エピローグ
アルデバラン 駐屯兵隊 経理部
あの戦いから、2週間が過ぎた。大陸を揺るがす大事件にも関わらず、アルデバランの街は平穏そのものであった。
では問題のケント・ステファン一兵卒はというと――
「はい、こちら経理部……え? ステファン一兵卒? 簿記試験で外してます」
――ブルルル! ブルルル!
「あ、ステファンですか? インフルエンザで突発です」
――プルルル! プルルル!
「え? ケントの面接? 無理、人事部に言って」
――プルルル! プルルル!
「…………」
ここ数日、電話の音が耳から離れない。自分のデスクで、ケントは頭を抱え、何とかしてこの鳴りやまない電話を黙らせる方法を探すが、経理部全員でも答えが出せなかったものを一人で何とかできるはずがない。
魔導騎士団への不服審査請求により、晴れて経理部のメンバーは全員職務に復帰することが叶った。半ばクーデターとも受け止められる駐屯兵隊の行動であったが、ヴァルムドーレの復活の失態と魔導経典の喪失。それらの落ち度に加え、レガランスの暴走が人々を恐怖に晒した事実は、一般市民にも重く受け止められた。
故に、ナルムーン共和国議会は世論を恐れ、駐屯兵隊の解体を凍結し、市民の敵意を教団と魔導騎士団アルデバラン師団に誘導することに成功する。その甲斐あってか、魔導騎士団が駐屯兵隊にとって代わるだけで、その他の体制が変わることはなかった。
それが良いのか、悪いのかはわからない。
わからないが、アルデバラン師団の横領の証拠を掴み、体を張って真実の告発に挑んだ、バートン・エルザは議会から騎士の位を授かり、当師団の経理統括者として任命された。
本人は偉く自虐的に、軍のプロパガンダだとと言っていたが、ケント達でさえもそれを否定することができなかった。
まだ、中央議会への疑念は残る。しかし、それは自分達が力を合わせて何とかしていくしかない。そういう気持ちで、アルデバランは団結していた。
全体の変化としてはその位だが、ケント個人の場合は全く別の場合となる――
「隊長ぉぉ~!? もう限界です! ケントのスカウト断るネタが尽きました!」
「隊長! ベテルギウス師団がしつこいです! タイマン張るまで覚えてろとかほざいてます!」
「隊長ぉぉぉぉ! 経理部隊舎のバリケードが崩壊寸前です! 警視庁の人事部の奴ら、元スモウレスラーを10人も投入してきやがりました!」
相次ぐ報告に、さすがの騎士公も頭を悩ませた。
「……ケント。耳が遠いお婆ちゃん、3人ぐらい電話番に雇うか」
「隊長、それダメです。大事なことも伝わってこないです」
「じゃあ、有給でも取るか? リゲルの両親のところへ、バカンスでもどうだ?」
「――サンズ国境で別のストーカー部隊が潜伏してるとの噂です」
「困ったな……喜ばしいのか、悲しいのか。まあ、ラスティーラに帰化してしまった以上、それを経理部に放置しておくのは宝の持ち腐れと奴らは思うのも無理はない――本当に異動届は出さなくていいのか?」
「匙投げたぁぁ!? 隊長まで酷いッ!」
ケントは飼い主にすがる子犬のような目をバートンに向けた。だが、こればかりは彼にもどうしようもなかった。
「とは言っても、上層部に言ったところで当然のことだと突っ返されるのは必至だ。あとは正面切って、お前自身が説得するしかない」
「そんなぁ……!」
「でも、安心しろ。そう易々と経理部の外にお前はやらんよ。ラスティーラ以前にそろばん兵士の切込み隊長としてお前は欠かせない。だから、全力でこの領収書の処理を頼むぞ!」
ドンと上司により置かれた書類の山に、彼はトホホとため息をつく。
だが、これも庇ってくれた仲間達への恩返し――気を引き締めて、彼は各部隊の領収書に目を通した。
どれもこれも、スターダスト・バニーによる損害の修復費関連である。その総額をざっと弾きだせば、心も折れる。今すぐ建屋から飛び出して各部署に謝りに行きたい衝動に駆られるが、全部致し方なかったことだと、割り切るようにケントは自己暗示を掛けた。
妙な縁であったが、彼女らに出会えてよかったと思う。
決戦の翌日、彼は心からそう思い、スターダスト・バニーの仲間と別れを告げた――
◆ ◆ ◆
「いいじゃないですか、このままサンズに来ちゃえば! またナルムーンに戻ったところで、あなたの力を利用しようとする連中は沢山います。まったく、ご自身が辛いだけですのに……」
