さらば、アルデバラン その5
砂漠地帯 岩壁郡
シヴァは追撃の構えを見せるが、時間差魔法式を組み込んだ進撃する太陽は、まだ魔法陣から散弾を噴き出している。
そのロスタイムで、ラスティーラとエステル人は一気にシヴァから距離を取った。
だが二人が離れた途端、シヴァは温存していた力を惜しげもなく解放するのである――
『《月を追う狼》!』
半径500mに広がる重力波の波紋、あらゆる物質を消滅させ、ラスティーラの魔法陣までも飲み込んだ。
増長したシヴァの魔力に、逃亡を図る二人は緊迫の面持ちで敵の出方を窺った。岩壁が入り組むエリアを抜け、広大な砂漠地帯に二人は舞い戻る。
「何も考えずに逃げるんです! 今、迷彩魔法を――」
心臓を握り潰すオーラに、彼女は言葉を失う。
――来た。
ラスティーラは逃亡を断念し、エステルを砂丘に降ろして、
『逃げろッ!』
そう言って間もなく――漆黒の亡霊なる機兵が砂塵を巻き上げ、ラスティーラに突撃を仕掛けた。
熱砂に響く、金属音。
振り返りざまにラスティーラは、エンペラーを敵の剣にぶつけるが、勢いに弾かれて、砂の上を転がった。
「ケント!?」
彼はすぐに立ち上がり、フルバーストで宙に上るが、自分を凌駕する速度の連続攻撃に、出力は安定しない。空中での一方的な攻撃に、ラスティーラのダメージ蓄積は限界に来ていた。
狙いも定まらず、空振るエンペラー。隙を見せれば黒い拳が顔面にめり込み、シヴァに頭を掴まれる。そして、シヴァはその状態で急降下し、凄まじい握力でラスティーラを砂丘に張り倒した。
『あがっ……あ、あ……!』
ひび割れた装甲、薄れていくサファイヤの光。
生身なら頭蓋骨は粉砕寸前だ。
彼の命がもはや風前の灯火と知るや否や、エステルは青ざめて走り出した。愚直にも彼の助けに向かおうとするが、『バカッ!!』と鬼気迫る一喝に彼女の足は硬直する。
『逃げろって……言ってんだよォォォォッ!!』
最期の悪足掻き――気力が思いもよらぬ力を引き出した。頭部を掴むシヴァの手をねじ上げ、彼はその手を思いっ切り引いたのだ。
不意にシヴァの機体が揺らぐ。その瞬間を剣帝の感性は見逃さない――今までの恨みを一心に込め、彼は金色の瞳目がけて真っ直ぐに拳を突き上げた。
『うるぁぁぁぁッ!!』
憤怒のアッパーカットが、シヴァの顎に炸裂する。
予想外のダメージに、彼はラスティーラを蹴り飛ばすものの、その一撃は物理的なダメージ以上に彼の心に大きな影響を及ぼしていた。
『き、貴様……!』
初めて、シヴァが感情を言葉にした。
彼の反撃は速かった。もはや一瞬の隙も見せない気迫でチェーンソードを放ち、刃の鎖でラスティーラを締め上げる。
彼はもがきながらも、エンペラーで鎖を叩き斬ろうとするが、剣帝は釣られた魚の如し。自身で釣り針を外す力もなく、シヴァの腕力の前に為す術もなかった。
高速で収縮するチェーンソードにラスティーラは砂塵を泳がされ、勢いよく天空に放り投げられる。
その無防備な瞬間を串刺しにすべく、シヴァは飛翔した。
繰り出された黒鋼の切っ先――だが、まだラスティーラは生きることを止めない。
『雷の鉄槌ッ!!』
晴天を引き裂く雷を、シヴァは涼しい顔で打ち消す。
『簡単にさせるかよッ!!』
ラスティーラはエンペラーを振りかぶり、シヴァに最後の勝負を仕掛けた。その打撃を黒鋼の剣は受け止め、払いのけ、喉元を突かんと白金の装甲を掠める。
寸前のところでかわし続けるラスティーラ。意地とプライドが限界を超えて、彼を動かしていた。
――とにかく、エステルだけでも。
彼は一心に、もがいた。亡霊のような、底知れぬ威圧感にシヴァが気を取られた刹那、ラスティーラは彼の両手を掴み、フルバーストでシヴァごと砂丘に墜落した。
