プロローグ
父は殺される折、私に言った。どんな手を使っても、この刀を守り切れと。
その言葉を胸に、私は一族の鮮血で染まった遠き故郷を後にした。
もはやその在処を知るのは私一人。ここまでの道のりは散々なものであった。亡者どもの追撃に、一人で応じなければならなかったのだ。
でも、もう、そんな生活ともおさらばできる。
父は確かに言ったのだ。どんな手を使っても良いと。
だから私は、この宝剣の在処をヤツに教えた。
大陸でもっとも軍事力と財力を持つ時の覇者、魔導騎士団のあの男に。
もう、これでいい。
これでヤツは、私とこの刀を守ってくれる――
《ドゥーベ海 商船》
果てない群青の空は、稀に見る酷暑をもたらした。
世界を別つこのドゥーベ海で、一隻の商船が決死の航海を断行していた。今、最新鋭の設備が投入された、客船クラスの規模を誇る高速船が、少々不機嫌な大海原を突き抜ける。
白波を弾く灰色の船体。高波をものともしない、航行ぶりは実に天晴であるが、それとは裏腹に、船内は非常に暗い雰囲気に満たされていた。
鼻腔から肺を伝う死の臭いに、船の最深部にいた彼女は目を覚ます。
「――ぎゃぁああぁぁ!?」
耳障りな悲鳴に、配管の上で休んでいた若い女性は通路に降り立った。マントを羽織り、フードを深く被ると、彼女が思うのはただ一言。
――またか。
特殊倉庫から飛び出してきたのは、火達磨の船員だった。彼はナルムーン共和国政令都市ミザールのギルドのメンバーであり、手腕のある商人であった。
その断末魔に、倉庫で作業をしていた船員達は血相抱えて駆けつけるが、すでに彼の息は絶えていた。真黒に焼けあがった遺体が放つ、焼死体独特の臭いに彼らは顔を背け、言葉を発することすらままならない。
怖気づく商人達を通り抜け、彼女は半端に開け放たれた倉庫を覗き見た。そして、まったく予想と違わない、至って正常な光景に彼女は安堵する。
中にあるのは、たった一振りの剣。巨大な岩に突き刺さったままの、日本刀に似た剣であった。骨董品と呼べる代物に、これだけの人々が戦慄しているのは他でもない――炎だ。汚れた魂すら浄化する紅蓮の炎を纏い、古びた刃は亡者達を睨みつけているのだ。
「燃えている……!? やはり魔力は伝説のままか……!」
まさに地獄の業火――この美しき神刀に触れんとして、炎の餌食になったのは何も廊下に転がる彼だけの話ではなかった。
「これで15人目だ……いったい何なんだ、この刀は!? どうしてこんなに死人が出る!?」
「呪いだ……〈炎帝倶利伽羅〉の! ポラリスまで命懸けで行ったってのに……お宝に殺されちゃ元も子もねぇよッ! パウロの旦那は何を考えてんだ!?」
跪き、許しを得たい。商人達は、この炎立つ伝説の魔法剣、〈炎帝倶利伽羅〉に魅せられることを極端に恐れた。
次は誰が火達磨になるのか……船員達は互いの顔を凝視した。もはや自我を維持できほど、精神は疲弊し始めていたのだ。
だがその中で、彼女だけは高揚していた。
魂を売っても目にする価値がある――彼女は炎の魔法剣に一歩近づいた。
炎越しからでも確認できる、職人芸の結晶とも言える絢爛豪華な金細工と、何千年も色あせぬ真紅の絹巻の柄。半分しかない刀身にも、再現不可の炎をあしらったような模様が刻まれていた。
岩からの切り出し作業の際に、専門家が解析したのだが、この剣は半分から切っ先がないらしい。つまり、折れた状態で岩に突き刺さっているのだ。
一体誰が、何の目的で、この剣を創造したのか定かではない。そして、使用者に何があったのかさえもわからない。全ての応えは久遠の彼方だ。
だが、ただ一つ言えるのは、この魔法剣を作った主は化け物だと言うこと――