「わかってる。だけど、やらないといけないことがあるんだ。何年かかるのか、まして、俺みたいな行動力の足りないヤツにできるのかはわからない。それでも、ユーゼスの意志を無駄にはしたくないんだ……!」
「――青二才が、たった一人で何ができる」
「お前とはやっぱり相性最悪だ、この鬼畜娘」
バチバチと魔法もなしに火花が散る。いがみ合うケントとエステルの間に、見かねたキエルは割って入って、、
「まあまあ! そんな顔をするなよ、エステル。金よりも大事なやりがいってのを見つけただけだ。なあ、ケント?」
「う、うん……」
彼女の手から、キエルは高額の報酬が約束された契約書を取り上げた。ケントは些か、名残惜しそうな目で破かれる紙切れを見たが、欲に負けじと首を振った。
「自分の国を良くするために働くのは当然だ。あのヒモ体質のユーゼスでさえもよく言っていたよ……ケント、大変だと思うけと僕らと志は同じだよ。応援してる」
痛々しく腫れた頬に冷却剤を当てながら、フェンディは言った。
重傷を負った彼あったが、ヴァルムドーレから解放された後、療養も必要がないほどの驚異的な回復を見せた。それも最高の状態でエネルギー源とするべく、邪竜の治癒能力が働いたためであった。
だが、彼の肉体が消滅しなかったのは、他ならぬユーゼスの導きだ。邪竜に決定的な魔力を与えないよう、ユーゼスはヴァルムドーレ最終形態の際にフェンディの意識を戻した。
それにより、彼らは姿の見えない味方として、レガランスとヴァルムドーレ討伐に尽力していたのである。
無論、フェンディの性癖はその時の経験ですらも快楽の対象であった。あまりにも興奮気味に当時のことを話す兄に妹は激怒し、彼の顔面に殺人的な右ストレートを食らわせたばかりである。
そういう事情で、エステルは胡散臭いとばかりに兄を見ていた。
「ふーん。それが男の言う夢ですか! 金にならない穀潰しなんてどこがいいんだか!」
「――フェンディ、僕は妹さんの将来が心配です」
「仕方ないよ。エステルは最近、引きこもり生活から脱却した箱入り娘なんだ。世間の常識に馴染むにはまだ時間がかかるよ」
「え? 引きこもり!?」
「フェ、フェンディ! 余計なっことを言わないでください!」
目をぱちくりさせるケントの傍らで、エステルは顔を真っ赤にして止めに入った。
だがパンチの恨みか、大人げない兄はにっこりと微笑んで、
「事実でしょ? 君は自分のことを全然彼に教えてあげてないじゃないか」
「家と学校の往復生活と完全個別教育の話題なんて、ちっとも面白くないですよ」
「よくわかんないけど……スターダスト・バニーやるまで友達いなかったってこと?」
難しい顔をしながら、エステルは頷いた。
「仕方ないです。私達がノーウィックである以上、向こうでの扱いは魔導経典と同じ。ナルムーン建国以来、暗い地下室に閉じ込められたフランチェスの気持ちがよくわかります」
彼女が持つ、魔導経典の簡易バインダーには、ユーゼスの心臓であったページと、七大魔導体系の図式である七芒星が書かれた扉絵が収められていた。ニューバニーで待機するバニーを合わせれば、3ページ分。
これにて、サンズは魔導経典の全項を揃えたこととなる。
「それにしても、いいんですか? これがなくて困るのはあなた達じゃないのですか?」
そう言って、エステルはケントの後ろに控えていたナルムーン軍の面々に尋ねる。すると駐屯兵隊の責任者はすっとぼけた顔をして、
「何のことだ? レガランスの暴走により、3項の魔導経典は全てどこかに散ってしまった。我々はまたそれを探さねばならない……ただそれだけのことだ」
「なるほど……そう言うことですか」
「もし発見したとしても、無力な人々を恐怖に貶めるのはあってはならない。全部集めた者には……責任を持って封印して欲しいものだ。ただの伝説だからこそ、意味がある」
「もしそれが、僕らであったら約束します。魔導の神の教えと……アルデバランに散った誇り高き自由騎士の名に懸けて」
フェンディの言葉に、責任者は厳格なる面持ちで頷いた。
「エステル、司教からだ。そろそろ出発しないと、別の都市の魔導騎士団が動き出しちまう。ここいらが頃合いだ……」
「そう……ですか」
ツンケンしても、何だかんだでエステルにとって、ケントとの別れは名残惜しいものであった。
「初めて国の外に出た任務としては楽しかったです。辛かったけれど……」
「よかったじゃん。これで箱入り人生ともおさらばで」
「はい。初めてコンビニでお遣いできた時以来の清々しさです――冷凍庫にあるあの日ののり弁とレシートのように、心に大事に残しておきます」
