さらば、アルデバラン その2
アルデバラン師団 後方支援部隊 経理部
経理部に魔導騎士団の連中が乗り込んできたのは、マノロ・リリアーノの命令が発動して間もなくのことであった。
突如、平穏な職場に割って入って来た、甲冑姿の狼藉者達に経理部の面々は緊張の面持ちで立ち上がった。
「魔導騎士団が、何のようですか?」
真っ先に、責任者であるバートンはそう言った。
その一団のリーダー格は一歩前に進み出て、
「ケント・ステファンはいるか?」
予想通りの展開に、経理部の雰囲気は一層重みを増す――はずが、魔導騎士の目に映る兵士達の反応は些か違った。
「何だ、ケントかよ……」
「んだよ、迷惑だっての……!」
所々から、辛辣な小声が上がった。
すると、まるで自分達には無関係のような素振りで、彼らは仕事を再開し始める。この胃がキリキリと痛めつけられる雰囲気、馴染みがある人間も少なくはないはずだ。
――まさか、お前の席ないからってヤツ? ドラマで見たアレ的なヤツ!?
冷淡すぎる彼らの反応に、そんな考えが魔導騎士の脳裏をよぎる。何だか、次第に居心地が悪くなっていたが、彼は気を取り直して再度、
「おい、ステファンはどこにいったのだ!?」
シーン。
――もう一刻も早くここから帰りたい!
空気に押された彼らはふと、落書きだらけの空のデスクに花が手向けられていることに気づく。そこに誰かがごみを投げたと来れば――昼ドラ並みの光景に絶句せざるを得なかった。
彼らの心情を察した責任者のバートンは、気まずそうな顔で、
「すみません、ちょっと……」
彼はリーダー格の肩を掴み、部下達に背を向けるように彼らを誘導した。妙な円陣の中で、彼は重たい口を開く――
「実は……昨日で終わりだったんです」
「何をだ?」
「退職ですよ、退職」
「何だと――」
「しッ! デリケートな話だから、静かに」
円陣の連中はどよめいたが、空気に呑まれてバートンの指示に大人しく従った。彼はわざとらしく背後の部下を振り返って、再び魔導騎士達に視線を戻した。
「ど、どうしてそんなことに……!?」
「ご存じの通り、彼は剣帝ラスティーラ。本来なら魔導騎士団に移るべきところを断固として経理部に居座った……そのせいで、過激なスカウトの対応に皆困り果てていました」
バートンの懺悔の表情に、魔導騎士は息を呑んだ。
「ま、まさか、この空気……や、やっぱり、い、いじめか?」
「……そこまでは、言い切れません。ただ、ステファンが煙たがられていたのは事実です。その辛辣な職場の雰囲気に耐えかねた彼は、ずいぶん前から退職願を申し出ていたのです」
「……で、お前はそれを承認したのか?」
バートンは頷いた。
「はい。私の方も、スカウトの対応でかさむ修理費に上長から小言を言われ、精神的に参っていました。それから解放されるならば……と、退職届の提出を許可したのです!」
バシッと、彼は統括長の承認印が押された退職届を彼らに突きつけた。
確かに日付も昨日限りで、しっかりと署名がなされている。
「気の毒なことに、彼も上長から直接小言を言われたりと……パワハラに心を病んでいたようで。承認されたと聞くなり、嬉しそうな顔でしたよ……!」
「そ、それは……同情に値するな」
「……昨日までなら、上長の印で足りますよね? 自由にさせてやれますよね!?」
バートンはリーダー格にグッと詰め寄った。それを見て、当初の目的を忘れ、周りの魔導騎士はおどおどしていた。
「そ、そうだな! 奴は一応重要指定人物であるが、団長印が必要になるのは本日からだ。昨日までに提出したのであれば……奴は脱走兵では――」
リーダー格ははっとした。
「まさか……奴はこれを狙って!?」
「そう言えば、彼に何用でしょうか? 私の手腕不足のせいで、こんな職場環境です……できれば、呼び戻したくはないんですが……」
リーダー格は複雑な表情で、バートンを見た。
「奴が行きそうな場所はどこだ?」
「リゲルではありませんか? 両親もいますし」
「そうか。奴には脱走の疑いがあると、強制出頭の命令が出ていたが……退職していたのなら、新たな令状が必要だな!」
リーダー格は魔導騎士団が用意したデタラメの令状を破り捨てると、部下を先に経理部の外へと出した。そして彼は思い出したように、バートンを向き直り、
「奴の退職届を貸せ。然るべき措置が必要な奴がいるらしいな」
リーダー格は上長の承認印を睨みつけた。
「……お前も頑張れよ」
「はい」
憐憫の激励にバートンは万遍の笑みで答えた。
魔導騎士が確実に隊舎から出ていったことを確認すると、経理部の面々は一斉に歓声を上げた。
「よっしゃ! これで第一段階クリアっすね!」
「これで何とかケントが逃げる時間を稼げったってわけだ!」
「まったく……まだ安心すんなよ」
物陰に潜んでいたダグラスとケントの同期ロディは、嬉しそうな顔で姿を現した。
「複雑だが、これにより俺達の人質としての価値は下がった。得物を逃がした責任は、全て退職届を確認しなかった上長にが取ってくれるだろう」
「これでしばらくは、経費に関して口うるさく言う輩はいないわけだ……」
バートンは顔を引き締めた。
「諸君には伝えたが……この退職受理も、ケントを脱走兵の汚名から守るためだ。いつか帰ってこられるようにな……!」
仲間達は頷いた。
「あいつがどこに向かったのか、私も知らない。ただ言えるのは、帰って来た時に顔見知りが一人もいないのでは、あまりにも気の毒だ」
窓から射す太陽の光が、明日へと挑む彼らの顔を照らした。
「生き残れよ、お前達。我らも我らで、不条理と戦うのだ……!」
「おうッ!」という決意の返事に、経理部は満たされた。
「ちょっと気分悪いけど……あいつらの目をくらますために、しばらくこのままにするしかないよな」
落書きで一杯の机に触れて、エドガーは言った。
「そうだな……早く帰ってこいよ、ケント」
栗毛眼鏡のロディの言葉に、彼らは涙をこらえた。
大事な仲間のために、彼らは彼の故郷を守り抜くことを誓った。そんな感じで、今日もいそいそと事務仕事に励む一日が始まったのである。
◆ ◆ ◆
アルデバラン 魔導騎士団本部
ケント・ステファン、まさかの退職――そして彼の失踪は魔導騎士団本部の面子及び、団長であるマノロを驚かせた。
「申し上げます! 城内にステファンの気配なし、すでに逃亡したと思われます!」
「ケント……!」
その知らせを隣で聞いていたハリーは、表情を変えることなく、
「ほら、言ったでしょう? それほどあなたは信用されていなかったのですよ」
「……」
「だ、団長……次のご命令は?」
マノロは静かに顔を上げた。
「城外には、すでに追手を放っています。あなた達は城内の治安の維持に努めてください。無論、泥棒兎の仲間が潜んでいないか、草の根まで探すのです」
「はっ!」
マノロの命令に、騎士は即座に本部を後にした。
「中々、にぎやかな就任式になりそうで何よりです」
「……どちらへ?」
彼女に背を向け、遠ざかるハリーを彼女は呼び止めた。
彼は不敵な笑みを浮かべて、
「元帥が暇で仕方ないとお嘆きでしたので、少しばかり外出して参ります」
そう言って一人、扉の外へと出ていった。
その言葉に彼女は確信した。だが、彼らの企みを知ったところで、自分では何もできないことも知っていた。
諦めたように、彼女は就任式の打ち合わせに戻った。