その執拗さにただならぬ気迫を感じ取ったシヴァは表情を一転させ、対物防御壁展開し、ラスティーラを弾き飛ばした。
シヴァは重力魔法で、今度こそ白金の装甲をプレスしてやろうとするが、
『うぉぉぉぉぉぉぉッ!!』
『――!?』
全身に圧し掛かる、偉大なる宇宙の力にラスティーラの魂は断固として立ち向かった。重力に悲鳴をあげながらも、ボロボロの体はそれでも抗うことを止めない。
その姿にエステルは、
「やめて……ケント! もういい……もういいんですって……!」
逃げることもできずにいた。
シヴァは己の力を試す喜びに浸り過ぎていたと自戒した。
――次がとどめだ。
巻き上がる重力波の嵐、禍々しき黒紫色の光は次第に増長する。次の瞬間、
『《月夜の餓狼》!』
鋼鉄の狼は、その牙を重力の波に映した。目に見えない重力の波が、砂の飛沫を上げ、大地を切り裂き、ラスティーラを照準に砂の飛沫を上げて突き進む。
彼は果敢にも、エンペラーを鞘に納め、それを正面から受けて立つつもりだ。
山吹色のオーラに満ちる彼の機体。ありったけの魔力を解放し、愛刀に魂を捧げた。
迫りくる重力波――絶対的な間合いに入った瞬間、ラスティーラは金色に輝くエンペラーを抜刀した。
途端、金属の砕ける音がエステルの耳に届いた。
蒼顔で光の先を凝視する。太陽光を遮る黒紫の魔力光、その中から奇跡としか言えない、原型をとどめたラスティーラが姿を現した。
光輝くサファイヤの瞳に、彼がまだ生きていることをエステルは確信する――
「ケン――」
だが、その程度で済むほど彼らの運命は優しくはない。
この雲一つない空に掲げられた、ラスティーラの愛刀エンペラー――守護星の微笑みを浴び、美しき輝きを放つが、無残にもその半身は砂塵の鉄屑と化していた。
あの音はこれだったのだ。
彼の愛刀が、折れた。
彼の魂が、砕けた。
彼の半身が――死んだ。
『――手向けだ。安らかに逝け』
背後に回ったシヴァの気配にすら気づかなかった。
いや、半身が死んだ今、ラスティーラは生きているのがやっとだったのだ。
シヴァのチェーンソードがラスティーラを完全に捕える。彼が送り出す魔力を迅速に、正確に具現化する黒鋼の刃は、ラスティーラの白金の装甲に牙を立て、一層、その鋼鉄の体を蝕んだ。
そして、痛みすら忘れた彼を極限まで締め付け、切り裂き、シヴァのとどめの魔法を体現する――
『《天装強制解除》』
これは重力魔法と精神魔法の複合技だった。刃の鎖が抉った傷から、ある魔法式を持った精神魔法が侵入し、彼の意識を操る。
その魔法式とは他でもない――亡霊なる機兵の天装解除である。
彼の精神魔法をまともに食らったラスティーラは、閃光を上げ、瞬く間にケントに戻る。その際、シヴァ自身も天装解除するというデメリットが生じるのだが、この難点が彼の足を引っ張ることは皆無と思われる。
なぜなら、この攻撃を食らって生きていた者はいない――
「ケントォォォォ!?」
天装を解かれるというのは、悲惨なことであった。鋼鉄を削ぎ取る刃が、生身の肌を華々しく切り裂いた。
砂漠に、鮮やかな血の花が咲く。
血飛沫を上げて砂地に転がるケントは、当然ながら、すでに意識はなかった。
ついにエステルは逃げることを忘れ、彼を抱き起すが、いくら呼び掛けても反応はない。
ドクドクと流れ出る血の量は、彼女の想像を絶していた。
その折、彼の首元からお守りとして渡しておいた銀水晶が滑り落ち、砂の上で砕け散るのを見た。
そして、彼女はひらめいた。
愚かにも発想が届かなかった、自分の為すべき役目に――
「……お前は殺すなと言われている」
