身の丈に合った人生 その8
シリウス 裁判所 中庭
「いいの、お願い一人にして。優しくされると泣きたくなるから」
「そ、そうか……あんまり人目につくところに出るなよ?」
「マジで早く行ってね? マジで泣くよ? 俺泣くからね……!」
警官はだいぶ彼に気を使って、その場を去った。
まだ夜は更けない。そんな真っ暗な中庭に、今しがた、目を覚ましたばかりのキエル・ロッシは痛く悲しい気持ちで、ポツンと三角座りをして夜風に当たっていた。
彼の繊細な心はズタボロだ。
気が付いたらどこかの病室で、周りには誰もいない。何が起こってるんだと、大層丁寧に拳で聞いては見たが、皆、口の堅さだけは天下一品だ。肝心なところだけは教えてくれない。
とりあえず、最低限の情報から推測すると――どうやら足手纏いだからおいて行かれた。この結論に辿り着く――
「酷いよね……こんな紙切れ一枚残して置いていくんだもん」
くしゃくしゃに丸められたメモ書きを、悟りを開きそうな瞳で見つめた。
――キエルへ。そのうち、拾いに戻るので待っててください。BYエステル
これを見た瞬間、人生で初めて頭の中が真っ白になるという感覚を味わった。
「整備もしてくれてない……そんなに連れていきたくなかったわけ? そんなにお荷物だっていいたいわけ? ふーん、ま、君らがそう思うなら言いけど……」
ブツブツと不満をこぼしながら、彼はガンパーツを磨き始めた。
繊細な心があらゆる悲しみと葛藤する最中、そう遠くないところで馬の鳴き声が夜風に乗ってきた。
「――何だ」
彼は一瞬で気持ちを切り替え、健在な銀線細工のガンパーツをはめ込み、物陰に隠れた。
それから数分もしなかった。
何人かの足音が中庭に敷かれた渡り廊下へと近づいてくる。彼はリボルバーを構えて、茂みの陰から様子を窺っていた。
「静かだ。街中にもナルムーンの連中の姿がなかった」
「つーか、怖ぇ……何か出てきそう」
「そうか? たまに半透明の落武者が見れる人気スポットなんだぞ?」
「――何の人気スポット!?」
小柄なおっさんと少年が2人、キョロキョロしながら建物の中から出てきた。
その真夜中の来訪者の姿に、彼はこの上ない喜びに沸いた――
「ここで会ったか、兄弟ッ!!」
「ぎゃァァァァァ!? 出たァァァァ!?」
茂みから飛び出したモジャモジャの黒い影に、ケントは髭ロールを盾に自分の保身を図った。勇者にあるまじき行動だが、意外とオカルト的要素にまったく関心のない髭ロールは、極めて冷めた表情でケントの首根っこを掴み返し、その未確認生物の前に差し出した。
「ふげッ……え?」
ランプの明かりを照らし、よく見れば、顔見知りに出会った喜びで鼻頭を抑えるキエルの姿であった。自慢のドレッドヘアに葉っぱが所々に突き刺さりやたらボリューミーになっている。これがモジャモジャの正体だったのだ。
彼はとりあえず、
「何で泣いてんの?」
「……置いていかれちゃったの」
「置いていかれた? 誰に――」
そこまで言いかけて、ケントは髭ロールと顔を見合わせた。
「しまった、一足遅かったか……!」
「遅かったって、どういうことだ? エステルのヤツ、こんな走り書き残して消えちまったんだが……俺、さっき目覚めたばかりで何にも知らなくてな」
「それが……その……」
未だ包帯ががっつりと撒かれたキエルの姿に、ケントは事情を話すのをためらった。だが、その微妙な表情はかえって彼に重大な隠し事の存在に勘付かれる結果となる――
「かれこれ4、5人シバいたがどれも口を割らねぇ。お前が一番口軽そうだから、必要なら銀線細工で――」
「失礼しました、先輩! ではお耳を拝借……」
「こ、これ!」
髭ロールが止めるのも聞かず、ケントは恐れのあまり、ゴニョゴニョと洗いざらい白状してしまった。ヒソヒソ話が終わると、予想通りの事態にキエルは舌打ちをして、
