さらば、アルデバラン その4
砂漠地帯 岩山
自らが掘り起こした原石の活躍に、ミュラーは大層上機嫌でこの戦いの行く末を見守っていた。だが、銀線細工の魔力抑制装置を彼の首に嵌めてしまったため、一番美味しいところをこの目にすることはできない。
ああ、やらかした――と、ミュラーは些か後悔するのであった。
「飼い主の首輪が機能しているのか、物足りませんね。あんなものではなかったと、お聞きしていますが?」
「まあ、そうしないと僕ら以外の人間はペシャンコだからね。さて、伝説の亡霊なる機兵を相手にどこまでやってくれるかね……ジェイは」
「おや、贔屓ですか?」
ハリーの言葉に、ミュラーは笑った。
「そんなことない。勝った方を僕は祝福するよ。でも、劇的なドラマが見たいけどね」
「ほう……どのような展開ですか?」
熱砂を駆ける風をものともせずに、彼は足下の戦士達を見下ろした。
「そうだね……強いて言えば、魔導経典が書き変わる瞬間さ」
黒髪の少年が放つ、魔力が急上昇する。その禍々しき変貌にミュラーは身震いしながら、来るべき時を待った。
彼は歓喜して、
「僕が名付けた――亡霊なる機兵、〈シヴァ〉が圧勝する様を!」
金色の瞳を獣のように細くした。
◆ ◆ ◆
体が熱い。
肉体を駆け巡るのは熱き血潮。これほどの高揚感をこの体で、この魂で、味わったことがあっただろうか。
あの男が言ったことは本当だった。
自分は戦士だ。生まれながらの戦士だ。
戦いこそ喜び――愚かにも、今日までその味を知らずに来てしまった。
体内に抑えつけられた魔力は、このちっぽけな器を突き破り、この血肉を忌まわしき太陽の下で蒸発させんとする。罪深き野心の咆哮に、もはや理性など無用の産物だであった。
「……」
――頼む、俺を失望させるな。
掲げた右手に光る、黒紫の七芒星。
ただ殺戮を求め、暗黒の星は彼の運命を導く。
「天装――シヴァァァァッ!!」
奴隷として縛りつけられた、哀れな魂は今――あるべき自分の姿へと、その名を叫んだ。
ドンッと空間を揺るがす彼のエネルギーに、一帯はたちまち磁場の乱れに飲み込まれる。月型の特徴である力魔法と精神感応、ラスティーラとエステルの視覚神経に妙な映像が介入してきた。
それは、どん底。虐げられる以外に生きる道がない世界。
あらゆる不幸を味わった、悲しき運命の雄叫びを彼らは聴いた。
我に返れば、待ち構えていたのは暗黒より遣われし亡霊なる機兵。だが、ラスティーラは不吉な感覚とは別に、彼に対し違和感を抱いた。
漆黒の装甲に金色の眼――あの少年を投影するような機体のフォルムに驚愕しながら、彼は今までの敵とは何かが違ったのだ。
「ケント! あれは誰……魔導経典にあんな亡霊なる機兵がいましたか!?」
『……』
漆黒に光る機械の足音は、骨の神髄までも震わせる。
その禍々しき姿態にとって、殺意と魔力は同義であった。可視化されたシヴァの戦闘力の高さに、自分達が酷く狼狽していることを彼らは知る。
ラスティーラは必死に過去の記憶を遡った。だがどこを探しても、彼の記憶の世界には、この亡霊なる機兵の断片一つ見つからなかった。
そして彼は気づく。それこそが、このまとわりつく不快感の元凶であると――
『わからない……俺の記憶にはない……!』
「そんなことって……ノーネームならまだしも、これだけの亡霊なる機兵をあなたが知らないはずありません!」
『わからないんだ、本当に……! 誰だ、あいつは……!?』
黒紫のスパークの後、シヴァの右手には魔法剣が握られていた。怪しく光る黒鋼の刃に、ラスティーラは白金の愛刀エンペラーを構えた。
――来る。
黒い機影が一瞬にして視界から失せる。蹴り上げた砂利が、地に落ちた時には――シヴァはラスティーラの真横を捉えた。
『させるか!』
だが、ラスティーラも一筋縄ではいかない。あらかじめエステルが仕掛けたカウンター魔法《電撃超感応》が作動。薄くまとった電磁波の膜が、すぐさまシヴァの接近を捉え、ラスティーラも反抗のチャンスに剣を振り切った。
激突する白金と黒鋼の剣、白と黒の閃光が相殺される魔力の強大さを物語る。