まるで乙女の祈りの如く、うっとりと語られた真実に、ケントを始め、そこにいた全員は表情を凍らせた。
「待て――レシートはいいとして、のり弁はどうするつもりだ!?」
「どうするって……まさか食べろというのですか!? そんな、もったいないことを!」
「いや、食うなし。捨てなさい!」
「嫌ですぅ! ずっと冷凍庫の片隅に忍ばせておきます!」
ギャンギャン言い合うエステルとケント。だがその傍らで、潔癖症は酷く死んだ目をして、首を横に振った。
「ごめん、エステル。潔癖症には耐えられない――明日艦内大清掃を実施する!」
「承知ッ!」
「キエルとみんなまで……!? おのれ、乙女の気持ちがわからぬ外道が!」
どうしようもない話題に一団となる盗賊団。鬱陶しいほど注がれるエステルへの暖かい視線に、ケントは呆れたように笑った。
「俺も人生変わったけど……あんたも変わったみたいだな。こんなに友達いるし」
「そうですよ、みんな自慢の友達です! だけど……よ、欲を言うと国外のお友達がいなくてですね……ずっと欲しかったんです」
エステルはうつむき、濃紺の制帽を深くかぶった。少し物悲しくなってしまったのかと、一同は心配そうに彼女の様子を窺うが、どうも事情が違う。
彼女は少々顔を赤らめて、
「ねぇ……ケント」
「何?」
「私達、友達ですか? 友達ですよね?」
「は?」
「あ、あなた……意外とかっこいいです。もっと自信をもったらどうですか……?」
彼女は顔を赤らめて、ポカンと間抜けな顔の勇者を見た。
――ここでは言うべきセリフがある。
野郎どもは固唾を呑んで勇者の言葉を待った。
空気を察したのか、はっと思い立ったケントは、死んだ魚の目をキリリとさせて彼女に向かった。
そうして堂々と、
「合コンだったら、割り勘に限るぞ……!」
――違ぇよ。
最低だ。何の迷いもなく言い切った彼に、野郎どもは一斉に頭を抱えた。それにしてもブレないどケチ精神には呆れを通り越して、憐れむばかりだ。こんな感じじゃ、彼に彼女ができた、別れたなどの浮ついた話がやってくるのなんて遥か先だ。
かわいそうな、エステル――そう、一同は振り向くが、
「ほ、本当に……!? じゃ、じゃあ、連絡先は頂けるんですね!?」
「はいよ、うちの住所と固定電話の番号。携帯は仕事用だからヤダ。どうせ監視の目が厳しいから、連絡するならバレないようにしてね」
「は、はい! その辺りは万全にやらせてもらいます!」
「そう。じゃあ、よろしく。またな」
顔から湯気が立つような赤面、珍しくキャピキャピした様子で、彼女はケントの連絡先を受けとり、フェンディ達を振り向いた。
――こんな、嬉しそうな顔は見たことがない!
呆気にとられる彼らに、彼女は胸をときめかせて、
「聞いてください、みんな! 私……初めて自力でお友達の番号をゲットしました!」
「エ、エステル……それでいいの!?」
「十分です! 私が初めて外に出て作ったお友達です! 大親友です! あっ……合コンをするなら女友達が必要です! また外に繰り出さなきゃ!」
彼女の思考は自分達とは違ったと、彼らはため息をついた。
「フェンディ、次の活動は……女友達発見の旅か?」
「それもいいんじゃない? 魔導経典揃ったし」
本人が至って楽しそうならそれでいい――温かい目でしばらく、このトンデモガールの成長を見届けようと一同は思うのであった。
そして、当のケントはと言うと、スタスタと城壁の中へと戻って行った。そして、まさに門が閉ざされんとした時、また彼は振り向いて、
「……ありがとう」
絶対に彼女達に聞こえない声でそう言った。
ニューバニーがアルデバランから出航したのはそれから間もなくのことであった。
◆ ◆ ◆
あの後、彼女達が無事にサンズ皇国に着けたのかは定かではない。何の連絡も受け取っていないし、監視がついてしまった以上、それを受け取るのは困難であった。
「ケント、シリウス警察から手紙が来てるぞ」
「……あっ」
シリウスと言えば忘れもしない、影の功労者。
「誤認逮捕の詫び状だろうから読んでいいぞ、ケント」
わざとらしい言い回しで、バートンは新聞紙で顔を隠した。ケントは苦い顔で笑い、そのまま仲間から手紙を受け取った。
差出人は、リヒテン・グルング警部――
「……ん?」
誰だ、と彼は首を傾げた。そんな名前のヤツ、知らない。あらゆる記憶を巡らせるが、一向に出てこない。
(グルング? グルン……グ……ぐるん、ぐるん――)
