身の丈に合った人生 その5
サンズ教皇国 最南端 砂漠地帯
日は完全に落ちた。
この辺りは日中と比べ、夜になると気温がぐんと下がり、初夏にも関わらず真冬並みの寒さに陥る。
身も凍える寒さを凌ぐため、キャラバンはサンズの街明かりが一望できる岩陰にキャンプを敷き、日の出までのささやかな休息を取ることにしていた。
夕食の香りにキャラバンのメンバーは沸き立つが、ケントの心は依然としてすぐれないまま。彼は茫然と焚き火を眺めていた。
明々と燃える炎に、先の戦闘を思い出しながら――
「ほれ」
そんな様子を窺ってか、髭ロールはケントに入ったばかりのコーヒーを渡した。
「……すんません」
防寒用のマントに包まりながら、彼は受け取ったコーヒーにとりあえず口をつける。
「心配するな、レガランスは追って来ない。向こうもそれどころではないからな」
「……そう」
「日の出前には出発するぞ。サンズの軍勢がこの近辺を通ることになっている、不要な戦闘に巻き込まれる前に首都のベガには入る。休む間もないだろうから、今の内くつろいでおくのだぞ?」
「不要な戦闘って……何が起こるの?」
髭ロールはコーヒーをすすった後、髭を整えて、
「……戦争だ、サンズとナルムーンの。サンズは本格的にヴァルムドーレの破壊に動き出した。先陣を切るのはおそらく、スターダスト・バニーだろう」
平然と語られた真実にケントは手からコーヒーを落しかけた。だが、動揺する自分にぐっとこらえる。
もう関係ない、と。
「リゲルに行くには今しかない。余計なことを考えず、前に進めばいいのだ」
「あんたは……どうしてサンズの肩を持つんだ。もしナルムーンが戦争で勝ったら、シリウス市民とは言え、あんたの身も危ないはずだろ?」
その問いを彼は鼻で笑いながら、再び髭をいじった。
「ふん! 小僧が一丁前に他人の心配か……でも、まあ良い。教えてやる。先ほど言った通り、魔導騎士団が死ぬほど嫌いだ。これに尽きる」
「俺もあいつらが大嫌いだけど……奴らがシリウスの利権を脅かしてるから?」
すると、髭ロールの表情が少しだけ曇った。
「それもある! だが、大半は別の理由だ……少しだけ、昔話をしてもいいか?」
夕食まではまだ時間がかかりそうであった。暇つぶしと言うよりは、誰かとしゃべっていないと余計なことを考える。その不安からケントは頷いた。
彼は一つ、大きなため息をついて、
「遡ると私がまだ銀行員の時代だ。私はそのころ仕事にも慣れ、営業成績上位の外回りとして、腕を振るっていた。この縦ロールも、得意先にキチンと見られるように試行錯誤した結果だ」
「――待って、思ってた話と違う」
「まあ、聞け。そんな調子に乗りに乗った時期もあれば、人生最悪の時期と言うものも存在する。かくして、その最悪の時期こそ、私が行員を辞めるハメとなった原因だ」
ケントがごくりと唾を呑むと、髭ロールはわなわなと肩を震わせていた。
そして、重い口を開く――
「あれは得意先の定期預金を支店に持ち帰る最中だった。車のタイヤがパンクしてしまってな、少し車体を覗き込んだ一瞬だった……子供のスリグループに預金もろとも盗まれてしまったのだ……!」
「うわぁぁ……!」
会計係であるケントは震撼した。恐ろしいなんてものじゃない、勘定兵士なら一度は考えるシャレにならない出来事。武装強盗に襲われたのならまだしも、自分の油断が原因など言い訳になるはずがない。1マニーでも欠けることは信頼の喪失――そんな厳しい責任を彼らは当たり前のように背負っているのだ。
案の定、その顔に髭ロールは顔を引きつらせて笑った。
「その後はご察しの通り……預金は帰らず、私は銀行をクビに。無職となった私に残されたものはただ一つ。そう、あのスリの小僧どもへの復讐心であった」
「そ、それで警察に?」