シヴァはすぐに態勢を立て直す。エンペラーを弾き、反動に任せて宙に跳び上がった。そして、背後の岩壁を蹴り返し、空中から重力波を放つ。
『速い――天体防衛!』
「承知ッ!」
灼熱を注ぐ太陽の加護を受け、エステルとラスティーラの体は青白い光の球体に覆われる。ライバーン戦とは違う、高密度の魔法壁はシヴァの放った重力波を受け止めるが、予想を超える力の強さに天体防衛は激震する。
だが、漆黒の魔力光は太陽を遮った。その一瞬の陰からシヴァが出現――猛烈な突きを繰り出した。
無心でラスティーラは地を蹴って、
『アァァッ!!』
全身をひねり返し、黒鋼の刃にエンペラーを激突させる。弾かれたシヴァは砂埃を上げて、足で地面に2本の溝を刻む。ラスティーラもまた反動で岩壁に背中を衝突させるが、直ちに剣を構え、走り出す。
『うおぉぉぉぉッ!!』
一瞬たりとも隙は与えない。エンペラーに炎を滾らせ、マジックバーニアをフルバースト。自分からシヴァの懐に潜り込んだのである。
だが、彼は知らぬ間にシヴァの張った蜘蛛の巣に飛び込んでいた。
黒鋼の剣が空を切る。途端、刃が鞭の如く伸長し、ラスティーラの剣に巻きついたのだ。
『なっ――ぐあっ!?』
剛力に引っ張られる右腕。突如、恐ろしい痛みが走る。
その原因はこれだ。伸長した剣は一つ一つ小さな刃を鎖で繋げた、チェーンソードであった。天体防衛で守られているが、絡みついた刃の鎖はそれをものともせず、蛇よりも強い執念で白金の装甲に食い込んでいく。
そして唐突な浮遊感の発生に、彼の屈強な足が地面を離れた。鎖に引っ張られたというよりは、体の重みが消えたに等しい。それも自分だけじゃない、エステルまでも宙に浮かされているではないか――
『こ、これは……!?』
「しまった――逆もできるのか!」
チェーンソードを握る、シヴァの体が黒紫のオーラに覆われる。
『《まやかしの新月》』
それは身体を重力から解放し、無重力によって敵の動きを奪う魔法。
魔力の出力は体勢に起因する。重いダンベルを持ち上げるのと変わらない、吐き出す力の反動に体を安定させなければ、質量のある攻撃は成せない。
加えて血流も要だ。それを乱された今、いくらエステルと言えど、繰り出せる高等魔法のレパートリーは極端に減る。
よく魔法を知っている。嫌味なくらい弱点を突いた攻撃だ――
「やばい――ラスティーラッ!?」
シヴァの金色の眼光に、エステルは察知した。
『おわっ!?』
チェーンソードと無重力に、ラスティーラの機体はシヴァの頭上にまで引き上げられる。
だが、それは攻撃の合図。
再び、世界が真逆に転じる。
見えない力に全身を殴りつけられ、エステルの臓器悲鳴が上げる。急所を庇いながら重力に反し、顔を上げるが――目にしたのは残虐さ。ラスティーラの鋼の体が通常の何十倍もの威力を伴って、岩場へと叩き付けられた瞬間である。
『がぁぁぁぁッ!!』
高層ビルから落とされたに等しい衝撃に、サファイヤの瞳が死を意識する。シヴァは器用に重力と無重力を使い分け、ラスティーラを岩壁や砂地に何度も何度も叩き付ける。
飛び散る白金の破片と断末魔に、エステルは取り乱した。
「ケ、ケント……ケントォォォォ!?」
動転した彼女は再び炎の不死鳥を呼び出し、チェーンソードを切らんと突撃させるが、余ったシヴァの片手から繰り出される重力波に、虚しくも炎は掻き消された。
「ほ、炎が効かない……!」
力魔法――実体のない脅威に、彼らは闘志すら砕かれた。
シヴァは仕上げとばかりにラスティーラを岩壁に放り投げ、チェーンソードを解除した。収束される刃の鎖は瞬く間に一振りの剣の姿に戻り、面妖な光を放つ。
勢い余ってラスティーラは数十m先にまで砂煙をあげ、ぐったりと動きを止めた。しかし、執念がボロボロの身体をまだ動かす。痙攣しながらも僅かに動く手足を駆使して、彼は再起の構えを見せた。
エステルは一心不乱に彼の元へと駆け寄ろうとするが――機械の巨人にしては軽過ぎる足音が彼女を追い抜かした。
まるで狼だ。
動物よりもしなやかな俊敏性を以ってシヴァは岩壁を駆け上がり、ついに深手のラスティーラの頭上に――跳んだ。
『クッソォォォォッ!!』
――意地でもやられてたまるか!