「エステルのヤツ……! 今頃、全員揃って国境付近か……本国の魔導経典が投下されるか否かで、進路も変わるだろうな」
「全ては教皇次第か……」
「ど、どうしよう……陸上戦艦に追いつける足なんて――」
「慌てるなよ、兄弟。まだ行くには早い」
そう言うなり、キエルは銀線細工のガンパーツを外し、ショートソードに武装を付け替えた。一大事だというのに余裕すら窺えるその行動、さすがにケントも苛立って、
「な、何やってんだよ! 早く行かないと戦闘が始まるだろ!?」
「ケント、一つだけ言っておく。俺は自分でも驚くほど勘がいい……その勘の通りならお前は言われているはずなんだ」
「何を……」
「逃げてもいいって――いや、言い方が悪いな。この戦争は現世のお前とは関係ないって、誰かしらお前に選択肢を与えているはずだ。なのに……なぜ戻ってきた?」
ショートソードの切っ先に劣らない、厳しい視線がケントに向けられた。
「自分がラスティーラだからなんて、適当な答えはなしだぜ。まだ間に合う、戻るべきところへ帰りな」
顔に似合わず、情の深さは一級品だった。
数日前の自分であったら、喜んでUターンを決め込んでいただろう。だが、自分の身の安全以上に大事なものが、この先にあることをケントは知っていた。
それを何とかせずに終わることが、一生の後悔になることも彼は熟知していた。
故に、迷いなどなかった。
「……ありがたいんだけど、まだお宅の赤毛娘から働いた分の給料を貰ってないし、それに……高額の治療費を請求しなきゃいけないバカがいる」
「へぇ、そうかい! そりゃ、ご苦労なことだ」
ケントが腰元からロングソードを引き抜くと、キエルは接近戦の構えに出る。
「俺を倒したら、もうただの勘定兵士に戻れないぜ?」
「もういいよ、何だって! どうせ前世は機械の巨人なんだから!」
「上等だ! お巡り、合図を頼む!」
楽しそうだな、と髭ロールは呆れるあまりため息をついて、
「怪我人どもめ……3分だけな」
ポケットから取り出したコインを弾いた。クルクルと闇夜を舞うコインはあっという間に最高点に達し、音もなく芝の上へと落ちた――
「!」
「おりゃァァ!」
それが開始の合図だった。真っ先にキエルは飛び出し、ケントに斬りかかる。
怪我人とは思えない身のこなしは圧巻――だが、ケントは冷静だった。キエルの動きを瞬時に読み、繰り出された突きをかわして、背後に回る。
「何――」
「捉えた!」
一瞬の勝負と彼は確信した。彼は剣をキエルの背中でピタリと止めるつもりだった。
だが、それ自体がフェイク。キエルはその瞬間を狙って、ブレイクダンスのような姿勢で彼の足を払った。
「んなッ!?」
柔軟な体術に翻弄されるケント。そこに容赦なくキエルの突きが襲い掛かる。実戦経験の差か、髭ロールの目にはキエルが優勢に見えた。
しかし、彼の本気の攻撃にケントも黙ってはいなかった。繰り出される猛攻に、彼の闘志は益々熱さを増して顔つきを変える。回避の姿勢から攻撃へ。足を踏ん張り、キエルの短剣に重みのあるどぎつい一撃を仕返ししてやる。
「やるな……!」
「うおぉぉ!」
リズミカルに刃と刃がぶつかり合う。もはや攻防は五分五分の展開、どちらが勝ってもおかしくない展開に持ち込まれた。
怪我人がここまで動いて大丈夫かと心配になるが、当の本人達はやはり、楽しそうであった――
「すっげ! 恐ろしく良い筋してんな! 誰に習った!?」
「あの白髪のロンゲ野郎さッ!! 俺達をボコボコにした!」
「――!?」
ケントの剣がキエルの髪を散らした。彼は間合いに飛び込み、彼のショートソードを受け止めて、
「人のこと心配かけて、生きてたと思ったらこの様だ! こんなに誰かをぶん殴りたいと思ったことはないッ!」
「そうかい! そりゃ是非とも殴って欲しいね!」
