魔法と剣とそろばんと その2
ナルムーン共和国 アルデバラン師団 経理部 回廊
「ムカつく! ここまで証拠も揃ってるのに、びくともしないなんて! 議会は魔導騎士団に特権を与えすぎですよ!」
仕留める気満々だったものの、結局、何の収穫も得られなかったことに、ケントの同期は八つ当たり紛いに回廊の柱を蹴った。
「仕方がない。今、軍に求められているのは戦争に勝つことだ。特に亡霊なる機兵の存在はもはやナルムーンには欠かせない。機械巨人の前世を持つだけで、あの虎騎士様は好き勝手許されている。戦略的な価値が他の軍人とは比べ物にならない」
戦略的価値ーー上司の言葉に、オーク色の軍服集団はガックリと肩を落とす。
「だからって……味方の俺達にあの振る舞いは引くって言うか。俺達だって一度は魔導騎士団を夢見ていたのに幻滅ですよ」
思い出せば思い出すほどはらわたが煮えくり返る。若い彼らが、社会の不条理を納得できる寛容さを持ち合わせているはずはなかった。
だが上司は至って冷静に、
「魔導騎士団の師団長は彼だけじゃない。アルドラ、ミザール、ベテルギウス、これら有名都市の師団長は中々評判もいい。クラスチェンジに挑戦するなら、上司次第で有益なキャリアに繋がるぞ」
最もなお言葉だったが、その事実に彼らは増々ため息をつきたくなった。
「うちは最悪の部類ってことっすか……実家通いがいいんすけど」
「その前に受かんねぇよ、魔法使えなきゃ」
「そうだった」
自分達のテリトリーに入り、鬱憤を爆発させて落ち着いたはいいが、残るのは虚しさばかり。だが、部下達が言いたい放題でも、発言に隙のないバートンはさすがと、ケントは列の最後部を歩きながら感心していた。
「――でも、ケントは可能性あるんじゃね? たった今、スカウトされてたしな」
「は?」
無言を貫いていたケントは、いきなり話を振られ口を半開きにした。
「そうだよ、いっそスパイとして入団試験受けたらどうよ。剣術が優秀なら受験資格はあるんだぜ?」
にやにやといやな笑顔が並ぶ。しっかりと先の一件を聞いていた割には、振り返りもしなかった薄情者達を、ケントは活気のかけらもない眼で見回した。
「どうよ? 俺達のためと思って、もう一回チャンスを貰ってくるってのは」
何を期待しているのか――妙にイラつく笑顔は地雷であった。彼らは自分が踏んだ地雷の威力も知らずに、その切り返しを待ち構えている。
その瞬間、ケントは活気のない瞳に絶望の色を宿した。脳裏に浮かんだ、怨念に等しい魔法の言葉を彼らにくれてやると――静かに口を開く。
「……お前ら経理部のくせに本気で言ってんの? 魔導騎士団に入団するとして、再装備にいくら掛かると思ってんの? 今の貯金で何とかできると思ってんの?」
「えっ――」
すっと、彼はそろばんを取り出し、
「例えばさ、武装なんかは支給でも維持費は自腹だし、結局好きな得物に変えたりするから50万マニーは初期費用で掛かる。さらに俺は魔法が使えないから、魔導師と仲良くするための交友費で月に2万マニーは掛かるし、それでも前線でサポートしてくれる保証はない」
「…………」
「だから怪我のリスクも考えて、専用保険に入る必要が出てくるけど、これも積み立て式だから掛け捨てで許される今よりも1万マニーは出費が増えるし、怪我なんてしょっちゅうだから下りる保険料のリスクが伴う。まして、今のようにタイムカードで労働時間を管理しているわけじゃないから、あの虎騎士様の一声でサービス残業なんかが日常茶飯事になってくるから、ストレスで食費が今よりも2万ぐらい増えると予測だ」
ケントは濁った目で瞬きもせずに、そろばんを弾いている。放たれる狂気のオーラに青ざめた仲間達は涙目で、
「ケ、ケント、ごめん。もうわかったから……!」
と、許しを乞うが、そろばん兵士の指先はさらに加速する。
「――加えて、所得税と住民税も上がる。一般の労働者に比べ優遇されてるけど、とにかく出世競争に巻き込まれて自己啓発セミナー何かも行くようになる。これでプラス、月2万マニー」
「あ、あの……」
「それでいて、俺は実家暮らしだが、両親が出稼ぎで他国にいるため、おばあちゃんと二人暮らしだ。魔導騎士団の遠征の際は家を空けるから、高齢のおばあちゃんのことを考えるとお手伝いを雇わなきゃならないし、防犯面でも魔導警備会社に家の留守を任さなきゃいけなくなる。この2点で月およそ10万4000マニー。これらの費用を魔導騎士団初任給から出すとなると――」
「御免ッ! 本当に御免ッ! 俺達が夢見たのが間違いだった! 許してください、現実を直視しますから!」
とんだ精神攻撃だった。彼らはケントに縋り付くように、そろばんを弾く手を止めにかかるが、そろばん戦士の腕力は意外と強靭であった。
「と、止めるだと――!? まだまだあるのに?」
「嫌だぁぁぁ!? 聞きたくなーい! 今の部署が仕事と給与が釣り合ってるってわかってるから何も言わないで!」
絶望したくなるほど現実的な給与計算に、同僚達は涙を流してむさっ苦しくもケントに抱き付いた。だが、ただ一人、バートンだけは腹を抱えて笑っていた。
「ははははは! ケント、ちょっと考え過ぎだな、それは!」
あまりにも笑うものだから、ケントは顔を真っ赤にして、
「隊長、笑わないでくださいよ! 大体こんなもんだって、昔魔導騎士団の人に聞いたんですから!」
「それが剣の師匠か?」
「え、いえ、まあ……そうですけど……」
ケントは不本意にもバートンから視線を外した。その一瞬を彼も逃さなかった。
「冷やかしと思わないでくれ。お前の剣の才能は皆知ってるよ。だから皆、惜しいと思ってる、だろ?」
上官の問いかけに仲間達は頷いた。
「そんなこと言われても……俺、金勘定のほうが好きですから。身の丈に合った生活が大事だと思ってます」
「わかってるよ。お前も経理部にとって欠かせない一員だ。ただ皆にも心して欲しいのは、若いうちに自分の才能を伸ばせるだけ伸ばしておけと言うことだ」
「隊長……」
「剣も魔法も、俺ぐらいの歳になると勉強しようと思っても中々出来ない。10代の今を大事にしろよ。話はこんなところだ……さて、今日の件の報告書を作成しよう。皆、持ち場に戻るぞ」
バートンの言葉に、士気が上がった兵士達は歯切れよく返事をし、彼の後を追った。
だがケントは彼らと対照的に、胸騒ぎに似た違和感を覚えた。
――お前には才能がある。
「……」
昔、そう誰かに言われた。誰に言われたのかは思い出したくもなかった。
思い出さないように、彼はそろばんを握り締めて部署へと戻った。