そこにたどり着くと、彼ははっとした。
「髭ロール……!」
なぜそうなったかはさておき、彼は夢中で封を切り手紙を引っ張り出した。そして、そこには彼が目を見張る内容が書かれていたのだ。
【今、名前見て誰かわからなかっただろう、このたわけ!】
怒りに似た覇気のある文字に、彼は壮大に机に頭をぶつけた。仲間の痛い視線に耐えながら、彼は続きに目を通す。
【ケントへ。ユーゼスのことは聞いた。よくやったと心から祝福する。これであいつも心安らかに眠れると信じているよ】
「髭――じゃない、グルング警部……」
【あいつの話はまた今度にして、兎どもだがサンズの国境を越えたと連絡を受けている。魔導経典は無事に封印される予定だ。これで当分の間は大きな戦乱は起こらないと思うが、まだまだ油断できない】
「……」
【いつかまた、ラスティーラの力が必要となる日が来るかもしれない。その時までに、お前がするべき選択は二つだ。逃げるか、戦うかだ。正直、ユーゼスと同じ道を辿って欲しくないと私は思っている】
「……どうした? ケント」
ふと、天井を見上げるケントに、バートンは声をかけた。
「今の仕事が一人前にできて……魔導騎士団にもの申せるようになるには何年かかりますか?」
その問いにバートンは真顔で答える。
「10年じゃ足らないぞ。私がかれこれ、そんな感じだ」
「そうですか……」
「だがもっと、仲間が増えれば別の話になるな。特に魔導騎士団の中に同志がいれば心強い。欲を言えば……そいつが英雄になればいい」
仲間達は耳を疑った。
だが、ケントは決意に満ちた目を向けて、
「3年鍛えてください。3年で隊長の補佐として一人前になってみせます。そうしたら、俺を魔導騎士団に推薦してくれますか?」
「……3年か。長いようであっという間だぞ」
「それでも、やります。残念だけど俺は堅実過ぎて、一個一個のことを確実にやっていくしかできません。前世がラスティーラだからって、いきなり敵の懐に飛び込んで、改革なんてのは性に合わない……揺るがない土台を作って、あいつらに挑みたいんです」
「……」
「それに、剣も魔法も何とかします! 3年後、即戦力として隊長たちの志を全うできるように……!」
ついこの間まででは考えられなかった、ケントの変貌ぶりに、バートンは石になった甲斐があったと少し笑った。
そして、
「じゃあ……お前の目標はヤツらの財布の紐を握ることでいいんだな?」
「はい。武力じゃなく、そろばん兵士として理屈を通します!」
「完璧だ。お前らしい、良い目標だ」
「隊長……」
「では、早いところ精算を終わらせてくれ。午後はまた、魔導騎士団の会計調査に向かうからついてこい」
「はい……!」
人生の目標が決まるとはすごいことだと、部下の顔を見てバートンはつくづく思った。
「……じゃあ、これはいらないか」
「?」
バートンは引き出しの奥に閉まっていた、ピンクの大型封筒をケントに手渡した。その右下に描かれている小さな兎の絵に、ケントは渋い顔をして再び髭ロールからの手紙に目を移す。
すると二枚目の便箋は彼の筆跡ではなく、明らかに年頃の娘の字でこう書かれていた。
リストラ(実力行使も含む)されそうになったら、いつでも待ってます。
あなたの親友エステルより。
「……余計なお世話だっての! 焼却、焼却」
大型封筒の中には予想通り、入団申込書。彼は迷わず封筒を焼却処分用のゴミ箱に捨てたが、手紙だけは大事に机にしまった。
彼女とは腐れ縁の他に、魔導指揮という絆がある。この絆が後の世に生きることを信じて、ケントは自分のやるべきことに没頭する。
ケントの体当たりの毎日が、今、始まったのであった。
―完―
最後までお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。
このサイトは楽しい。
お気に入りにして頂いたりと、反応が少しでもあると意欲が湧きます。
元々、本作品は新人賞応募用に書いたものでした。主人公がロボット的ななんかに変身したら……そんなふじしろの悪いSF大好き精神が生み出した産物です。
ふじしろにとって、執筆は現実逃避です。根暗なこと言うと、ケント達を脳内で遊ばせてるのが楽しくて仕方ないです。だから、ネタはまだあるっちゃ、あります。
長くなりましたが、最後に執筆向上のためにご感想など募集しています。お気軽に見ていただければと思います。
ふじしろは今後もだらだらやっていきますので、よろしくお願いいたします。