「こんな状態でどうやってオークションに出展しろって言うんだ……もうじき、ドゥーベの戦闘海域に差し掛かるってのに!」
乗組員は倉庫の扉を殴った。
大金に目がくらんだのが運の尽き。現在、このドゥーベ海はナルムーン共和国とサンズ教皇国の戦艦が、海上遺跡デネブを取り合ってドンパチを繰り広げている最中なのだ。
レーダーと、ミザール魔導騎士団の指示により、商船は抜け穴的な航路を進み、敵の戦艦に見つからずに帰路についているが、このまま無事に帰れる保証などない。
博打など打たなければよかった。
ここにいる誰もが、この危険な宝探しに参加したことを悔いたが、仲間の命を犠牲にしても、この航海を成し遂げなくてはならない理由が彼らにはあった。
大陸中の金持が集まるオークション――その莫大な利益が、彼らの懐に転がり込むのだ。
ギルドの組合員として、彼らはミザールの街に永遠の繁栄をもたらさなくてはならない。その大義を言い訳に、死をも致し方ないことと切り捨てるのだ。
「……なぁ、あんたならわかんだろ? 教えてくれよ! パウロは本当にこの剣を、競りで落としてくれるんだろうな!?」
一人の商人が懇願するように彼女を見た。
商人に向けられた彼女眼光は、決して一般人のものではなかった。刃物を突き付けられたに等しい感覚に、乗組員は出過ぎた真似の許しを乞うた。
騒ぎの余り、彼らは忘れていた。
彼女にあらぬ疑念を抱かれて、生きて帰れる者などいやしない――
「もちろんです。史上最高額の利益を出すためには、この〈炎帝倶利伽羅〉は欠かせません。それが主、パウロ・セルヴィーの……いえ、ミザール魔導騎士団の総意です」
冷徹な微笑みに、彼らは沈黙する。
彼女はマントの下から翡翠の数珠を取り出し、その手に巻き付けた。
「お、おい……! 何をする気だ!?」
怖いもの知らずも程がある。
なんと彼女は燃え盛る刀へと進み、その手を伸ばしたのである。これには商人達も動転して止めに入るが、当の本人は馬耳東風――誰もが次の犠牲者は彼女と目をつぶった。
だが、待っていたのは正反対の結果である。
「……え」
疲労で視覚がやられたのか、彼らが目の前で起きた現実を信じられずにいた。
それも、そのはずだ。数珠の巻かれた彼女の手は熱さも見せず、魔法剣〈炎帝倶利伽羅〉の柄を握り締めていたのだから――
「……ね? あなた方は余計な詮索をする必要はないのです」
フードの陰から覗く妖艶な笑みに、彼らは心を壊した。
「大人しく私の言うことを聞いて、ミザールまで送り届けてくれれば……それで終わりです。生きて帰れるはずですよ?」
「あ、あんたは……何者なんだ!? どうして倶利伽羅に触れられる!?」
すると、彼女はゆるく編まれた三つ編みをいじり、紅い唇の角度を上げた。
「ただの水商売人です。自分の芸を売って、小金にありつく……死に損ないです」
その時、船体が何かにぶつかったか、大きく揺れる。荒々しく船体を殴る波に混じり、体感が砲撃に似た衝撃波を捉えたのだ。
――始まった。
『緊急事態発生! 緊急事態発生! ファントム・ギャングらしき機影に接触! 船体が拿捕され、エンジンの出力が低下しているッ! 総員脱出に――』
バッシャーンッ! と波音が、スピーカーに流れ込む。恐らく船体を捕えた犯人が、海中から姿を現したのであろう。
覚悟の時間だ――
「ドゥーベの戦闘区域に入りました。おそらく味方の検問でしょう……間違っても、倶利伽羅のことは言っちゃダメです。元帥には内緒なんですから」
女性は楽しそうに、三つ編みをいじる。商人達は恐怖を殺し、彼女の言葉に頷いた。
「総員……持ち場に戻れ。俺は甲板に出る」
その声に、一同は一斉に動き出した。