恩返しはお早めに その2
アルデバラン ベルローズ遺跡
この介入に、さすがのレガランスも動揺を露わにする。
『バカな……なぜ貴様がここにいるッ!?』
青き炎竜の毒牙に耐えきったラスティーラはその威力の前にがっくりと膝をつくものの、サファイヤの瞳は闘志を失ってはいなかった。
「ケント……どうして戻ったの……!? あなたはリゲルに行ったはずじゃ――」
『給料』
「……へ?」
するとラスティーラはゆっくりと立ち上がり、
『移動費と退職金は貰ったが、昨日までの働き分が入ってなかった!』
「はっ!?」
『ばっくれは許さない……速やかに問題を片づけ、回収して帰るからよろしく』
こんな表情豊かな機械は見たことがない、と思わずエステルが突っ込みを入れたくなるほどの、黒ずんだどや顔を向けた。
デリカシー、その言葉の重みを痛感する。一瞬で夢から叩き起こされたエステルの中で沸々とマグマが込み上げた。
――そうですか、第一声は金ですか!
乙女の気持ちを踏みにじる、第二の敵に彼女はついに憤慨して、
「ったァァァァァァッ!? この成金勇者めッ!! そんなに金が好きならドロドロに融かして、そろばんに鋳造し直してやりますよッ!!」
『やってみろッ! そんな元気があればだがな……!』
「ふん!」
――意地でもぶっ飛ばす!
ボロボロの体に鞭を打ち、エステルは気合で立ち上がる。心なしかバニーはその姿をうるうると歓喜の眼で見つめていた。
エステルは堂々たる気構えで、
「自信がおありなのは、結構ですが……ボロ負けしたのは忘れてませんね?」
『わかってる……簡単に勝てるとは思っていない』
ラスティーラはレガランスの隣に控える、ヴァルムドーレを睨んだ。
『あれは俺の記憶にない邪竜だ……そもそも封印なんかした覚えはない。本物はすでに倒したんだ……学者の仮説の一人歩きも考え物だな』
「ずいぶんケントっぽいラスティーラですこと。前世の記憶が完全に戻ったのですか?」
『うん、そうだ……昔の自分を知るのが嫌だった。二度と戦わないように、現世の自分にしがみついていた……夢を見れば誰かを失う……それが怖くて、俺はあんたの死すらも記憶の片隅に葬ろうとしていた……!』
彼らは愛刀エンペラーを構えて、レガランスを臨む。
『ザック……俺は逃げるのをやめるよ。恐れを理由にできないって答えるのは、もう今日限りにする』
『やれるのか、お前に?』
『やってやるさ……あんたの考えを根底から覆す。それだけやってダメなら、潔く笑って諦めてやるよォォォォッ!』
熱された機械の雄叫びと突風。神速で飛び出したラスティーラの太刀がレガランスに振りかかる。瞬時に抜刀するも渾身を駆使しなくては防げない魔力と気迫に、前回の戦いとの違いを見た。
反発し合う魔力の渦で、レガランスの顔つきが変わった――
『素晴らしいッ! これが昔のお前かッ!!』
『昔も今もないッ! 俺は俺のままだッ!!』
弾かれる刃、生まれる間合い。次の攻撃へと同時に動き出す。
『エステルッ!』
「魔導指揮――協奏魔法《電光石火の不死鳥》!!」
『ヴァルムドーレ! 協奏魔法《青き炎竜の毒牙》!!』
エステルからラスティーラ、ヴァルムドーレからレガランス――それぞれの奏でる協奏魔法が遺跡全体に鳴り響く。
激突する不死鳥と青龍。紅き炎と青き炎は交わることなく、まるで別の物質の如く激しく反発しあった――
『オォォォォッ!!』
「バニーちゃん、フルスロットルで!」
『ムキュムキュムキュゥゥゥゥッ!!』
だが、レガランスの攻撃力は衰えない。それどころか、ヴァルムドーレのコンダクトを本格的に受けて、青き炎の密度は高まり、エンペラーに多大な負荷がかかっていた。
バニーはこれでもかと、魔力を奮発してくれているが、
『その程度で勝てると思ったか、愚かなッ!』
もはや彼らの魔力に底はない。レガランスの怒涛の第2波が、ラスティーラ達に襲い掛かる。震えるエンペラー、それでも羽ばたく不死鳥――均衡状態の崩壊を悟ったラスティーラに焦燥の色が浮かぶ。
『――!』
彼は見切りをつけた。悔しいが、正面からの勝負は無謀の一言でしかないのだ。
炎の竜に不死鳥が食い殺された途端、
『来るぞッ!』
「《雷神風神の祝杯》!!」
まるで瞬間移動のように、ラスティーラは青龍の一撃必殺の毒牙をかわし風上を取る。