ラスティーラは斬撃をかわし、我武者羅にエンペラーを振り回す。だが、大振りで荒い動きなど、これほどの猛者の前では片腹痛し。シヴァにことごとく攻撃パターンを読まれたラスティーラは、
『――おあッ!?』
手首を掴まれ、そのまま背負い投げられた。
『ぐっはっ……!?』
骨が血肉を突き破るが如し――鉄の骨格がしなり、体が大きく弾む。
『《地平線に沈む月》』
それは立ち上がる意志を砕く重力の呪い。肺の中まで鉛に埋め尽くされたような体は亀裂を走らせ、渇いた大地に沈み行く。
完敗だ。剣帝ラスティーラの驚異的な魔力も神速の剣術までも封じられた。
敗者の姿に、シヴァは奇妙な笑い声を立てた。
それでもエステルは全知識を駆使して対抗策を探した。そして、その中でただ一つ、成功率は低いが唯一の手段に行きつく――
「ヤツのコンダクターは……どこ!? 先に仕留められれば……!」
もはや、それしかなかった。
月型は太陽型の天敵。
七大魔法体系の中で、重力が使えるのは月型だけだ。物質を使った他の属性の攻撃をことごとく見えない力で逸らし、その攻撃力は超広範囲に及ぶ。
熱を加えてどうにかできるものでもなく、実体がないので凍らせたりもできない。憎たらしいことに、太陽を差し置いて、月は最強の名を手にしているのだ。
状況は絶望的だ。
ある意味、あのレガランスよりも達が悪い相手である以上、直接潰すことよりも、彼の力の源を断ってしまった方が現実的である。今も重力地獄に捉えられたラスティーラは、シヴァの容赦ない拳と蹴りに耐えているのだ。
――時間がない。
精神感応。彼女は神経を研ぎ澄まし、戦場に漂う残留魔力を洗った。
しかし――結果は最悪だ。どこを探しても第3者の気配はない。それどころか、恐るべき事実に、彼女は自分達の非力を思い知ることになる。
(……え?)
精神世界に潜って初めて理解した、この漆黒の亡霊なる機兵がここまで強い理由を。
シヴァには魔導指揮は不要だ。
素の状態ではわからなかったが、恐ろしいほど魔力が流暢で一切の濁りも無駄もない。
彼は自分自身で魔力操作を行い、力の加減を調整しながら戦っている。ハイクラスの亡霊なる機兵ならば自力で魔力操作ができて当たり前だが、それでも多少の魔力漏れや淀みが生じるものだ。
だが、彼の魔力は清流だ。
完璧に自分の引き出しを把握し、なおかつ底のない貯蔵量を抱えている。
魔導指揮などかえって妨げになるシステムに過ぎないと、言わしめる才能が、この漆黒の亡霊なる機兵にはある。
孤独であり、至高。
あまりにも、あまりにも、格が違い過ぎるのだ。
――わかったでしょ?
「!?」
誰かの囁きに、エステルは我に返った。
少年の声だった。
まるで自分が精神世界に籠るのを待っていたようなタイミングに、彼女は冷たい汗を流す。
誰かが見ている――いや、彼らに踊らされている。
「――ケントッ!」
エステルの体が、炎の渦に包まれる。
この圧倒的不利な状況で、自分達は生き残るためには、もはや選択は一つしかない――
「《絶対天体防衛》ッ!!」
体力大幅消費覚悟の高等防御魔法。実践初使用の不安定魔術でもあるが、その効果はエステルの期待以上だった。
たった一瞬だけ、シヴァの重力地獄を無効化できたのだ。
『!』
その一瞬を突いて、ラスティーラはシヴァの格闘戦の間合いから抜け出した。
初めて険しい様子を見せるシヴァにエステルは緊張するが、もはや正面切って戦うメリットなど微塵もない。
ラスティーラが彼女の隣に戻るなり、
「ケント! 悔しいけど、これ以上は無理です! とんずらです!」
『……承知!』
二人は互いの魔力を調和させる。最後の選択――逃走の成功を祈り、彼らは別れの協奏曲を漆黒の猛者に送る。
二人を守るように出現した、山吹色の光を放つ七芒星魔法陣。奥義魔法の気配に、シヴァは防御態勢に映る。
「協奏奥義魔法《進撃する太陽》ァァァッ!!」
『食らえェェェェッ!!』
重なる雄叫び。魔法陣から奥義魔法必殺の火炎弾が、隕石の如くシヴァの初動範囲に降りしきる。一発、一発が殲滅魔法であるこの炎の散弾を、まともに食らって無事なはずがない。
――だから必ず、奴は防御壁を展開する。
その間こそ、勝機。
エステルの読みは正しかった。シヴァは再び次元結界を展開し、炎の散弾をことごとく消滅させた。
その隙を突き、エステルはラスティーラに抱えられ、プライドを捨てて戦線を離脱したのである。