さらば、アルデバラン その3
アルデバラン城外 シリウス方面
早朝の事だった。一台のホバークラフトが、アルデバランを出立した。
涙ぐむ仲間達の顔に決意は一瞬鈍るが、それでも、少しばかりの食料と武器と一匹の魔導師を連れて、彼は人生最大の冒険に出た。
太陽の情熱に揺らぐ地平線を見据えて、ひたすら砂漠を疾走する。
ただし、
「ケント君、熱いんですけど~紫外線は美容の大敵なんですけど~」
「文句があるなら運転代われ! 免許持ってんの知ってんだからな!」
「嫌です~! 遠距離からの攻撃に、剣帝風情がどう対応すって言うんですか? 私の手がふさがったら、反撃できませんよね~?」
「……」
後ろに乗せざるを得なかった一匹の魔導師は、砂漠地帯に入るなり、ブーブー文句を言い始めた。初めのうちはケントもただの雑音の一部と徹底的に無視をしていたが、暑さと長時間運転により、イライラ度は急上昇する。
「まったく……青春一大イベントのニケツだと言うのに、ちっともドキドキ感もワクワク感もないですね~」
「……俺はしてるよ?」
「え!?」
ドキッとエステルは顔を赤らめるが、
「どのタイミングでお前を放り捨てるか――考えるだけでもワクワクする」
無情な一言に、光沢のない暗黒の眼が彼の背中に矛を向ける。
だが、ケントも暑さでおかしくなっているのか、負けじと黒いオーラを発しながら、小刻みに肩を震わせて笑った。
「この……退職理由が人間関係のクセに!」
「うるさいよ! 地味に気にしてるんだから、ほじくるな!」
この暑さ、怒鳴るだけでも体力の消耗だった。
勘弁してくれと、ケントはレーダーに目を落とす。ホバーは現在、進路をシリウスに向けて、ナルムーンの警察権が届くギリギリの領域を走っていた。
段取りとしては、あと数十㎞進んでところで、エステルが入国の際世話になったキャラバンと合流する予定となっているのである。そして、そのまま再びシリウスの城門を潜り、懐かしき人々に再会するのだ――
「って言うかエステル、本当にキエル達は迎えに来てくれるんだろうな!?」
「むっ! 来ますよ! だってもう私を強制連行しにシリウスまで来てるんですから!」
「――つかお前、そもそも何で来たの!?」
「え? だってシャケ弁とヘルシー弁当で、もめてるってSNSに書いてあったから、アルデバラン滞在中に食べ歩きまくった私の出番かと」
「……キエル達、本当にご苦労様です」
心底、ケントは彼らを憐れんだ。
その時、ホバーの無線にザッザッと雑音が立つ。回線の周波数を見ると、スターダスト・バニーで使われている特殊な数値であった。
「噂をすればほら!」
「はいはい」
ケントは無線を開いた。
『あー、あー、こちらイケてる潔癖症だ。夢見るウサギちゃん、応答を頼む!』
夢見るウサギちゃん――そのハンドルネームに、SNSで繰り広げられたストーカー紛いの悪夢を思い出した。
「はーい、キエル! 元気そうで何よりです!」
『おおっ、エステル! ケントは無事か!?』
「無事です。久しぶりだな、キエル。俺はついに無職になりましたよ……」
無線から笑い声が湧いた。
『安心しろ、すでに雇う準備は整ってる』
「ホント!?」
『ただし、そこの猛獣を連れ帰ってくるのが条件だが……!』
声色に苦労が窺える。燦々と照る太陽に顔の影を濃くして、まだ大人しい背後の猛獣の危険性を再認識した。
『ところで、今どの辺まで来た?』
「シリウスの街から南南東に50の距離。もうじき、エステルをアルデバランに連れて来たキャラバンとの合流地点に入る。市内入りできるのは、休息後だな……」
『そこまで来たなら、話は早い! 実は、先遣隊として俺とショコラがすでに、キャラバンに合流している。あともう少しだからがんばんな!』
「了解! 腹減って仕方がなかったんだ」
「……ケント」
突然、妙に大人しかったエステルが彼の肩を叩いた。
「何?」
「あれ」
目を凝らして、彼女は地平線を指した。不審に思ったケントは、揺らめく大地の彼方を見つめる。
すると進行方向、そう遠くない位置に人影が見えた。
『どうした?』
沈黙する無線を心配したキエルが尋ねた。
「人だ……この広大な砂漠に一人……!」
『何? ケント、気をつけろ――』
そう言われる前に、彼はホバーの速度を上げた。
エステルはぎょっとして、
「ま、まさか拾うつもりですか!? 無理ですよ、定員オーバーです!」
「定員ってのは少なく見積もられてるんだ! 一人くらいイケるさ……それに、放ってはおけないだろ!?」
