恩返しはお早めに その3
アルデバラン ベルローズ遺跡
勝敗は決まった。
力を使い果たした、鉄の体を引きずって、
『ザック……』
そう、ラスティーラが呼びかけた途端――
『バカ野郎ッ! 何で止めを刺さなかっ――ぐはっ……』
同質であるが、明らかにレガランスと違う声にラスティーラは思わず足を止めた。
『ザック? まさか、ザッ――』
『くっ……ハハハハハハッ!』
だが、狂気的な笑い声が彼の希望を打ち砕く。レガランスは溶解した身を立たせ、ヴァルムドーレの首に寄りかかる。
意地とプライドがだけが残る、ルビーレッドの瞳をギラつかせて、
『ユーゼス……お前と俺は未来永劫、分かり合うことはない。運命は残酷だ……一番の強敵が現世の自分になとうとはッ!』
ヴァルムドーレとレガランスの身が、影火に包まれる。
自害か――そう、二人は思ったが、エステルの肩でバニーはたわしのように毛を逆立てて、飛び跳ねる。
全身に冷たい汗が噴き出す。彼らこの期に及んで、また秘策を持っているというのか。
「やばいのぉ~、あいつ死ぬ気だわ」
「死ぬ気って、あの状態で何を――」
ふと、エステルは視線を下げる。普通に返事をしたが、この場にラスティーラ以外で、会話が成り立つ相手などいるはずはなかった。
ないはずが、
「ちぇ……ガードルとは抜かりないのぅ!」
「――イヤァァァァッ!?」
この泥沼の戦場にどこからともなく現れた、スカートを覗く宗教服の不埒者を、エステルはメジャーバトンでフルスイング。もっさり白髭の小柄なジジイは、大層痛そうにその場でのたうち回った。
そのどさくさの中、ヴァルムドーレの腹から黒い炎の手が出現。それが瞬く間にレガランスを掴み、体内へと引きずり込んでいく。
その光景に彼らは絶句した。
だが、曲者のジジイはさも当たり前のように、
「肉体はボロボロでも、魔導経典は健在じゃ。レガランスの分をさえ取り込めば、ヴァルムドーレは復活できる」
『ジジイ! 突然現れて、何言い出すんだ!』
「ラスティーラ、お前が招いた結果じゃ。バニーも人が悪い……二人に大事なことを教えておらぬ。人間に感化されるのは結構じゃが、ワシの苦労も考えて欲しいのぉ!」
ジジイの魔法か、突如現れた魔法陣から炎の槍が、レガランス達に降り注ぐ。しかし、影火は勢いを増し、強力な魔法であるはずのそれを、一網打尽にした。
攻撃手であるジジイを臨み、レガランスは、
『今更きたところで遅いぞ、フランチェス! 貴様が加わったところで、俺は止められない……!』
「暴走する気か。ならば、ワシはお前を魔導の神に背きし者として、処分する」
『抜かせ……元々、魔導の神など信じるに足らんッ!!』
ヴァルムドーレはレガランスを完全に取り込んだ。それと同時に、影火は邪竜の損壊した装甲を再生し、その姿を別物へと変貌させる。
『何が起こってるんだ……!?』
「魔導経典同士が一つになった。これで戦況は振出しじゃ……」
『魔導経典同士って、一体どう言う――』
黒い光が再び闇をもたらす影火の中から現れたそれは、レガランスを完全に喰らい、その魔力を自身に反映させた竜の化け物。
アメジス・バイオレットの装甲が、復讐と破壊に疼く。先ほどのヴァルムドーレより、一回りも大きい機械の龍神が、再生の息吹を上げた。
振り出し――フランチェスの言葉の重さにエステルは膝を落とす。
地を駆ける発動魔法の余波――その変わらぬ強さに、ラスティーラは血相抱えて、
『しっかりしろ、エステルッ! 防御魔法を――』
「無理じゃ、力が残っとらん! ワシがやる」
刹那、レガランスの奥義魔法《青き鎮魂の灯》が発動。地獄の炎の再来にラスティーラは身構えたが、フランチェスの魔力は驚くべきものであった。
たった一人の天体防衛で、青い炎を完封していた。魔法壁はびくともせず、かつ、広域に展開され、それでも余裕すら窺える。
『ジジイ……あんた一体!?』
「ケント、ユーゼスちゃんを殺す覚悟はあるか?」
その問いに言葉が詰まる。だが、フランチェスは極めて厳しい視線で、
「お前の弱さが、ヴァルムドーレに完全形態を許した。ユーゼスちゃんが作ってくれたチャンスを……お前は逃してしまったのだ」
『……!』
「その弱さ故、誰もお前に真実を語らぬ。だからワシが言ってやる……今のユーゼスは、魔導経典の心臓を得て蘇った、生きた死体じゃ!」
青炎の嵐の中で、エステルは目を伏せた。
『末裔ちゃんの先祖と同じ……創始ノーウィックの逸話を基に、元魔導騎士団団長のエリツィンが、レガランス欲しさにやった暴挙じゃ。結果的にユーゼスちゃんの人格はレガランスに支配され、今日に至る……ワシはもう、見てらんなくてのぉ』
炎の勢いが弱まった。発動時間の限界に、フランチェスは自らのエネルギーを青炎にぶつけ、一切の障害を振り払う。
しかし、ヴァルムドーレは合理的な行動に出る。彼を倒すのは困難とわかった突端、漆黒の翼を羽ばたかせ、宙に駆け上がる。
そして、彼らから興味をなくしたかのように逃走した。
その進路に彼らの顔色は変わる。
「まずいのぉ……市街地の方面じゃ。もはや、破壊と殺戮を求める人形……見境なしに人の命を奪うだろう」
ラスティーラはその事態に愕然とした。自分の犯した過ち――それもユーゼスを助けたいという純粋な気持ちがもたらした最悪の結果に拳を握りしめ、
『クソッ!!』
「ごめんなさい、ケント……私も覚悟が足りなかったです。フェンディのことを吹っ切れなかった……自分の兄を助けて、多くの人間が死ぬんじゃ、何の意味がないッ!」
立ち上がる力もなく、エステルは地に爪を立てた。
優しさと弱さは紙一重、そのことを痛感し、二人は己の非力に落胆した。
そんな彼らを見たフランチェスはため息をつき、
「落ち込んでる暇はないぞ。やるか、やらないか……どっちじゃ?」
――そう言われて、彼なら何て答える?
