オープンオファーはお断り その3
アルデバラン 軍本部 経理部隊舎
経理部――時の勇者がこんなところにいるとは耳を疑ったが、あながちウソではないらしい。
人の喧騒が聞こえる。
会話の内容は皆、人事採用関連のものだ。彼らは中に入れないのか、文句と苛立ちに似た声色がやたらと目立つ。
「……どうしよう」
彼女はしばし杖を突いたまま、その場で様子を窺っていた。
どう考えても取り込み中なのだ。そこに自分のようなアポも取っていない飛び込みの人間がやってきたら、向こうも迷惑だろう。
――やはり、一度戻ろう。
そう思って彼女が踵を返すと、
「おっ、マノロじゃ~ん! マジ、おヒサじゃね?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはフライトゴーグルとライムグリーンの髪の青年がいた。今風の顔立ちで、いかにも女性に人気がありそな雰囲気。腰元のガンパーツと、両手に嵌められた銀線細工の手甲は、彼の自信の証であった。
「あっ、お久しぶりです」
少女は彼を良く知っていた。
「聞いたぜ、人事の話! おめでとさん……って感じでもねぇか」
「その……正直」
彼女は顔を伏せた。
「わりぃ。マジ、がんばれとしか言えない……」
「お心遣い、ありがとうございます。それで……あの、どうしてこちらへ?」
その問いに、彼は不敵に、意地悪く笑った。
「何、ちょっと遊びに――」
そう言って、彼は銀線細工のガンパーツを弄んだ。
◆ ◆ ◆
経理部 会議室
経理部の会議が始まって早3時間、その間に誰一人意見をまとめようとする者はいなかった。あと1時間――そのリミットまでに彼らは結論を出さなくてはならない。今も電話口で、彼らの指令を待っている民間業者の気持ちになれば、自分達がどれだけ優柔不断であるのか、理解するのは容易かった。
ただ一つ、議論はただ一つの結論で終わるのだ。
紅鮭とスタミナ夏野菜の弁当か、ヘルシー夏野菜の弁当か。それが問題だ――
「すでに政令都市の魔導騎士団がアルデバランに辿り着いた。俺達の出番は夕方だ。夕方の意見交換会で出される弁当……これこそ、俺達の雌雄を決する」
ケントの同期その1である、経理部経理課のエドガーは、円卓のそろばん戦士を一望し、そう告げた。
「エドガー、フジヤマ亭の親方は電話口でスタンバってくれている……これ以上、待たせるわけにもいかない。散々、ツケを踏み倒してきた俺達だからこそ、親父さんに恩を返せる最初で最後のチャンスなんだぞ……!」
「――おい」
「で? チャーリー、どっちが美味い?」
エドガーは、まるで温室でぬくぬくと育った子豚のような金髪坊やに視線を向けた。金髪おデブこと、総務部庶務課のチャーリーは知る人ぞ知るアルデバランのグルメ家だ。彼の舌にかかれば、税金の亡者――もとい、魔導騎士団幹部も驚きの美味を選出してくれること間違いなした。
眉根を寄せ、チャーリーはフジヤマ亭の魂を噛み締める。
――つか、初めから味見すりゃよかったんだよ!
ケントの死んだ魚の目は生意気にも苛立っていた。それもグダグダと過ぎ去った時間へのブーイング故だが、今はただじっと頬杖をついて議論の終結を待つことに徹する。
すると、チャーリーの動きが止まった。
ご神託が下りて来たのかと思わせる気迫の籠った開眼。彼はゆっくりと箸を置き、食の神々からのお言葉を愚民どもに享受する。
「――肉がいいな」
と、一言。
そうか――と、周りは納得の沈黙で応えるが、ケントはブチ切れた。
「本末転倒だろうがァァァッ!!」
俺の3時間を返せと、怒りのちゃぶ台ならぬダイナミック円卓返し。しかし、同期達の息はぴったりであった。ケントのツッコミを待っていたとばかりに、自分達の弁当を即座に円卓から救い上げ、宙にはどうでもいい内容の書類だけが舞う。
ケントは息を切らして、
「何? 何なの君達!? 真面目に決める気あるの!?」
「かっかするなよ、ケント。先日、人事部の皆様に袖の下渡して、スカウトラッシュに終止符を打った恩を忘れたわけじゃまるまい」
「――そうか、それで電話が鳴らないわけか!」
「賄賂は流儀だ! それと同じでこの弁当ひとつで、お偉い方からの評価が著しく変わる! 今日はチャンスなんだ……各都市の団長と副団長が集まってらっしゃるのだ!」
「そうだ! 麗しのスピカの妖精……俺達のマノロたんのため……!」
「理由が不純過ぎだろ!? つか――だから、候補が女子っぽいのね!」
用意された注文店リストをパラパラとめくるなり、ケントは肩を落とした。
「礼を言うぞ、ケント。お前のおかげで当初の目的を思い出した」
「もう、突っ込むのもヤダ」
「ロディ! ヘルシー夏野菜弁当、卵スープ付き30人前! 全ては俺達のマノロ様のため」
「イエッサー!」
栗毛の丸メガネ、人事部人事課のロディは慣れた手付きでフジヤマ亭に電話を掛ける。
以上が、本日の会議の内容であった。
あまりにもどうしようもない展開と結末に、ケントはスカウトラッシュに追われる時よりもどっと疲れていた。
レガランスとの戦い以来、彼が天装しラスティーラになることはなかった。
魔導騎士団による厳しい尋問を待っていると覚悟していたが、現実は真逆であった。
誰一人、何も言わない。何も言わないまま、彼は日常に戻された。
「……」
彼は窓の外を見た。青い竜の勲章をした、魔導騎士達がそこら中を歩き回っている。
魔導騎士団の筆頭を欠いたアルデバランは、すぐに部隊編成を強いられた。今日は、まさにその日であったのだ。
ナルムーン共和国政令都市の魔導騎士団団長が、このアルデバランに集結――今日こそ、夢から覚める日だとケントは覚悟していた。
だが、未だに現実はこうだ。ありがたいことに、仲間とくだらないことで騒ぐ暇がある。変わらぬ日常を許してださっている――
「……ケント、やっぱ気になる?」
残りの弁当を平らげながら、チャーリーは言った。
「まあね……だけど、家族はリゲルにいるから、何とかな――」
「大変だァァァァ!? また警視庁の奴らがスカウトに来たぞォォォ!」
突然の警鐘に、ケントはお茶を吹き出した。
「――また、スモウレスラーか!?」
「隠れろ、ケント! 今度はモノホンだ……現役のフンドシ姿が15人! まさに扉をぶち破らんと、一斉に四股を踏みだした!」
「今更だけど、警視庁の人脈を疑う……!」
「だが、安心しろ! 隊長が自ら交渉に乗り出した……! 後方部隊の先輩と一緒に、武装警官隊と睨み合いを続けている!」
「おおっ!」
心強い加勢に、少年達は湧き上がった。