魔法と剣とそろばんと その4
アルデバラン 城内 中央官庁通り
アルデバランはもうじき日が暮れようとしていた。
ケントは勤務を終え、帰宅の途に就いていた。午前中は例の横領疑惑で第8部隊の調査とその報告で忙しかったが、それ以降は特に何もない一日だった。同僚も定時で上がる支度をしていたし、上司のバートンも特に用はないと言っていた。だからケントも喜んで定時にタイムカードを切り、祖母にお願いされていたパン屋でのお使いを終えて、あとは帰るだけが仕事なのである。
アルデバランは政令都市であるが、街の至るところに自然が多いため、メインストリートと言ってもさほど広くはない。終業を告げる鐘の音に、道沿いの中央官庁からは顔見知りの人間と、これからデートなのであろうめかし込んだ女性の姿がちらほら出てくる。
魔導騎士団とうちの上司以外、アフター5(ファイブ)で皆、頭の中が一杯だ。
ケントがそんなことを考えながら教会の前を歩いていると、
「あー! それはモッフモフ工房の食パンですね? スケバン兵士!」
「――そろばん! 出たな、じゃじゃ馬シスター……!」
餌の匂いにつられて、顔見知りの修道女が教会の門から飛び出してきた。
歳は同じで、彼女は同盟国からの留学生だった。青いベールの下からふわりとした真紅のボブヘアが、足取りと同じように軽やかに弾む。人懐っこい笑顔にハートを射抜かれる男子も多いだろうが、ケントはそれが単なる男の幻想であると知っていた。
なぜなら、彼は初対面でこの美少女が恐ろしいモンスターであると思い知らされたのだ――
「『じゃじゃ馬』とは失礼な。デリカシーのない安月給の極貧兵士ですね」
「同じだよ? デリカシーのなさはそっちも」
「しかし、待ち伏せとはよい心得です。そのパンを手土産に、わざわざ私を――」
「話を聞きなさい。これはうちのばーちゃんの、そして呼び止めたのはそっち! 俺は今すぐにでも帰りたいんですけど……!」
「金にも時間にもケチですね。モテませんよ」
一言多い! と、出かけた言葉を彼はぐっと堪えた。このまま相手のペースに乗せられてはエンドレス。
彼女に初めて会ったときもそうだった。あの時、ケントは人生初の引ったくりを目撃し、犯人を追いかけていた。アルデバランは魔導騎士団の駐屯地でもあることから、治安と経済はナルムーンの中でもかなり安定的だ。そんな街で、彼が珍しく正義感から職務を全うしようとした矢先、それを邪魔したのが彼女だった。
正確には助けられたというべきか。いや、やはり邪魔されたと言いたい。
あろうことか、彼女は大層魔力の篭った正拳突きで、犯人とそれを追うケントごと地上から10m地点までふっ飛ばしたのだ。
教会の庭掃除をしている最中、顔色一つ変えず、道に出てくるなり内臓が猛烈に圧迫されるほどの風圧で彼の体を宙に投げた。そして、地上に落下した哀れなケントの姿を見て、彼女が言った一言は、
「何で止まらないんですか? 死にたいんですか?」
罪悪感の欠片もない太陽の微笑みに、ケントはこの世に美少女の皮を被った悪魔が実在することを知った。
その日を境に、望みもしない妙な縁が生まれた。
倹約家であるケントは、時間の使い方までも経済的だ。遊び好きな他の同期とは違い、必要最低限の交友費しか使わない。しかも帰るのも早い。
そんな彼にとっては、貴重な女の子との出会いなのだが――
「特に用がないなら帰るよ。またアクシデントに巻き込まれるのは御免だからな」
「ぶぅ! 人を疫病神みたいに言うなんて……酷い人、もういいです。占いで大凶の相が出ているから教えてあげようと思ったのに、死んでも知りませんから!」
「――帰れるかァァァ!? 聞きたくなかった、そんなこと!」
