オープンオファーはお断り その2
サンズ教皇国 リルン大聖堂 エステルの部屋
話はいきなり変わるが、異世界にも我々の世界で言うインターネットに匹敵するものがある。
魔導ネットワーク――それは、我々の世界の偉人達が血反吐を吐いて作り出した、現代文明の結晶である理論と技術を、魔法と言う何か曖昧で感覚的な反則で作り出した物悲しい現実の象徴である。
無論、彼らが我々の世界を知るはずはないが、そんな感じで、文化的にも非常に似通ったものが異世界にも存在する。
その代表が、SNS〈ソーシャルネットワークサービス〉であった――
「ふっふふーん♪」
外出日和にも関わらず、サンズ教皇国の若き英雄エステル・ノーウィックは、朝っぱらからパソコンに向き合い魔導ネットワークに夢中であった。
真紅のボブカットを輝かせて、何やらご満悦の彼女は、背後で様子を窺う保護者達の視線にも気づいていない。
「な、なぁ、キエル……あれはなんじゃ?」
「流行りのSNSと言うヤツかと」
金髪ドレッドヘアとエスニックな衣装纏った、キエル・ロッシの顔は、双眼鏡から目を離すなり滝のような汗を流した。
「……遠くのお友達が、何をしているのか見てるらしい」
「……アルデバランの彼か?」
「うん、そのようだ」
「なぜじゃ? なぜ直接連絡をとらん……連絡先は貰ったのだろう? 電話ぐらいすればいいものを……なぜ、あの『イイネ☆』ボタン一つで済まそうとするのだ……!?」
「最近の若者はシャイなんだよ……特に引きこもり経験者のエステルは、パソコンがお友達であることが否めないから」
するとマドレーヌ司教は、ますます顔の堀を深くさせた。
「パソコンがお友達……そんな可愛いもので済むのか? 日夜、ケントのSNSに張り付き、さも自分が見てくたかのように話す。加えて、遊びに行けと提案しても、自分の仕事は彼を見守ることだと意味不明なことを言う。挙句の果てに友達を増やせと急かせば、3次元には興味はないと吐き捨て――」
「やめたげてッ! エステルは何もおかしくない、ただ妄想癖なだけだ!」
「お前が一番、過保護よのぉ……キエル」
優し過ぎる元凶悪犯を司教はジト目で見た。
だがその時、エステルの口角が不気味に上がった。
「ひっ……!?」
背筋が凍る思いで、彼らが扉の陰に身をひそめていると、ついに悪魔の笑い声までもが聞こえて来たのであった。
やばい――これはやばい!
「し、司教様、様子見てきてよ……!」
「な、何を言う……!? デリケートな悩みだからこそ、若者同士じゃ……お前が行け!」
「いやいやいやいや――経験者枠だってば! 早く行けってこのデ――」
「デブよりもイケメンの出番じゃろ!? お前の大好きな掃除じゃぞ? 心の掃除じゃぞ? 行けってのこの潔癖症が!」
「――ぐへッ!?」
司教は反則技にも、そのふくよかな脂肪の塊でキエルを部屋の中へと押し出した。
盛大に物音を立てて、すっころんだキエルは、はっと顔を上げた。
無言の背中から漂う真黒なオーラ――司教が職務放棄をしたくなるのもわかる禍々しさであった。
悪魔祓いでどうにかできるレベルではない。そう言う邪さと覇気をこの赤毛のじゃじゃ馬娘は発していた。
命欲しさに彼は、
「エ、エステル、ご、ごめ……! べ、別に覗いてたとかじゃなくて――」
「大変です!」
ガタンッという音にキエルは飛び上がった。エステルが突然立ち上がった訳だが、彼女は覗いていた保護者達を怒る訳でもなく、まだ意識はパソコンに集中している。
「これはあらぬ事態です……! この程度の決断でなぜ争いが起こるというのでしょう!?」
「あの、エステルさん……いかがされましたか?」
「ああ、キエル! いいところに来ましたね! 私、これからアルデバランに行こうかと思っていたんです」
「……はっ?」
反応は、極めてナチュラルだった。
エステルはどうしてこの部屋に二人がいることなんて気にもせず、率直に自分の要求だけを得意げに言い放った。
もちろん、キエルと司教は目をぱちくりさせる他なかった。
しかし、エステルは強引に我が道を進み、
「夏休みです! 友人の元へ遊びに行きます。フェンディがシリウス大学の講義に出張しますので、途中までついていきますからご心配なく」
「待て待て待て! 話が見えないぜ、エステル! 何でいきなり――」
「お友達の危機です! こうしちゃいられません……!」
などと一方的に押し通して、彼女は部屋を出ていった。
司教とキエルは顔を見合わせた後、エステルが少々ウキウキした様子で出ていったことを不思議に思った。
「ま、さ、か……!」
好機――パソコンの画面はつけっ放し。それも不用心なことに、彼女の見ていたSNSのページはそのままになっていたのだ。
――なんだろう、このワクワク感!