「……ですよね」
エステルは諦めたようにため息をつき、再びケントの背中に掴まった。
大きな岩山沿い、その人影は次第に形をはっきりとさせた。この果てしない熱砂の中をろくな装備も持たずに、熱除けのマントを深く被るだけで、砂漠を越えているようであった。
死にたいのか、と怒鳴りたくなる無謀な行為だ。
ゴーグルの中でケントは眉を顰め、その放浪者に近づいた。
放浪者は近づくケント達を気に留めることもなく、ただじっと遠くを見るように歩みを進めていた。
そしてついに、ケントは放浪者の目の前でホバーを止め、
「ねえ、そこの人! 道に迷ったの?」
ゴーグルを外し、そう呼び掛けた。
すると放浪者は俯いたまま、歩みを止めた。
「この砂漠を身一つで越えようなんて無茶だよ! 途中まで乗ってください、荷台が少し空いてます」
エステルが心配そうに見守る中、ケントはホバーから降りて、放浪者に駆け寄った。
それでも放浪者のリアクションはなかった。近くで改めて確認すると、歳は同じくらいか、極東民族によくある黒髪の少年だった。
何よりも特徴的だったのは、輝きのない金色の瞳であった。
「お、おい……大丈夫――」
「ケント!」
突然、エステルはホバーから降り立ち、険しい顔つきを向けた。
「どうした?」
「その方、放浪者じゃありません」
「な、何を言って――」
「マントを見てください! そんな綺麗な状態で、砂漠が越えられるでしょうか!?」
魔法杖を構えるエステル。背筋を這いずる氷よりも冷たい何かに、ケントは硬直した。だが、決死の想いで少年を振り返る。
すると、今まで無反応であった少年が、徐に顔を上げてケントを見たのである。
目があった途端、ケントは少年が忌むべき存在であると直感した。
そして、
「お前か」
彼はマントを脱ぎ捨てた。
「――ケント下がってッ!」
エステルが叫んだ刹那――彼らの半径10mが重力地獄と化した。凹む砂地と押しつぶされるホバー。間一髪、エステルの天体防衛によって圧殺は免れたものの、立っているのがやっとであった。
この怪現象の正体に、エステルは真っ先に勘付く。
「重力魔法……月型かッ!」
激しく衝突する魔法――だが、ひしめき合う均衡の中で、少年は顔色一つ変えずに隠し持っていたロングソードを引き抜いた。
フットワークを殺されたケント、一回の瞬きの間に少年に至近距離を許す。
「――馬鹿な!?」
襲い掛かる圧倒的技量。どんな魔法式を使ったのか、少年はエステルの防御魔法を剣で切り裂き、ケントの喉元を穿つのである――
「ケントォォォォッ!?」
だがその時、山吹色の閃光が彼らを飲み込んだ。逃亡不可の死を目前として、運はまだケントを見離してはいなかった。
光の中で、少年の剣は世にも固い何かに弾かれる。薄れる閃光と、魔力の渦の中で彼はゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのはケントではなく――白金と黄金の亡霊なる機兵、ラスティーラであった。
『うぉぉぉぉぉッ!!』
防衛本能が彼を天装させ、生身の人間相手だろうと容赦ない闘志で敵を潰しにかかる。少年の剣を瞬時に振り払うと、彼を叩きのめさんと拳を振り下ろした。
「……!」
少年は即座にラスティーラと距離を取り、魔法の発動に備えた。
「させないッ――魔導指揮!」
振り上げたメジャーバトン、愛刀エンペラーを手にしたラスティーラとエステルの動きが同調する。怒りの協奏曲の始まり――その気配に少年は出方を攻撃から防御に変える。
だが、少年の動きが停止した。この一瞬こそ最大のチャンス――
「生身だろうと容赦しません――協奏魔法《電光石火の不死鳥》ッ!!」
太陽型の真骨頂、膨大な熱量を伴う炎と雷がラスティーラの剣に絡みつく。彼らの怒りに呼応した炎は、巨大な翼を持つ不死鳥として、少年の目の前で灼熱の羽音を立てた。
『食らえッ!』
不死鳥が宿りし愛刀を、彼は思いっきり振り切った。宙に放たれた不死鳥は稲妻の速度を以って少年に襲い掛かる。
やった――二人がそう確信した矢先、悪夢が起こる。
「――《次元結界》」
不死鳥がその嘴で少年を貫かんとした刹那、不死鳥の体が地層のずれのように二つに割れ、炎と雷はたちまち消滅した。
それを目の当たりにしたエステルとラスティーラは絶句した。
『重力結界か……!』
「空間を歪める魔法ですって……!? 生身でこの力……彼は一体――」
その時、重力結界を解いた彼が、右手を掲げたのであった。