プロローグ
雲隠れした月は、人を迷宮へと導く。
少年はその月に導かれて、常闇の世界の住人となった。
長閑な自然と少しばかりの喧騒に、彼は目をくれることなく、太陽の光から逃れるように息を潜める。
日常を取り戻したアルデバランの官庁通りを、一台の素朴な馬車が走っていた――
「どうしたんだい、ジェイ? 少し興奮気味だね……」
「……」
貴族と奴隷、それを思わせる構図だった。
馬車は厳重な魔法で閉ざされた、鋼鉄の檻であった。そのだだっ広く、殺風景な客車の中で、二人の少年が対峙していた。
「悪く思わないでくれよ、君を自由にするには早過ぎるんだ。それは自分が一番良くわかっているだろう?」
「……」
鎖に繋がれた少年を見下ろす彼は、ナルムーン軍の将軍だった。紫紺のショートヘアに、金色の瞳。顔つきは極めて美麗であり、黙っていれば女としか思えない。
「おいおい、まさか僕に不満を言うつもり? それは筋違いだよ。燻っていた君の才能を解放してあげたんだ……家族とかくだらない柵を抹消してね」
「――!」
奴隷の少年は、初めて感情を露わにした。
ぼさぼさの黒い長髪、その前髪からは彼と同じ金色の瞳が憎しみの炎を燃やしていた。
鎖に繋がれた、狂犬の姿に若き将軍は妖艶な微笑みを見せた。
「バカだね、ジェイ。君は自分が何たるかわかってない」
「……」
「君は特別なんだ。僕と同じ 亡霊なる機兵であるが、異質でもある。すぐにわかるよ? 君は戦いが楽しくて仕方なくなる……そりゃそうだ。だって君は唯一、過去の呪いを破壊し得る存在なんだから」
すると、誰かが客車をノックした。客車の外、御者の隣で控えていた騎士であった。
「元帥……お時間です。軍部にはすでに自由騎士のお二人がお見えになっております」
「残念。ここまでだ、ジェイ・ファン。君が最も輝ける舞台は僕が用意してあげるよ」
客車の扉が開かれる。奴隷の少年は逆光よりも鋭い、金色の瞳から目を逸らした。
恐れる、あまりに。
「じゃあね。次に会うときには君も魔導騎士だ」
若き将軍はその言葉を最後に、客車を乗り換えた。
葬列よりも重々しいその一団は、間もなくしてアルデバラン師団本部の門を潜るのであった。