少年はエステルのそばに立つなりそう言った。ケントを気に掛ける様子もなく、彼には傷痕一つないように思われた。
「大人しく、同行してもらう」
「……」
沈黙を決め込んだままエステルは、ケントの腰のナイフを引き抜いた。
「……やめろ。どちらにせよ、そいつは死ぬ。逃げられやしない」
すると、エステルは奇妙な笑い声をあげた。
乱心か――そう少年は考えたが、真紅の髪から覗いた彼女の眼光に、その考えを撤回した。
その目には、まだ戦う意志の証――
「私は……彼に甘えていました」
「……」
「何て愚かでしょう……私は! ケントは命を張ったのに、なぜ私は同じことをする覚悟がなかったのか!」
彼女はナイフを自分の手首に当てた。そして、少年を睨む。
「無駄だ、駆け引きは成立しない。俺は治癒魔法も使える……すぐに片付くことだ」
どうやら手当までしてくれるらしい。
全くもって多芸多才な少年だと、エステルは笑い飛ばした。
「駆け引き? そんなつもりはありません! 友人を助けるだけです……!」
「何だと?」
「命を懸けて守ってくれた……ここであなたに連れて行かれたら、私は……魔導指揮者、いえ、友達失格ですね――!」
さすがの少年も、括目せざるを得ないことが起きた。
ザクッと、エステルは躊躇いもなくナイフで手首を深く切り裂いたのだ。
ボタボタ、ボタボタ――。
大量の血液が乾いた大地を真っ赤に潤す。すると、数秒もしないうちに異変は起こった。
血液が燦然と輝き、紅の光で彼女を包んだ。
驚きの余り少年が後退りすると、彼女は勝ち誇った顔を向けて、唱えた――
「我が受け継ぎ、魔導の血よ……! 神に授けられし、禁断の魔術をここに解放せん――」
シヴァの重力波に匹敵する紅い衝撃が、広大な砂漠に一瞬で大きな波紋を描く。
彼は反射的に防御魔法を展開し、激しい気流と乱れた磁場の中で、嵐の向こうの少女に金色の瞳を凝らす。
紅の閃光は光量を爆発的に増し、次第に枝状に分裂すると――信じがたいことに、その一本一本が、悪魔のようなおどろおどろしい巨大な手へと変貌し、渇いた大地に爪を立てたのだ。
大地を抉り取る紅の手。その凄まじさは少年の考えを根底から覆すものであった。
「……!」
彼は即座に攻撃の姿勢を取る。しかし、微量な魔力を察知した悪魔の手は、彼を八つ裂きしようと襲い掛かる。
完全にしてやられた――自分の詰めの甘さに歯を食いしばり、少年はエステルを新たな脅威と見なした。
その顔を見て、エステルは覚悟の見返りを神に要求する――
「我は望む! 神よ、我が守護星よ! 我が友の命を救いたまえ!」
何かを欲するように、紅の光は天高く魔の手を伸ばした。
神はその手を取り、彼女に最善の呪文を託す。
「転送魔法――《惑星旅行》ォォォッ!!」
人智を超えた魔力の前に、少年は目を庇った。下手をすれば失明しかねない激しい光の渦に、辺り一帯は飲み込まれてしまった。
彼が視覚を取り戻した頃には、エステルとケントの姿はどこにもなかった。
警戒して周辺の魔力及び残留思念を探るが、彼女達の気配はあの光の中で途切れ、その先を知る由はない。
逃がした、と彼が再び岩壁群を向き直ると、
――よくやったよ、ジェイ。
姿の見えない主の声に、彼は跪いた。
「……」
――いいさ、遊ばせておこう。君は次の仕事に移れ。
「御意」
主の命に彼は、いとも簡単に高ぶっていた精神をリセットさせるのである。
次に与えられていた仕事へ向かうため、黒紫の閃光が再び静寂さを取り戻した砂漠に上がる。その数秒後、一体の亡霊なる機兵が猛烈な勢いで砂漠を横断していった。
進路はナルムーンの海上貿易の要――貿易都市〈アルドラ〉だった。