「左様。ひたすら少年犯罪撲滅を目標にシリウスの街を駆け回った。やり過ぎて子供たちが外を出歩かなくなったと苦情を受けたこともあったが、サンズの教皇は私の情熱を理解してくれたらしく……ほれ!」
防寒マントの下から、肌身離さず持ち歩いている金色の勲章を自慢げに彼は見せた。
「だが、警官としての人生もある日、転機が訪れる。それもどうしようもない、たった一人の悪ガキに出会いからだった」
髭ロールはコーヒーを一口飲んだ。
「奇妙な縁だった。そのクソガキはシリウスの街中を飲み歩き、喧嘩に明け暮れているゴロツキだった。ギャンブルでスラれ、パンツ一丁で道端に捨てられているところを何度拾って刑務所に連れて行ったか覚えていない」
「奇妙っていうか……微妙な縁だよね、それ!」
「そんな人間のクズみたいなガキを手っ取り早く更生させるにはどうしたらいいと、今の部下たちと必死に知恵を絞った結果――軍隊に放り込むという結論に落ち着いた」
「迷惑至極だよ! 税金の無駄遣いじゃんよ!」
「そう思うだろう? だが、予想外にもそいつはとんでもない才能を持っていた。それにヤツも初めて自覚したんだろう……気が付いたら魔導騎士団にまで上り詰めていた」
風の音が耳に着く。やたらと辺りが静かになった。
「見る見るうちに剣の技術は騎士団でもトップ、そして魔導師としての実力もメキメキ育ち、当時は右に出るものはいなかった。そんなヤツもそこそこ男前だがバカでな……悪人にすら愛されておったわい。皆、ヤツが団長になればナルムーンとの関係も改善されると信じていた……信じていたが……今日見たあいつはまるで別人だった……」
髭ロールはコーヒーに満天の星を映し、それをクルクルと回した。
熱いものがこみ上げる。
彼はただの昔話をしているだけなのに、ケントの心は行き場のない感情に占められた。胸が苦しい。
騒ぎ出すそいつらをなだめるように、優しく瞬く星空を彼は見上げた。
「死んだと聞かされていたんだ……私も」
「……」
「生きているのを隠していたのには、きっと深い理由があると……私は思っている。でなければ、あのバカが……大事な故郷を焼き払える訳がない。シリウスの街をあんなにまでできるはずがない……!」
髭ロールは大人だった。ケントと違い、冷静な目を以って多角度から物事を見ていた。
――理由なんて、考えたことがあっただろうか。
ケントはここに来て、自分がやらかした誤算を認知した。
今まで一度も、客観的にこの一連のできごとを考えたことがあっただろうか。
ないはずだ。仲間が石にされ、ラスティーラに帰化し、宿敵と戦った――一杯一杯の中で、自分はちゃんと真実と向き合おうとしただろうか。
どれもこれも答えはNO、やってもいないのにできないと答えるのと同じ――
「……俺もそう思う」
幾億の星が夜空に輝いているにもかかわらず、今の彼の目に映るのは道標となる星々だけであった。
その星を、ケントははっきりと認識していた。
「……やっべ。お巡りさん、俺、忘れ物した」
「……何だ?」
鞄を漁りもせず、彼はただゆっくりと顔を下ろし、髭ロールを見た。
夜空のどの星にも劣らぬ熱さを抱いた瞳を向けて彼は言う。
「給料。あの赤毛娘からまだもらってない。俺、今無職だから死活問題だ」
その一言には芯のある意思が明確に映った。
もう何も、恐れることなど彼にはなかった――
「……それはマズい。労働基準法違反だ、受け取りに行かなくては」
「うん。ばーちゃんさえリゲルに着けば……あとはいっか」
二度と家族と会えなくなるかもしれない、と言いかけたが、それはただのお節介に過ぎなかった。
青い前髪から覗く、この蘇った勇者の眼差しに野暮な質問などご法度だ。
「行くなら飯の後だ。皆に話をする、出発まで休んでおけ」
人に恵まれたことを神に感謝しながら、ケントは彼の言葉に頷いた。
しばらくした後、キャラバンは真夜中の砂漠を凄まじい速さで、逆走するのであった。