「え、聞きたいんですか? 人に物を請うのに手ぶらはないでしょう?」
出すものを出せと、彼女の邪な手がチョイチョイと動く。
なんて図々しいシスターだと、ケントは青筋を浮かべ躍起になった。すぐさま買ってきたばかりのパン屋の紙袋に手を突っ込み、
「あるぞ、俺の夜食用でよければ! お茶もつける!」
大好物のドーナツをくれてやった。
「いいでしょう、ドーナツとは上等です! まあ、ゆっくりしていきなさいな」
交渉成立。パッシッと歯切れの良い音に、気が付けばケントの手元からドーナツが消えていた。
謎の上から目線とハイエナ並の執念。あまりのコミュニケーションの大変さに、ケントはツッコミを放棄し、その占いの結果とやらについて聞くこととする。
「……で、占いってなんだよ。魔法で人の運命なんて見れんの?」
赤毛の彼女はケントの手から一瞬で奪ったドーナツを美味そうに抱張りながら、紙パックのお茶に口をつけた。
「運命なんて大したものはわかりませんよ。見えるのは気の流れです。例えばあなた、今朝、少しばかりナーバスになる出来事がありませんでしたか?」
「え――」
一瞬だけ表情を忘れたケントに、少女は微笑んだ。
「図星ですね? 今も何か、気にしているものがある。人かしら……それも二人。一人は上司、もう一人は――記憶の中の人」
「……魔法は俺の頭の中でも覗けるわけ?」
「いいえ。これもあなたを包む魔力の流れから見えるもの。後は私の質問の反応から導きだした答えですよ。その証拠にいつもの死んだ魚の目が、少しばかり緊張気味です」
紙パックのお茶を口にする彼女の顔つきは、さっきとは違い、やや真面目なものであった。その変化にケントは戸惑いを隠せずにいた。
何だか気持ちが悪い――妙な胸騒ぎに、彼は話題を変えようとあることを思い出す。
「調子狂うな……そうだ、君に聞きたいことがあった。人の魔力が見えるなら、魔導師になれる才能があるかどうか、それもわかるんだよな?」
「わかりますよ?」
「俺はどう? 俺の魔法の才能って」
「ゼロです。一切の魔力なし!」
無慈悲なる即答にドーンッ! と音を立て、彼の体はダイナミックにずっ転んだ。
嬉しいんだか、悲しいんだか。これで魔導騎士団に入っても、花開くことがないとはっきりとわかった。取り越し苦労に、ケントはトホホとその目を一層濁らす。
しかし、話が矛盾している――
「あら、気にすることはありません。魔力ゼロだって、催眠に掛かりにくかったりと、色々いいことはあるんですから」
「……あ、あのさ、魔力なしっておかしくないか? 今、あんたは俺の体にも魔力の膜があるって言ったのに?」
「いい質問ですね! そうなんです。実はお見かけする度にちゃんと確認済みなんですが、今日に限って薄っすらと魔力の膜が見えるんです。だから呼び止めたんですよ」
彼女は真剣に困っているようだった。何やら自分にそんな現象が起こっていることが、余程重大らしい。
「こういう場合考えられるのは、何かの呪いが発動していることです」
「お、おい、妙なこと言うなよ……!」
「本当だったら厄介ですよ? しかも、昨日今日の話じゃない。もっと昔の――」
突如、鳴り響いたラッパの音に二人の会話は中断させられた。高らかな旋律に顔を向けると、浮ついていた人々は緊張の面持ちで、こちらに迫る大軍の姿に圧倒されていた。
青きナルムーンの軍旗が揚々と風に音を立てる。幾重にも連なる騎兵と旗手、そして魔導師達。間違いなく魔導騎士団の城外警備隊だった。
『市民に告ぐ。我らアルデバラン魔導騎士団は伝説の亡霊なる機兵、〈ラスティーラ〉の銀水晶の発掘に成功した!』
「ラスティーラの銀水晶って、アルデバランにあったのか!?」
中央通りから歓声と拍手が一斉に沸き起こる。
