兎は寂しくても死なない その1
アルデバラン 城壁付近
「聞いたか? 一昨日のラスティーラの件、帰化したのはケントらしいぜ……」
「らしいな。経理部の同期も石にされたって……酷い話だ。ケントは何も悪くない……だけど、魔導騎士団は今もあいつを探してる。無事だといいけど……」
「何もかも聞くのが怖いよ……遺跡では教団の連中が何かしてるし、アルデバランはどうなっちまうんだ?」
城壁の警備に当たる兵士達の士気は、国境付近でサンズと睨みあっている魔導騎士団に比べ、数段も低い状態であった。
特に彼らは渦中のケント・ステファンの同期であった。軍は一連の騒動を、彼がサンズの内通者であったと言う一言で片付けた。
だが、ケントを良く知る彼らは、この説明に納得できるはずがなかった。ザ・堅実を極めようとする彼がそんなギャンブルに出るはずがないことを良く知っていたからだ。
故に彼らは軍への、とりわけ魔導騎士団への不信感を募らせていた。
「全面戦争なんてバカげてる……仲間を石に変える奴らのやることなんて――」
「やめとけ。どうせ俺達には何もできない……言われるがままだ」
「……本当に何にも出来ないよな、俺達。仲間一人、助けられないなんて……」
見張り場は酷く重たい空気で、夜明けを迎えようとしていた。もうじき交代要員がやってきて、やっと休息を得られる矢先であった。
ドンッと大砲の音に暁の空が割れた――
「何だ!?」
何事かと彼らが双眼鏡手に、狭間からぎゅうぎゅうに身を乗り出すと――すぐさま2発目の大砲が轟く。しかし、少し離れた砦から黒煙が上がっているのはわかるが、砲撃手の姿はどこにも見当たらない。
「敵襲か! でも敵が見当たらないぜ!?」
「とにかく警報を――ぬをッ!? 誰ェ!? 引っかかって抜けない!」
「――ごめ、最近失恋で太ったの忘れてた」
「女子か、お前はッ!? 腹へこませ――」
ドォンッ!
洒落にならない距離に砲撃が着弾し、その反動で引っかかった5人はポップコーンのように見張り台の上に弾け飛んだ。
危うく仲良く丸焼けになるところだったと――ビビった彼らは無我夢中で、
「て、敵襲ぅぅぅ!!」
「鐘ならせ! 鐘!」
街全体に危険を知らせる警鐘を怒涛の勢いで鳴らし続けた。突然の奇襲に砦の下では兵士と蒼顔の市民が激しく行き交っていた。
姿の見えない敵。この言葉にケントの仲間達はある疑いを持つ――
「まさか、泥棒兎……!」
だが、それ以上考える間をやらぬと、激しい砲撃が城壁に打ち込まれる。彼らは硝煙の中を抜け、もう一度穴の空いた城壁から外を覗き見た。
その時、何もない場所から火種が上がったのを見て、彼らは確信した。
◆ ◆ ◆
スターダスト・バニー 母艦〈ニューバニー〉 ブリッジ
「間違っても市内は撃つなよ? できるだけ距離を取って砲撃を続けろッ! 即席とは言え、銀線細工師による最新のフルオーダー艦だ! そんじょそこらの攻撃じゃ墜ちたりはせん! 銀線細工部隊は船に全魔力を注ぎ込め!」
「司教様ッ……! ヤバいっす、しびれるっす! ただのデブじゃなかったんっすね!」
「甘く見るなよ、マカロン! これでも元々は海軍専属の魔導師だったんじゃ!」
新母艦のキャプテンシートに座しているのはあろうことか、マドレーヌ司教であった。聖職者という立場にも関わらず指揮官と言う立場に着くなり、穏やかな司教は豹変した。まさに彼が言うように、荒れ狂う大海原に大砲をぶちかましてきた気迫と自信が、オーラの如く彼を取り巻き、誰にも文句を言わせなかった。
ただ、キャプテンシートがミシミシ言っているのを除けばだが――
「敵影補足。各城門よりホバークラフト出てきます! いずれも歩兵!」
「やはり、魔導騎士団はベルローズか! 狙い通りだ、後はエステルとホットケーキ達に全てを託す……!」
ニューバニーは速度を上げ、大きく旋回した。
「一人でも多くの敵をこちらに引きつけるぞ。本国が魔導経典を渋った以上、勝つ手立てはそれだけじゃ! 面舵30!」
だが、ついに敵方からの砲撃がニューバニーの傍に着弾。それをきっかけに、アルデバランは全面戦争よりも先に、本格的な戦闘へと突入するのであった。
◆ ◆ ◆
アルデバラン ベルローズ遺跡
黒い炎に包まれて、フェンディは半ページの魔導経典と共に邪竜ヴァルムドーレの目前に寝かされていた。教団の関係者がその儀式の行く末を見守る中、筆頭のエリツィンが口を開く。