真実を知った今、ユーゼスを殺すことは、彼に二度目の死を与えることなる。死――その想像もつかない苦しみと恐怖が、ラスティーラの決断を鈍らせていた。まして、ユーゼスだけではない、あの中にはフェンディがいる。彼女の肉親までも葬ることとなるのだ。
だが、そんな彼を察したエステルは意を決して、
「……ケント、やりましょう」
『……エステル』
「このままじゃ、あの世に行っても二人にぶっ飛ばされるだけです! 私達は無法者、どんな障害があろうと、どんな手を尽くしてでも目的を達成する必要があります!」
バニーが心配そうに見守る中、エステルは再び立ち上がる――
「何度でも立ってやります……だって、バニーちゃんはそんな私の根性を見込んで力を貸してくれている……スターダスト・バニーのみんなも、私達に命を託してくれた……ここで負けたら面目が立ちませんッ!!」
コンダクターとは不思議なものだ。似た者同士が惹かれ合うのか、その一喝で彼の心の霧は開けた。
「ケント……魔導経典が力を貸してくれるというのは、自分の魂にそれだけの価値があることです! ですよね? バニーちゃん、フランチェス大元帥……!」
『ウキュ!』
「え!?」
ニヤリと不敵な笑みから、フランチェスは視線を逸らした。
『俺……何やってんだろう。あんなんやったら、後で殴られるってわかってたのに……』
その言い方はケントだった。
彼はエンペラーに映る自分を見て、
『ジジイ……頼むから、力を貸してくれ』
「ええ!?」
『とぼけんな。ナルムーンの最後の魔導経典はあんただ。レガランスの奥義魔法を一人で止められる人間がどこにいる? バニーですらできなかったのに』
「私の血液もギンギンです! あなた、扉絵ですね? サンズでも有名ですよ。ナルムーンには魔導経典を取り仕切る、本の精霊がいるって!」
フランチェスは参ったとばかりに、もっさり白鬚をくるくると弄んだ。
彼こそ、ナルムーンが建国以来地下深くに隠してきた魔導経典の扉絵。
魔導経典の統括者、精霊フランチェスであった。
「ほえ~そう言われても~、精霊は人間同士の争いには加担しないって約束なのよ」
「さっき、レガランスを処分するって言ってましたよ?」
「あっ……」
しまったと、彼は格好つけたことを後悔するが、もう遅い。
「はぁ……しょうがない。説教した建前、やらんとレガランスを調子づかせるだけじゃし」
『じゃあ――』
「ただし勘違いするな。ワシはユーゼスちゃんを男と見込んで、協力してやるのじゃ。ケント、お前達のためではない……この精霊フランチェスが、唯一本物の騎士と認めた男の頼みであるから、お前達に力を貸すのだ」
厳しい視線にラスティーラは頷いた。
「お前にユーゼスちゃん以上のことは期待していない」
『……』
「だけど、それ以上の可能性も持っている。なのに、負担を恐れて安泰を臨むバカは……ワシは反吐が出るほど嫌いじゃ!」
『……わかってる。もう、初めからできないなんて言いたくない』
「当然じゃ」
『昔、やるだけやって何とかなった……その世界で、俺はまた生きていくから!』
「そうじゃ! できないって言えるのは、全力出し尽くした時だけじゃッ!!」
その教訓が木霊する。フランチェスの身体は光となり、エンペラーに宿る。
新たな魔導経典の力を得て、エンペラーはより一層魔力を増し、豪快で異彩を放つ斬艦刀へと生まれ変わった。
その力を直に感じたラスティーラは祈るように剣を掲げ、
『我らの魂の化身、太陽よ。雷神と風神の祝福を得て、友の願いをここに叶えん!』
力強いスパークと旋風に、エステル達は決意の眼で地平線の影を見た。
『協奏魔法、雷神風神の祝杯――行くぞ、エステル!』
「はい!」
エステルはラスティーラの肩に乗り込み、彼と共にヴァルムドーレを追って空を駆け抜けた。