雷の破壊力と風の回避力。攻防一体のこの技に、ラスティーラは勢いのまま、稲妻滾るエンペラーをレガランス目がけて投げつけた。
かく乱か――そう読んだレガランスは虫を叩くかの如く、剣でエンペラーを弾き、
『ヴァルムドーレ、殺れ!』
漆黒の羽音が再びエステルに襲い掛かる。
「バニーッ!」
青い炎を宿した竜の爪が、彼女の防御壁に突き刺さり、炎の呼気に視界は見る見るうちに閉ざされる。
満身創痍の彼女に、あれだけの質量の物理攻撃は酷すぎた。彼女は痛みに顔を歪め、寸前のところで耐えるが、時間の問題だ。
再びエンペラーを手にし、稲妻の速さで彼女の元へと駆けつけるが、背中に取り付くどす黒い怨念に、彼は隙を突かれたと悟る。
『くっ――』
『迂闊だな』
腐っても、剣の師匠。背中に走る熱さと痛みがそれを暗示する。
熱で抉られる装甲、そこには一転の躊躇など見えはしない。そこへ、また容赦のない蹴りが傷を刺激し、浮力を欠いたエスティーラを重力の餌食と化す。
衝突で砂埃が舞い上がる。反動で数十メートル地を滑り、エステルの目の前で停止――しかし、レガランスは断末魔を求めた。追撃の一太刀が、この機を逃すまいと真っ直ぐ振り下ろされた。
衝撃に地盤が沈下――間一髪、エンペラーはレガランスの刃を受け止めたが、その生命力の強さがヴァルムドーレの興味を引いてしまう。
『なっ――』
『油断したな、ラスティーラッ!』
レガランスの合図を得て、ヴァルムドーレの口から白い炎が吹き荒れる。炎は瞬く間に天体防衛を張る暇すらなかったラスティーラを取り囲む――
『があぁぁぁぁぁッ!?』
攻撃と同時に、ヴァルムドーレの卓越した魔力操作が、レガランスの剣に鋭く繊細な魔力の流れを形成する。
刹那にして、ラスティーラは密度を増した白い炎に包まれ、
「ケントォォォ!?」
エステルは彼の援護に向かうが、覚醒した邪竜の魔力解放欲求は尋常ではなかった。ひとたび、両翼を動かせば大気が魔力に反応、極めて殺傷力の高いかまいたちが荒れ狂う。
天体防衛に隠れるエステルだが、台風に崩壊寸前の家屋と同様。メジャーバトンは風圧に今にも手の中から飛び出してしまいそうであった。
「双方攻撃なんて器用なこと! 機械のペットのクセにィィィッ!」
彼女は意地でも杖を手放さんと踏ん張った。
だが、ヴァルムドーレの気性の激しさは、エステルの屈強な精神力を嫌悪する。苛立った邪竜は、エステル目がけて急降下。爪で切り裂くと見せかけ、しなる極太の尻尾で防御壁ごとエステルを叩き飛ばす――
「がッ……!?」
脳天から脊髄にどぎつい雷を食らった心地だ。エステルの対物理防御壁を超える衝撃に、ついに彼女はぐったりと岩壁を転がり落ちる。
その瞬間、レガランスは自分の勝利を確信した。
『いいぞ、ヴァルムドーレ! 見てみろ、人間とはここまで弱い! 魔導経典の申し子と言えどこの様だ!』
『き、貴様……!』
『安心しろ、ラスティーラ。一人にはしない……二人まとめて逝くのだからなッ!』
主人の命令に邪竜のルビーの瞳が怪しく光る。地面から突き出る殺意の魔力に、エステルは渾身の力で飛び起きるが、待ち構えていた現実に苦汁を舐めることとなる。
それは土星型魔術。フェンディが最も得意としていた数多の土の手が、彼女の首をへし折ろうと猛威を振るったのだ。
彼女は怒った。
「この性悪がァァァ!!」
彼女は憤怒の太陽で魔の手から逃れるが、精神的な苦痛は相当のものであった。
何もかもが思い通りの演出、その優越感にレガランスは、
『わかったか? こいつは魔力操作のスペシャリストだ。喰ったものは真似できる』
「最低野郎め、フェンディを返せ!」
『未来は変わらない。絶望を受け入れろ――ラスティーラを喰い殺せッ!』
主人の悦喜にヴァルムドーレは鳴いた。一万年の時を超えた奉公を完結すべく、大地から魔力を吸い込み、青い炎の弾丸を口の中に燃やす。
『さよならだ、ケント! 協奏魔法――星々からの青き刺客!』
全てを無に帰す青き炎の隕石が、今、ラスティーラに止めの一撃を下す。ヴァルムドーレの口から放たれたそれは、圧縮された炎の塊。触れた瞬間、ラスティーラは個体でいることができないだろう。
だが、エステルは開かれた地獄への扉の前で笑ったのだ――