「古の眠りより、目覚めの時来る! ヴァルムドーレよ、この者の魔力を喰らい、封印を解くのだ! 蘇れ――魔術解錠!!」
「魔術解錠!!」
呪文の斉唱により、フェンディの体が魔導経典と共に紅く輝き、一人でに浮遊し始めた。
ユーゼスはその光景を黙って見ていた。
半ページながら魔導経典の魔力は凄まじかった。それを核に紅き魔力光は勢いを増し、フェンディの体をヴァルムドーレの腹の前まで持ち上げる――すると、紅い光は一瞬にして黒い業火と化す。魔導経典に感応した邪竜は、その腹から黒い炎の手を伸ばし、鋭い爪でフェンディを捕えたのであった。
「おおっ!?」
教団の人間は歓声を上げた。
影火は轟々をと燃え上がり、ついにはフェンディを飲み込み、真っ黒に染め上げる。邪竜の炎と同化した彼は、腹の中へと連れていかれてしまうのであった。
途端、ヴァルムドーレに恐ろしい変化が起きる。
地鳴りと共に、ヴァルムドーレの体から石質の表皮が剥がれ落ちた。目を疑う光景だった。衰えを知らないアメジスト・バイオレット――レガランスと全く同じ色の装甲が、一万年の時を超えて現代に息吹を上げたのであった。
誰もがその美しき復活劇に見入った。
耳を澄ませば届く邪竜の鼓動と唸り声。アメジスト・バイオレットの翼から放たれる生命力と人々を絶望の淵に叩き落す威圧感、どれをとっても最凶最悪の名に相応しき風格であった。
エリツィンは思わず、高く笑った。
「や、やったぞ! ユーゼス、お前の友達は偉大な魔導師だった! さすが魔導経典に命を与えられし一族の人間……もう、ヴァルムドーレは復活したも同然だ!」
だが、ユーゼスは無反応に終わる。彼はただヴァルムドーレを見つめるだけで、
「レガランス! 何をしている? ヴァルムドーレが復活――」
「ヴァルムドーレが復活? 何を言っているのです? これは初めから封印などされていませんよ」
「なっ――」
衝撃的な一言に、エリツィン達は絶句した。
その意味を問うにも――無機質なドラゴンの咆哮が、説明よりも確かに彼らに隠されていた真実を告発する。
振り向けば、岩壁から自由にされたヴァルムドーレの足踏みが大地を揺らした。
「エリツィン、私の読みは当たっていた……亡霊なる機兵の戦い方は変わる、もっと効率的な戦法に。人間が現れ、その推測は現実となった――見ろッ!」
再びヴァルムドーレは歓喜の雄叫びに翼を動かした。
吹き荒れる砂混じりの風に、エリツィンは目を開けた。
そこには初めて見る己を越える邪悪に満ちた、ユーゼスの勝利の微笑があった。
「こいつが私の魔導指揮者、〈ヴァルムドーレ〉だ。お前達が思い描いていた邪竜は、もはやこの世に残ってはいない」
「なん……だと……!?」
「学者の言うことを鵜呑みにしたな? 魔導経典にはそんなこと一つとして記されてはいないはずだ。こいつは一万年前、ラスティーラ達に壊されるのを避けるために、眠らせた俺の最高傑作……それが目覚めた今、もはや貴様らに用はないッ!!」
彼が手袋を脱ぎ捨てると、七芒星の魔方陣の閃光が彼らの視覚を閉ざす。黒き炎が彼のみを包み、青白い炎が砂しかない渓谷に燃え上がる。
瞼をこじ開けた先には、ユーゼスの姿はなかった。
あったのはヴァルムドーレと、禍々しき錬金術師〈レガランス〉、そのもの――次に何が起こるのか、想像力の乏しい彼らでも察するのは容易であった。
『ありがとうございます、エリツィン司教。あなたは良く働いた!』
「ユーゼスッ!? や、やめろ……! 私は、私を裏切ったお前を再び生き返らせ――」
『至福だ! かつて自分を殺した相手をこの手にかけられるというのはッ!』
混沌と無への境地。彼らの足元に広がった巨大な魔方陣は積年の恨みの紋章。影に近い紫紺の光の魔の手に、彼らは叫ぶことも封じられに地に繋がれる。
そして、白い炎の巨大な一輪の花が彼らの足元に咲いた。
『さようなら、団長――〈純白なる焔の人食花〉!!』
「ユゥゥゥゥゼスゥゥゥゥゥゥゥ――」
呆気ない極悪人どもの幕引きだった。白炎の花弁が、一瞬にして彼らを飲み込み、蕾に還る。蕾は彼らの魔力を吸い尽くし、肉体を灰塵にした後、大きく弾けた。放出されたエネルギーは爆炎とキノコ雲を上げ、白い火花を風に舞わせた。
殺意の花吹雪の中で、レガランスの笑い声が不気味に反響した。