カキンッと鍔迫り合いが外れ、今度はキエルがロングソードを受け止める。
「あんたは? 何で盗賊に!?」
「元々極悪人だ! 殺人もやったし、人身売買もやった! だが、あの赤毛の変態眼鏡にしょっ引かれてから俺の人生は変わった!」
もうじき3分経つが、止めにかかるのも野暮と言うものだと、髭ロールは判断した。
「フェンディは俺に生きる希望を与えた! クズ同然の俺達でも一流の騎士並みに働ける在り方を! 極貧の家族を救うための名誉ある生き方を!」
「それがスターダスト・バニー!?」
「そうさ! 銀線細工師として、恩人の妹を守るのは魂の勤めだッ!」
キエルの剣が、ケントの頬を掠めた。たった数分間の手合わせだが、この男がどんな血反吐を吐いてきたのか、その太刀筋で理解した。
正統派殺しの我流。野性的ともいえるスタイルにケントは勝負に出ることを決めた。感情が高ぶり、激しさを増すキエルの剣撃にケントはあえて、
「そうかい、じゃあ――」
流しにかかった。
反動で体勢を崩すキエルに、彼は言う。
「行くしかないよな、俺達!」
キエルが見た死んだ魚の目は、蘇生魔法にでもかかったのか生き生きしていた。
その瞬間、彼のショートソードは大きく弾かれ、首元でピタリとケントの剣が止まった。
勝負あったと、髭ロールは拍手を送った。
「まさに剣帝か……!」
感動のあまりキエルがそう零すと、ケントは恥ずかしそうに顔をしかめて、
「やめろよ、そんなんじゃないって……!」
ささっとロングソードを鞘にしまい込んだ。
これにより、全会一致で戦場に向かうことが決まったが、残念なことにそこまで行き着くための問題はまだあった。
そこへ警官が一人、足早に駆けつけて、
「警部、サンズ側からの情報です! スターダスト・バニーが単独でアルデバランへ進路を向けたと報告が入っています!」
「無謀だ! やはり、教皇が魔導経典の投入を否定していたのか……!?」
「はい。本国のバインダーは動かせず。奴らは端からデネボラの半ページのみで戦うつもりで先行してます!」
情けのない伝達に髭ロールは頭を抱えた。
「クソッ……やはり、敵に奪われる可能性を危惧したか! 実質、囮もいいところだ!」
「何とかして合流しねぇと……お巡り、陸上船は用意できるのか!?」
「無理だ。手持ちのものは全てサンズに貸し出している。用意するには時間がかかる」
「肝心な時に、教皇の野郎ッ!」
万事休す――キエルは芝を思いっきり蹴るが、自身もそれ以上の策が思いつかず、苛立ちを隠せなかった。
彼らが行き詰っているというのに自分にどんな打開策が見いだせるのか、ケントはやり切れぬ思いで辺りを見回した。
すると、渡り廊下の付近に落ちている銀線細工のガンパーツが目に留まり、それを拾い上げた。
途端、心臓が大きく鼓動した。
「どうした、ケント?」
「……キエル、あんた、風魔法は使えるのか?」
「……少しなら。だが、とてもじゃないが人間一人飛ばすなんて無理だぜ」
するとケントは意気込んだ表情で、
「十分だよ。あとは俺が思い出す……!」
「思い出すって、お前、魔法は――」
だが、開かれた彼の掌を見て、キエル達は驚愕した。同時に言葉のいらない説得力と勝算に彼らの決意は一層強固なものへと変わったのだ。
ケントの手に置かれた、新品同様に蘇ったガンパーツ。それはキエルが先の戦闘でボロボロにしてしまったはずのリボルバーだった。
間違いなくケントの潜在魔力に、銀に溶け込んだラスティーラの銀水晶が反応した結果だ。今まで無意識的に行ってきたラスティーラの魔力を自覚できたことにケントはこれ以上にない手ごたえを感じた。
彼はそっと右の手の甲を見た。
「……今ならできる気がする」
光り輝く七芒星の魔法陣に、彼は右手をかざす。
次の瞬間、勇ましき雄叫びが空に響くと、裁判所は一足早い日の出の光に満たされた。