「待ってましたよ、この時を!」
沈黙を破り、彼女は杖を振る。その結末に、レガランスは狼狽した。
黒い炎――それがラスティーラ達を包み込み、青い炎の弾丸を一瞬にして無効にする。
「なぜ驚いているのですか、レガランス。 私は言いましたよ? これこそ、あなたがケントに託した未来への希望だと」
自分を守る黒い炎にラスティーラは戸惑いを隠せなかった。
『何で影火が……エステル、それは一体何の話だ……!?』
「ケント、これは私の魔法ではありません。無論、あなたのものでもありません。ですが、これはあなたの中にありました。ずっと眠っていた……優しさの呪い――」
その時、レガランスは再び青い炎を彼らに放つ――だが、もはや怯えることはなかった。ケントの精神世界から影火を引っ張り出したエステルは、さも自分の魔法のように指揮棒を振り、青い炎を相殺した。
青い光が儚く消える。
「無駄ですよ。だって、これはあなた仕掛けた魔法なのですから」
鉄の下に隠れるレガランスの焦りに、エステルは不敵に微笑んで、
「それにしても、素晴らしい相殺式です。一定の攻撃魔法から彼を守るために考えられた対抗策……違いますか?」
『――ヴァルムドーレ、殺せ!』
邪竜の頭脳は明晰だった。影火により同質魔法でも攻撃が困難と判断したヴァルムドーレは、己の鋭き爪で第一の障害となったエステルを八つ裂きにせんと飛翔した。
それでも、エステルは物おじせずに、
「ケント! 耳の穴、かっぽじってよく聞きなさい!」
『うぉぉぉッ!』
熱から解放されたラスティーラは、すぐさま立ち上がり、邪竜の双爪をエンペラー一振りで受け止める。
彼の攻撃魔法と邪竜の防御魔法が何度も何度もぶつかり合う中、エステルは叫んだ。
「ケント! あそこにいるユーゼス・マックイーンは、レガランスに自我を乗っ取られた彼本人です! 昨日までのあなたと同じ、前世の自分の野心と戦い続けた人!」
『何だって……!?』
「ユーゼスさんは、いずれ自分がレガランスに負けることを悟って、あなたに希望を託した! それがこの漆黒の炎……ラスティーラとして覚醒した際、魔導指揮をきっかけに発動するよう、あなたに封印したカウンター式の魔法なのです!」
湧き上がる勇気がヴァルムドーレの装甲にわずかな傷をつける。
「あなた達に何があったのかは知りません……だけど、ケント、人の気持ちがわからないと散々言われ続けた私でも答えは明白です」
エンペラーとメジャーバトンが、まったく違いのないタイミングで、構えられた。
そして、
「あなたの記憶に――偽りの愛情など存在しませんッ!!」
その瞬間、反旗の兆しとも言える山吹色の閃光が渓谷から闇を消しさり、戦うべき因縁のみを世界に映した。
ただの鋼鉄であるはずの心が、震える。6年間、苦しんだ。苦悶の枷が彼の肉体から、精神から、魂から外れ、眠り続けた潜在能力の全てが今ここに、解放された。
完全なるシンクロを遂げた彼ら。かつてない奥義魔法の発動に、レガランスのマスクに恐れが見えた――
『レガランス……貴様は現世の自分を受け入れるべきだった!』
『――ッ! ヴァルムドーレッ! 俺を守れ!』
『ザック、借りは返す――我らの魂の化身、太陽よ! 大いなる宇宙の覇者となるべき力を我らに与えん!』
巨大な七芒星魔法陣が、レガランスとヴァルムドーレの足下に白く輝く。そして、彼らを取り囲むように現れた純白の光の輪に、本能は最大の警鐘をならした。
ラスティーラとエステルの魂は、宇宙を味方につけた――
『協奏奥義魔法――《太陽の王冠》!!』
純白の光の輪は超高温のプラズマ――青い炎を超える熱き洗礼は、魔導経典の力を得たヴァルムドーレとレガランスでさえも、防ぎの効かぬ威力を発揮する。
『ぐあぁぁぁぁぁぁぁ――!?』
ガス状の光輪は一気に収束し、彼らを真っ白な無の世界へと追いやった。ラスティーラ達に届く天体防衛の崩壊音、それを合図に純白の光柱が天を貫いた。
渓谷は、ただの平地と化した。
残光の中には、黒い影が二つ。目を凝らせば、片翼を失い、半壊したヴァルムドーレが、主人を庇うように立っていた。
僅かな力で邪竜は治癒魔法を使う。だが、当のレガランスはもはや、単独での戦闘が不可能なほど溶解し、地に膝をつけ、大きく肩で呼吸をしていた。