているのだ。
噂には聞いていたが、華麗過ぎる身のこなしに、さすがのフェンディも瞠目した。
これこそ、ナルムーン切っての天才魔導師、アルドラのバサラ・アクセルの実力である。
「天体防衛展開ッ! 攻撃来るぞ!」
ついに本気を出し始めた、フェンディの怒号にサンズ魔導師は機敏に動く。七芒星魔法陣が船体を覆うように出現し、先ほどよりも強固な防御壁が展開される。
その動きに、リヴァイスの瞳が鋭く光る。
剣を引き抜き、
『――〈海神の大槍〉!!』
海水を吸い上げ、水の槍を高速回転させる。ダイヤモンドを貫く水圧を瞬時に叩き出すと、彼は青い閃光を滾らせて、その水槍を戦艦目がけてぶちかます。
風を切る水槍はこの世で最も鋭い刃。たかが鉄の戦艦が食らって無事で済むはずがない。
――これは、やばい。
「総員、出力上げろッ!」
フェンディがありったけの魔力を防御に注ぐ。刹那、目を覆う閃光が一帯を照らす。激しいエレキの音と光にフェンディが天体防衛を見ると、紙一重を残し、水の高速ドリルが防御魔法に勢いを潰されたところであった。
だが、それで終わるはずない。歴戦の勘がフェンディを動かすが――リヴァイスの方が恐ろしく上手であった。
『うぉぉぉぉッ!!』
「ちっ! しまった――」
迂闊にもゼロ距離を奪われ、リヴァイスの剣打が天体防衛に大きな衝撃を与える。骨の髄まで振動が伝う。リヴァイスは剣にまで水のダイヤモンドカッターを張らせているのか、反発する魔力の衝撃にもびくともしない。
一進一退の状況下。突如、魔導師達の身体に身を切るような寒さが走った。
顔を撫でる、猛暑に漂う冷気。はっとして顔を上げた瞬間、彼らは魔導師としての己の力量のなさを痛感する。
何と総力を挙げて展開しているはずの天体防衛が凍結し始めていたのだ。
「なるほど、アンチ天体防衛式……! 君も僕に負けないクレイジーな奴だッ!」
フェンディはついに反撃にでるべく剣を引き抜いた――しかし、新たに近づく強力な魔導師の気配に彼は自分の出番がないことを悟る。
「あら、来ちゃったか……!」
直後、戦艦を守るように水の針が走り出でる。
『――!?』
魔法式は自らが放った海神の大槍と全く同じ。一瞬でそのことを見抜いたリヴァイスは、考えるより早く戦艦から離れ、再び海面に降り立った。
すると、彼は驚きを露わにする。イエロートパーズの視線の先、自分と同じように海上に建つ白髪の男が一人、まさに自分に挑まんと二刀流の構えを見せたのである。