ケントが警備隊に気を取られている時だった。その背後で、どこからともなくやってきた鳩が、少女の手元に手紙を落とし、闇夜に消えていった。
彼女は隙をついてそれに目を通すと、嫁に行けない程のしかめっ面をしていた。
「ど、どうしたの?」
「え!? いや、あはははは!」
「――あはははは!」
彼女のごまかし笑いと重なるように、警備隊の中からも不審な笑い声がメインストリートに響いた。
そして、
「ふぉ!? 国立博物館じゃないか……! 変わらないねぇ~昔、戦争でここに来たときと同じ景色で感動を覚えるよ」
「おい、ホント、お前大丈夫? 今から行く場所わかってる!?」
「わかってるよ、兵隊さん。ベルローズ遺跡でしょ? 念願の邪竜ちゃんとの初対面だよ……僕の心はロマンに溢れて死にそうだ!」
「いや、ホントに死んじゃうんだよ? お前、頭の中お花畑じゃ済まないよ? ホントにお花畑渡っちゃうんだよ!?」
そんなやり取りが、護送車と傍を歩く兵士との間から聞こえてきた。
「な、何だ?」
「あいつ……!」
「え?」
気のせいか。一瞬背後に殺気が漂っていた気がするが、彼女の様子に変わりない。
そんなことより、本当に魔導騎士団が魔導経典を発掘したのなら、これはナルムーンにとって大いに喜ばしいことであった。
大好きな安泰の文字が濃くなるばかり。だから不安がる理由なんて、ケントには一つとしてなかったが、
『同時に我々はこれらの宝を守るため、遺跡を荒らす狼藉者達を捕獲した! 狼藉者の筆頭はフェンディ・ノーウィック! あの悪名高いサンズ教皇国の筆頭魔導師であり、我が国の魔導経典を狙う盗人の仲間である! 我々は聖地を荒らされた邪竜の怒りを静めるために、この狼藉者達を生贄に捧げる!』
「ベルローズで同化儀式が始まるのか……久々だな。でも、まあ、噂の〈泥棒兎〉仲間なら仕方ないよな」
「――スターダスト・バニーです」
「え?」
「なーんでも! それにしてもベルローズの邪竜なんて、こわーい化石、皆様は随分厚く信仰されているんですね?」
後ろに手を組み、軽やかな足取りで修道服なびかせて、彼女はケント振り向いた。
「そりゃ、そうさ。邪竜って言ったって、俺ら住民にとっては竜神様扱いだよ。アルデバランが他の都市からかけ離れて平和なのは、邪竜が発してる結界のおかげだからな。このご時勢、いなくなっちゃ困る神様だよ」
その発言に、彼女は渋い表情を浮かべる。
「神様ですか……留学生の私にはカルチャーショックでした! 魔導経典の教えには、邪竜は世界の滅びをもたらすとありましたから」
「教団の古典派が根強い国はそうだろうな。うちは新興国だし、結構戒律緩めだから」
「ガバガバです! 私には人間の精気を邪竜のご飯にする習慣はドン引きものです。どうせ、そんな見世物に賑やかな夜でしょうから、私は家に帰って大人しくしてます」
刺々しく吐き捨てて、彼女は飲み干した紙パックを潰した。
珍しく本音が見える彼女の言動をケントは不思議に思ったが、女の子ならば処刑だ、生贄だという物騒な言葉を嫌悪するのも無理ない。
さて、自分もそろそろ家に帰ろうとした時、
「ねぇ、あなた。あなたは私のお友達だから、一つだけ言っておきます」
「何?」
「今夜は出歩かないでね。私の占いは間違いありませんよ。これはドーナツのお礼ですからね。ごきげんよう!」
何とも腑に落ちない彼女の言動だった。いつもの姦しさとしつこさのかけらもない、さっぱりとした別れ。
『儀式の開始は今夜9時! 大司教様直々に執り行われる! 神の恩恵に肖りたいものはベルローズ遺跡へと急げ! 繰り返す――』
彼女の妙な予言がなくても、胸騒ぎを覚える夜だった。ケントは逃げるように、祖母の待つ家へと戻った。