汚れた大人達はにやけた顔で、パソコンに飛びついた。
やはり、あった。そこには予想通りの人物、亡霊なる機兵〈ラスティーラ〉ことケント・ステファンのページが――
「……ん?」
――ヤバいです。注文は今日までって言われてるのに議場は紛糾。たかがお偉い方の弁当の弁当に何でここまで……ちなみにシャケが入ってるか、入ってないかの違いで100マニーも違うらしいです。
「…………」
――俺だったら間違いなく安いほうを取る。浮いた3千マニー足しにして、扇風機を新調してください、偉い人! あ、やべ、庶務課の奴らが来た。
以上が、ケントのSNSに描かれていた最新の記事である。
司教とキエルはこの内容に顔の影を濃くして、
「キエル、これは……?」
「その前に、仕事中に携帯をいじるなと怒鳴ってやりたい」
「エステル宛てでもないよな……?」
司教はページをスクロールする。すると記事のコメント欄にエステルらしきハンドルネームがあった。
――大変、待っててください! 私が力になります! by夢見るウサギちゃん
――いや、来ないでください。通報しますよ?
――遠慮せずに☆ 私達は友達ですから! by夢見るウサギちゃん
――僕は友達だとは一言も言ってません。
――薄給薄給薄給薄給薄給薄給薄給薄給薄給薄給!! by夢見るウサギちゃん
――【※夢見るウサギちゃんは、ユーザーの要請によりブロックされました】
友達をブロックするとは、SNSユーザーならその事態のデカさを知らない輩はいない。
だが、その娘はネジが一本外れているだけでは済まない化物だった。
過去の記事にも検閲を行うと――やはりあった。ここには表せない、ストーカー染みたコメントの数々。簡単なコメントの連投ならまだしも、荒らした上に炎上までさせているのだからタチが悪い、悪すぎる!
以上のことから、エステルが昼夜、パソコンに熱中していた理由はこれである。
最後までスクロールし終わると、司教はマウスが汗でびっちょりであることに気づく。隣にいるキエルも同じだった。憐れみと後悔に満ちた表情で、言葉が見つからずにとりあえず遠くを眺めていた。
「……司教。これ、ケントに謝りに行かないと可哀想な気がする」
「頼む……エステルの余罪が考えられる。本人とよく話し合った上で、然るべき措置を取ろう。と言うよりも――エステルを連れ戻さなくては、ケントのトラウマになる!」
「――総員、アルデバランに出陣じゃあぁぁぁぁッ!!」
こんな風に育てた覚えはない。そんな懺悔の念を抱いて、キエルは召集の号令を上げる。すると一体どこに潜んでいたのか、盗賊団スターダスト・バニーの面々が、凄まじい勢いでエステルの部屋の前に集まった。
キエルは彼らを一望すると、
「てめぇら、悲しい知らせだが……エステルがストーカー紛いの奇行に走っている。止めなければスターダスト・バニーは――」
「副長、もう遅いです。出口が氷魔法で封鎖され出ます」
「んだとッ!?」
団員の諦観の眼差し。その情報にたまげたキエルが階段の下を覗き見ると、ひんやりとした空気が顔を撫でる。
「あのちんちくりん……!」
それは大胆で計画的な犯行だった。
こともあろうに、階段の出口が氷漬けにされていた。これは太陽型の人間が成すには、鮮やか過ぎる段取りだ。なぜなら、太陽型は熱による破壊力はあるが、氷のように何かを凝固させたり、形を変えたりと言う繊細な仕事には向かないのだ。
現にエステルは、太陽と正反対の水星型系魔法は勉強中のはずである。
「……キエル、こっちもじゃ」
司教は部屋の窓から大聖堂の正門を見る――どでかい氷山に巡礼者が行く手を阻まれ、動けなくなっていたのである。なんと迷惑極まりない。
悲しい光景に司教の顔が引きつる。
「あいつ、氷魔法苦手なはずじゃ……」
不可解に思った彼は、エステルのネット履歴をチェックしてみた。すると、キエルはとあることに気づく。
アドレスバーに残る、通販のページ――そして、昨日のゴミ捨てを思い出す。
「……あ、わかった」
「な、何じゃ!」
「通販だ。通販で買った魔法道具だ。資源ごみの日に、覚えのないダンボールが無造作に捨ててあったからイラッとしてたんだ。あれ、あいつの仕業か……!」
何とも潔癖症らしい回答に、司教は深々とため息をつく。
「困ったな、計画的犯行か……早急に捕まえんと問題になるかもしれん」
「何で?」
「……近々、ドゥーベ海峡はサンズの艦隊が通る故、物騒になるって話じゃ。それにアルデバランは今頃、魔導騎士団のサミットの真っ只中であるぞ」
「ちょっと、それマジ!? ヤバくね……!?」
盗賊達は顔を見合わせた。
「マジじゃ。フェンディがいれば何とかなると思うが……とにかく連れ戻すことには越したことはない。お前達、エステルの安全のために働いてくれるか?」
「承知!」
司教の言葉に、盗賊団スターダスト・バニーは久々に活動を再開した。
まずは――行く手を阻む氷の処理だ。凍り付いたドアを溶かすべく、やかんのお湯を沸かす作業から始まった。
「カップラーメンとか作るんじゃねぇぞ!? 張り倒すかんな!」
「――っす!」
緊張感のある乱れのない返事、仕事人の面構えで彼らは作業に熱中する。
だがその時、キエルは知らなかった、彼らが背中に隠していたのは、カップラーメンではなく、カップ焼きそばであったことを――
「キエル、フェンディにも知らせておけ」
「了解!」
とにかく、あの悪賢いエステルを追うには変態の力すら惜しい状況であった。
「――あ、もしもし? フェンディ? すんません、お宅の妹がですね――」
電話から聞こえて来たのは、世にも喧しい変態考古学者の笑い声であった。